告白
△△△△△
七月二三日、土曜日。皆でよく集まるファミレスへと朋は足を運んだ。
「朋、こっちこっち」
亮が大きく手を振ってサインを送ってくる。亮の大袈裟な行動に、店内の視線が自分に集まった。朋は少し気恥ずかしくなり、俯きながら亮と光がいるテーブルへと足を運ぶ。
「久しぶりですね」
テーブルに着くと光が声をかけてきた。
光の招集は、どこかに遊びに行く計画を立てる時がほとんどたった。だから今日もその話し合いをするのだと朋は思っていた。
「あれ、剛司は?」
いつもいるはずの剛司の姿が見えなかったことが、朋の不安をあおる。
「それが剛司来ないんだってよ。なあ、光」
「まあまあ」
「ふーん。そうなんだ」
亮の隣に腰掛けた朋はメニュー表を眺める。目の前に座る光は、前回も頼んでいたトッピングましましのスペシャルパフェを食べている。本当に甘党だなと朋は少し呆れる。
「朋は決まった?」
「うん。決まった」
光がボタンを押し、店員を呼び出す。ドリンクバーと朋は頼む。ウェイトレスの方が離れるのを見計らい、朋も席を立った。
「ちょっと取ってくるわ」
そう言い残して朋はドリンクバーコーナーへと向かった。グラスを手に取り、氷を入れてジンジャエールを注ぐ。その作業をしている間、朋の脳内は剛司のことで頭がいっぱいになっていた。普段の剛司なら、こうした集まりに来ないはずがなかった。アルバイトなのかもしれない。そうだったら特に心配はないのだけど、朋の胸中は何故だか不安でいっぱいだった。自分でもわからないこの気持ちに、朋は我を忘れそうになる。
「すみませーん」
声のする方を向くと、小学生くらいの男の子が上目遣いで朋を見つめてきた。その子の手にはグラスがしっかりと抱えられている。
「ああ、ごめんね」
朋が自分のグラスをどかすと、男の子は笑顔になった。先程まで朋が置いていた場所にグラスを置いた男の子は腕を組み、考え込む仕草をみせる。その姿が、何だかとても懐かしい感覚を朋に抱かせた。
テーブルに戻ると光はパフェを食べ、亮はストローでメロンソーダをちびちびと飲んでいた。自由奔放な雰囲気に朋は気持ちが楽になる。
「それで、話って何?」
朋の問いかけに、頬一杯にパフェを詰め込んだ状態の光が手で制止する。光はそのまま咀嚼を繰り返し、お冷の入ったグラスに口をつけた。
「ふー。ごめん……えっと、今日集まってもらったのは剛司のことについてなんだ」
剛司のこと。
その言葉を聞いた途端、朋の背筋に緊張が走った。
光は朋と亮を一瞥してから続ける。
「実はちょっと前に剛司と花加駅前で会ってさ。今、熊谷まで行ってパラグライダーの勉強してるんだって」
「まじで。あいつすげーな」
「それで明日から青羽さんの所に行って、泊まり込みで勉強するらしくて。自分、明日剛司のこと車で送るんだ。よかったらみんなで行って激励するのがいいかと思って」
「お、いいじゃん。そう言えば、この間ついに楓と飲むことができてさ」
「ふ、ふふふ楓ちゃんと!」
「おう。その時に剛司も来てさ、あいつ何か必死に考えこんでてよ。正直言って飲み会で一人だけ浮いちゃってたわけ。だから俺が楓に話を聞いてくれって頼んでやったんだよ。楓は快く引き受けてくれて、その後二人きりで話したみたいでさ」
「ふ、ふふふ二人きり!」
光は興奮のあまり、身を乗り出して亮の話を食い入るように聞いている。
「まあ特に二人の間に何か生まれたわけでもないと思うけど、剛司の抱えていた悩みが解決したみたいで。流石、アイドルは違うなって思ったわけよ」
「当然ですね。楓ちゃんはみんなのオアシス。その御言葉を聞けば誰しも幸せになれる」
神様かよ、と亮が光に突っ込みを入れる。光は天使ですと言って亮に返答した。
目の前でわいわいと二人が楽しそうに話をしている中、朋はただずっと黙っていた。
剛司が飲み会に行った。
剛司はそんな場所に行く性格じゃない。それに悩みが解決したってことは。
一番恐れていた状況になりつつある。朋は胸騒ぎがおさまらず、グラスに入ったジンジャエールを口に含む。
「まあ、その話は置いといて」
亮はグラスに残ったメロンソーダを飲み干してから言った。
「剛司の奴、本当に変わったよな」
亮の言葉が朋の胸を刺した。深淵を抉られるような痛みを朋は感じる。
「うん。それは自分も同感だな。最近の剛司は変わった。とても良くなったと思う」
光の発言が朋にとってとどめだった。額ににうっすらと汗がにじみでてくる。少しずつ胸の痛みが増し、それを耐えようと朋は俯き必死に堪える。
「朋はもちろん行くよね?」
「…………」
「朋?」
光が心配そうに朋に手を差し伸べた。しかし朋はその手を払う。
「ごめん、大丈夫だから」
朋は二人に笑顔をみせ、どうにか平静を保った。
「明日は俺、無理かもしれない。もし行けるなら連絡するよ」
苦し紛れに口から出た言葉を機に、朋はゆっくりと立ち上がる。
「朋、どうした? なんかおかしいぞ」
亮の言葉が耳を掠める。
「ちょっと体調悪くて。今日は帰るよ」
そう言い残し、財布から千円札を出した朋はそれを机に置き、走ってその場を離れた。遠くで光の声が聞こえたけど、朋はそれを無視してファミレスを後にした。
◇◇◇◇◇
「よし、とりあえず合格にしといてあげる」
「あ、ありがとうございます」
羽田の一言に、剛司は思わずガッツポーズを作っていた。学科の最終日。剛司は羽田のスパルタ指導をどうにか乗り越え、青羽の元で実技指導を受ける権利を勝ち取った。
初日以降、さまざまなパラグライダー用語を覚え、苦手な物理関連の話もどうにか乗り切ることができた。特に後半に出てきた風や前線、雲といった気象関連の話が剛司を最後まで苦しめた。それでも今日までに習ったことは、剛司自身の血肉となって身体を駆け巡っている。
今日の剛司は強気だった。今なら絶対に実技も簡単にこなすことができる、憧に空の素晴らしさを教えてあげられる。そんな気持ちで心が満たされている。
「お疲れ様……って言っても明日から源の所だっけ?」
「そうですね。でも、僕はできる気がします」
「お、ビッグマウスだね。こりゃ私も期待しちゃおうかな」
いつもは決して口にすることのない強気な発言が、剛司の口から放たれる。それに機嫌を良くした羽田が剛司の肩を軽く叩く。
「それじゃ、僕はもう行きます。本当にありがとうございました」
「うん、頑張ってちょうだい。憧ちゃんを飛ばしてあげるんだよ」
羽田の言葉に頭を下げ、剛司は羽田パラグライダースクールを後にした。
帰りの電車の中。剛司はスマホの電源を入れた。スクールにいる間はいつも電源を切るようにしていた。とにかく羽田の教えを頭に叩き込むため。無駄な情報は一切頭に入れなかった。
「あっ」
画面に目を落とすとメッセージを知らせる表示が一件あった。中身を開いて内容を確認する。
『今日、この間会った公園に来てくれ。待ってる』
朋からメッセージが届いていた。久しぶりに見た親友の名前に、剛司は安堵の笑みをうかべつつ、スマホを操作する。
朋からの誘いを断る考えが剛司にはなかった。剛司も朋に言いたいことがあったから。
『わかった。あと一時間ちょっとで着くと思う。遅くなってごめん』
朋に返信した剛司はスマホをポケットにしまった。
午後九時過ぎの電車は休日ということもあり普段よりも人がまばらだった。時折、浴衣姿の女性がちらほらと乗車してきた。もしかしたらどこかで花火大会があったのかもしれない。
今年の夏はいつもと違う感覚が剛司にはあった。昨年の夏まではアルバイト以外で外に出る時、いつも隣には朋がいた。ずっと朋と一緒だった。だけど今年の夏、剛司の隣に朋はいない。それはまるで自分の変化を如実に表しているようだった。徐々に変われている自分がいる。憧のために精一杯頑張ろうと動いている。決して自分が変わるために動いているわけではない。それなのに、後ほど考えると自分は変わったのではないかという感覚が剛司を満たしている。
今の姿を朋に見てもらいたい。朋の喜ぶ顔が剛司の脳裏をよぎった。
頑張ってるな、剛司。
朋はそう声をかけてくれるに違いない。
だからこそ剛司は今日はっきりと告げようと思った。
今までの関係にお別れをすることを。
△△△△△
ひんやりとした空気が公園内を包み込む。夏の夜にも関わらず、今日の気温は半袖だと肌寒さを感じるくらいだった。
朋は一人公園のブランコに座っていた。これから剛司と会って会話する。そして自分の気持ちを打ち明ける。そうしないと自分が壊れてしまうような気がした。
今日、ファミレスで光と亮が話した言葉が朋の脳内を反芻している。そのせいでずっと胸の痛みが消えなかった。
剛司は変わった。それは亮も光も実感している。しかしそれこそ朋の恐れていた現実だった。
今日の会話で朋は確信した。今まで剛司を除いた三人で会う時、話題のスポットに剛司が当てられることは一度もなかった。他愛のない話が続き、三人の近況を報告しあう。その場にいない剛司のことなんて、皆忘れているのではないかと思うくらいだった。それなのに今日、亮と光の口から出たのは剛司の話題についてだった。その事実が、現実が、どこか遠くの空間に置き去りにされた感じを朋に抱かせる。
また胸が痛みだした。
孤独の陰に怯える自分が情けない。
どうしてこんな気持ちを抱いているのか。
自分でもわからなくなってくる。
何がしたいのか、自分はどうしてこんなに苦しんでいるのか。
以前はわかっていたはずの答えが見えなくなっていた。
だからこそ、今日はっきりと言わないといけない。
剛司に自分の気持ちを伝える。
そうしないと本当の答えが見えてこない。
数々の欺瞞に満ちた考えを取り除く。
たぶんそれが一番の近道だと朋は思う。
「朋!」
ついに来た。剛司がこちらに向かって手をあげる。朋もそれに応えるように手をあげた。
「ごめん、遅くなっちゃった」
「熊谷に行ってたんでしょ?」
「えっ、ど、どうして知ってるの?」
「光から聞いたよ」
「そっか」
剛司が隣で笑みを見せる。朋の事を疑っている雰囲気を一切感じなかった。
剛司が空いていたブランコに腰を下ろす。それを見計らって、朋は口を開いた。
「あのさ、剛司はどうしてそこまで強くなったんだ?」
「えっ? べ、別に僕は強くないよ」
身振りで否定する剛司に朋はさらに追及する。
「それじゃ、剛司は自分が変わったと思う?」
確信をつく言葉を朋は言った。自分が恐れていたことをど真ん中に放り込んだ。剛司の回答が、おそらく朋の抱く気持ちに答えをくれるはず。
「うん……僕もそのことについて話したくて」
剛司はそっと息を吸った。その音が朋の耳にも届く。
いつもはうるさく鳴いている蝉が、今日は鳴いていなかった。異様な雰囲気が二人を包み込む。そして剛司は息を吐くとはっきりと言った。
「僕、変わったんだと思う」
剛司の言葉に、朋は俯き胸を押さえた。今まで感じたことのない痛みが朋を襲う。これが答え。剛司の言葉を、結局朋は受け止められないことがわかった。
剛司は朋の方に顔を向けず、正面を見たまま話を続ける。
「もう聞いたかもしれないけど、今日まで熊谷でパラグライダーについて勉強してたんだ。明日からは青羽さんの所に行って、泊まり込みでパラグライダーについて習うよ」
「うん……全部光から聞いたよ」
朋は言葉を紡ぎ出すのが精一杯だった。
「あのね、パラグライダーを体験してから僕の回りの環境が一気に変化したんだ。特に憧に出会ったことが、僕の中で大きなことだった」
剛司の靴を拾ってくれた憧の存在が、今の朋にはとても邪魔だった。
「憧もね、今の自分を変えたいって言ってたんだ。僕もずっと変わりたいと思ってた。だから憧の気持ちがわかった。もしかしたら二人で頑張れば変われるのかもしれない。そう思ったことがあった。だけど二人で頑張っても、変わらないこともあるって気づいたんだ。自分の内面に対しては、自分でどうにかしないといけないんだって。人に頼れない部分なんだって。だから僕は色々と頑張ってみることにした。積極的に動いて、最後まで諦めずに努力する。自分のできることから、一歩一歩やっていこうと思ったんだ」
剛司の言葉に朋は拒否反応を示していた。耳を塞ぎたくなる衝動に駆られた。剛司が言っていることを納得してしまう。そうしたら、この胸の痛みはどう証明すればいいのかわからない。だからこそ朋は抵抗の言葉を剛司に投げかけた。
「変わるなよ」
「えっ?」
「……変わるなって俺は言ったんだよ!」
朋の怒号が公園内に響き渡る。
目の前の剛司は目を見開き、口を開けたまま唖然としている。
朋の中で何かがぷつりと音をたてて崩れていく。
もう止めることが朋自身できなかった。
「俺は剛司に変わってほしくなかったんだ。前みたいに俺がずっとお前を助ける。それで良いだろ?」
「駄目だよ……それは朋に申し訳ない」
「俺が大丈夫って言ってるんだよ。だから心配しなくていい。これからも俺をずっと頼ってほし――」
「それは駄目なんだ!」
今度は剛司が大声で言い切った。いきなりのことに、朋は動揺を隠せなかった。
「な、何が駄目なんだよ。今のままでも剛司は問題ないだろ? 無理に変える必要ないんだよ。その方が今後も上手くやっていける」
朋自身、気づいていた。自分の口から出ている言葉が全て欺瞞だということに。
「僕はね、今日朋に言わないといけないことがあるんだ」
聞きたくない。
朋は心の中で叫ぶ。
それでも時は止まらない。
無情にも剛司は朋に現実を突きつけてくる。
「僕はもう一人で頑張れる。今まで頼ってばかりだったけど、もう朋がいなくても大丈夫」
剛司の本音。それを聞いた瞬間、朋は全て理解できた。
どうして胸が痛むのか。
どうしてこんなに剛司の変化を恐れているのか。
朋を襲う恐怖の正体を、朋自身がようやく捕まえた。
「駄目……駄目なんだってそれじゃ」
「どうして……朋はどうして駄目って言うの? どうして僕が変わるのが駄目なのさ」
「それは……くっ」
剛司の疑問に対する答えを朋は知った。それなのに言うことができなかった。これを言ったら本当に剛司との仲が終わる。自分の考えが曲がっているのがわかる。だけど胸の痛みが許してくれない。まるでこれからの関係とこれまでの関係の板挟みにあっているようだ。
「僕は朋にずっと寄りかかっていた。みんなにも頼りすぎていた。それがわかったんだ。どれだけ自分が周囲に甘えていたのか。だからもう、迷惑をかけたくないんだ」
剛司の決意が朋の胸に響く。自らの考えに朋はひどく辟易する。
朋はまだ本音を口にしていない。ずっと自己欺瞞を述べているだけ。欺瞞を盾にするのも限度があるのかもしれない。既に朋は苦しくて胸の痛みに屈しそうだった。
言ってしまったほうが楽なのかもしれない。朋は空を見上げる。澄み切った夜空が朋と剛司の上空に広がっていた。星が瞬き、二人を包み込む。
「俺は……」
朋は一度言葉を切った。
そして剛司に身体を向ける。
それに合わせて剛司も身体の向きを変えてくれる。
一対一。
正面の親友に向かって、朋は最低の言葉を言い放った。
「俺は剛司がいることで面目を保っていた。剛司がいつも俺の下にいたからこそ、俺は今のグループでも一番下ではないって思うことができた。だけど最近の剛司は変わった。変わって俺よりも上に行こうとしている。そうしたら、俺は何だ。一番下の使えない人間になる。俺には光や亮を超えるようなものは持っていない。所詮、剛司の面倒を見ることしかできない。それでも上手く付き合うことができていた。それは剛司が俺の下にいたから。剛司が頼ってくれる。それは自分がここにいるって証明する証になる。存在の証明になる。だから俺は……自分の居場所を守るためにも、剛司に変わってほしくないんだ」
止まらなかった。
ギリギリで止めていた思いが、堰を切ったように溢れ出す。
自分でも最低だと朋は思った。
それでもこれが欺瞞ではない本音。
嘘偽りのない気持ちを剛司にぶつけた。
朋はゆっくりと立ち上がり、その場を離れようとした。
「ちょっと、朋」
呆気に取られていた剛司に手を掴まれる。しかし直ぐに朋は差し出された手を払った。
「ごめん。もう一人にしてくれ」
そう告げた朋は公園を後にした。
今日、朋は最低の自分を剛司に見せた。本音を剛司に伝えてしまった。これで剛司との関係は終わってしまうかもしれない。
だけど、これで良かったんだと朋は思った。
胸の痛みは消え、心に平穏が戻っている。
欺瞞ではない、本当の気持ちを伝えることができた何よりの証拠だ。
それでも、何故か心にぽっかりと大きな穴があいているような、変な感覚が朋の心に居座っていた。気持ちはとても晴れている。胸の痛みも感じない。それなのに、何か物足りなさを感じる。
「あれ……」
その気持ちが一気に溢れ出す。
朋は溢れる涙を止めることができなかった。
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