甘美な思考

 剛司と憧はその後もショッピングモール内を歩き続けた。会話も少しずつ増えていき、先程まで剛司が感じていたぎこちなさは、いつの間にか消えていた。途中、憧がとある雑貨屋で指輪を見たいと言ったので、一緒に入って指輪を眺めた。その時に店員さんが話しかけてきたけど、憧は驚く素振りを見せず店員さんの話に耳を傾けていた。購入には至らなかったけど、知らない人との会話も徐々にできるようになっている憧の成長に、剛司は勇気をもらえた気がした。

 そしてお昼過ぎ。ショッピングモールの一階のフードコートにやってきた。

 休日ということもあり、多くの人で賑わっているフードコートは席がほとんど埋まっていた。

「空いてないかもしれない」

「そうですね……あ、あれを食べたいです」

 憧が指を指したのはフードコートの外れにあるクレープ屋だった。屋外にあるらしく、テラス席が設えてある。

「クレープでいいの?」

「はい。甘いもの、大好きなので」

 憧は笑みを見せると剛司の手を引っ張って、外へとつながる扉を開けた。

 最初はずっと剛司が引っ張ってきたけど、今はそれが逆になっている。憧が積極的になることはとても良い傾向なのかもしれないけど、剛司は少し複雑だった。もっと頑張らないといけないと剛司は思う。

「いらっしゃい。何にしますか?」

 威勢のいい店員のおじさんが話しかけてくる。

「えっとですね」

 剛司はメニューを店員のおじさんから受け取ると、憧にも見える位置でメニューを持った。

「うーんとですね」

 憧は楽しそうにメニュー表を眺め、それからとある場所を指さした。

「バナナチョコクリームがいいです」

「了解。それじゃ、僕はいちごチョコクリームかな」

「バナナチョコクリームといちごチョコクリーム。ちょっと待っててね」

 剛司達の会話を聞いていた店員のおじさんが、意気揚々とクレープを作り始めた。その光景が珍しかったのか、憧はショッピングに来てから初めて剛司の手を離すと、ガラスに両手を当てながら店員のおじさんの作業を眺めていた。

 すると店員のおじさんがチラリとこちらを一瞥した。

「あれ、綺麗で可愛らしい彼女はどうしたの?」

「か、彼女ですか?」

 思ってもいなかったことを聞かれた剛司は赤面する。

「あ、もしかして違かった?」

「えっと、その……」

 剛司は隣にいる憧に視線を移す。

「あれ?」

 先程まで隣にいた憧がいつの間にかいなくなっていた。辺りを見渡すと、テラス席の方に座っているのがわかった。

「それより彼女、本当に可愛いよね。外人さんのような雰囲気を感じる」

「あ、いいえ。憧はその……」

 剛司は質問に対して、どう答えるべきかわからなかった。

 そもそも魔法使いなんて言える訳がないし、上手い言い分が見つからない。

「……し、親戚です」

「ああ。なるほど。ごめんね、なんか変に勘違いさせちゃって」

「だ、大丈夫です」

 何とかやり過ごした剛司は、ほっと息を吐いた。

「はい、お待たせ」

「ありがとうございます」

 剛司は金額を払うと、店員のおじさんからクレープを二つ受け取る。そして席で待つ憧の元へと向かう。

「はい。バナナチョコクリームだよ」

「す、すみません」

 憧は剛司が来るなり、頭を下げてきた。

「ど、どうして謝るの?」

「そ、その、私なんかが。その……か、彼女なんて……」

 赤面しながらきゅっと身を小さくすぼめる憧が、可愛いと剛司は思った。

「そんなことないよ。きょ、今日は僕がサポートするって決めたんだから。か、彼氏みたいなもんだから」

 いつも言わないセリフを口から発した剛司も、憧と同様に赤面する。

「……あ、ありがとうございます」

 憧はそう言うと、剛司から受け取ったバナナチョコクリームのクレープにかぶりつく。

「お、おいしい」

「ほんと? どれどれ」

 剛司も自ら頼んだイチゴチョコクリームのクレープにかぶりついた。たまにやってくるイチゴの酸っぱさを甘いクリームとチョコが緩和してくれて、絶妙な味を作り出していた。

「うん。こっちもおいしい」

 剛司はクレープを食べ続ける。久しぶりにクレープを食べた剛司は、この間ファミレスで食べたパフェを思い出す。今度憧を連れて行ってあげようと剛司は思う。

「剛司君」

 憧の呼びかけに剛司は視線を向けた。憧が何やらもじもじと身体をゆすっている。

「その……お願いがありまして」

「お願い?」

「はい。その……剛司君のクレープも食べたいなって」

 憧のセリフに、剛司の心臓が早鐘を打った。

「い、いいよ。はい」

 憧は剛司の食べていた部分の場所を、そのままパクリとかぶりついた。

「……おいしいです」

 笑みを見せる憧の姿に、剛司は思わず視線を逸らしてしまう。

「剛司君もどうぞ。バナナチョコクリームです」

「あ、ありがとう」

 憧から手渡されたクレープを剛司は見る。憧の食べかけの場所があった。ここにかぶりつけば、関節キスができる。剛司は高鳴る胸を抑える。しかし剛司にそんな勇気があるわけがなかった。憧の食べかけの場所ではなく、端っこのほうをパクリと口に含んだ。

「バナナたっぷりだね」

 端っこの方までぎっしりとバナナが敷き詰められており、クリームもチョコも申し分ないくらいかかっていた。剛司には少し甘すぎだった。

「何か、今日はとても幸せです」

 憧は笑みをみせ、そのまま続ける。

「友達ですよね。こうして一緒に食べるのも」

 憧はもしかしたら、もっと友達だと実感したかったのかもしれない。だからこうしてスキンシップをとった。それなのに、少しのことで照れていた自分が情けないと剛司は思う。

「そうだね。こうして一緒にいるのって、幸せなことなんだと思う」

 時間はあっという間に過ぎていく。そのわずかな時間を、こうして誰かと一緒に過ごせることに、剛司はとても嬉しかった。

「そうだ。憧に聞きたいことがあったんだ」

「はい。なんでしょうか?」

「この前ログハウスで話したことなんだけど、魔法使いには人間界に来たときに仕事が与えられるんだよね?」

「はい。そうです」

「そのことについてだけど、もし仕事を達成した時って何かあるのかな?」

 憧は前に仕事を成し遂げられなければ魔法界に帰るだけと言っていた。でも、それ以上のことを聞いていなかった剛司は興味があった。

「仕事を達成できたら、人間界にずっと居座ることができるんです。、魔法使いの人達はその権利を得るために、こうして仕事をこなしているんです」

 憧の言っていることについて、剛司は疑問に思う点があった。

「でも、普通なら逆だと思うんだけどな」

「逆ですか?」

「うん。仕事を達成出来たら自分の国……魔法界に帰れる。達成できなければその場に残って、仕事を終えるまで居座り続けるのが普通かなって」

 剛司の常識とは違うところがあるのかもしれない。

「普通なら、剛司君の言っている通りかもしれないです。でも、魔法界の住人にとって人間界に残るのは大切なことなので」

「大切って?」

 剛司の視線を一瞥した憧は、残りのクレープを食べきってから言った。

「夫婦の関係になる人を見つけるためです」

「夫婦……」

「はい。魔法界ではそれが決まりになっていまして」

「そ、それって……」

 剛司も手に持っていたクレープを食べきってから聞く。

「もし仕事を達成できなかったら、どうなるの?」

 憧は剛司から視線を逸らすと、下を向いてしまった。そして暫くして話し始めた。

「……達成できなかったら、魔法界に帰ります。そして、結婚とは縁のない生活を送ることになります」

 結婚。その言葉の重みを、剛司はまだ理解できなかった。

「それじゃ、絶対に結婚できないってこと?」

「いいえ。そんなことはないですよ。ただ、ほとんどの魔法使いは人間界で夫婦の関係となる人を見つけてしまうので。魔法界で独り身の人は少ないんです」

 憧は言っていた。

 魔法使いは人間界に必ず来ることになっていると。

 その本当の目的は、夫婦の関係となる人を見つけることなのかもしれないと剛司は思う。

「人間界で見つける相手って、魔法界の人なの?」

「そんなことないです。人間でもいいですし、魔法使いでも大丈夫です。ただ、色々と条件があって」

「条件……」

「もし人間界の人と夫婦になるのなら、魔法使いを辞めるのが条件となります」

「どうして辞めないといけないの?」

「人間界にいるのだから、人間界のルールに従うためと聞いています。魔法使いの力は偉い人達に消されるそうなので」

 人間は魔法が使えない。

 もし魔法を使っているところを見られたら、色々と問題になるのは剛司にもわかることだった。

「魔法使いの人と夫婦になるのなら、二つの選択があります」

「選択?」

「はい。一つは二人で人間界に居座ること。この場合も魔法使いの力がなくなるそうです。そしてもう一つは、魔法界に帰ることです」

 憧の言っていることを理解するのは、時間がかかるかもしれないと剛司は思った。

 それでも、今わかることもあった。憧は既に結婚できるかできないかの、境界線上に立たされているのだと。

「実は、私はまだ仕事を達成できてないんです」

「えっ? だって僕に靴を返してくれた。だから――」

「他にもまだ贈り物はたくさんあります。全部ではないですけど、あと最低でも二回成し遂げないといけないんです。でも、私は未だに成し遂げることができていない。だから無理なんです。」

 憧の言葉に剛司は口を閉ざしてしまう。今の状況では、剛司みたいに落とし物を取りに来る人はほぼ皆無といっていい。

 憧は拳を作ると、剛司に向け言い放った。

「だからこそ、空を飛べるようになりたいんです。もし仕事を成し遂げられなくても、この人間界で今までの私ではない、新しい私に生まれ変わりたいんです。そうすれば、母も安心できると思うので」

 憧がログハウスで言っていたことは、とても重いことだった。剛司はきゅっと唇をかみしめる。でも、まだ諦める必要はないと思った。今日一番伝えなくてはいけないことを、剛司はまだ伝えていない。それが憧の変わるきっかけになると剛司は思っているから。

「あのさ、明日なんだけど」

「明日ですか?」

「うん。一緒に……パラグライダーをやろうよ」

「えっ」

 憧は驚いていた。その瞳が大きく開かれている。

「憧はもう大丈夫だよ。人混みも平気だったし、店員の人とも普通に話せていた。だから絶対に大丈夫だと思う。明日、一緒にパラグライダーをしよう」

 もし憧が空を飛べるようになれば、仕事を成し遂げるのは簡単なはず。今の剛司にできることは、憧の力になるようにしてあげること。

「……はい。剛司君がいるなら」

 憧は笑顔で応えてくれた。

「ありがとう。ちょっとごめんね」

 剛司は憧に背を向け、スマホでメッセージを送った。送る先はもちろん朋だ。

 送った数秒後に朋から「了解」とのメッセージが来た。まるでずっと待っていてくれたみたいに素早い返信だ。これで明日は大丈夫だと思い、剛司はほっと息を吐いた。

「どうしたんですか?」

 憧が質問してきたので、剛司は応える。

「実はパラグライダーする前に、憧に会ってもらいたい人達がいて」

「もしかして、ログハウスに来ていた剛司君以外の方でしょうか?」

「うん。実はそうなんだ。五人でパラグライダーをやりたいなって思ってさ」

 少しでも憧の味方を剛司は増やしたかった。憧が少しでも安心できれば、飛ぶのだって怖くないと剛司は思った。

「私も一度、剛司君のお友達ともお話してみたかったんです」

 憧はキラキラと目を輝かせながら、剛司に語りかける。

「みんなとてもいい人達だから、憧もすぐに打ち解けられると思うよ」

「はい。そうなるといいです」

 憧は剛司の手を握ると笑みを見せた。それに応えるように剛司も憧の手を握り返す。

 変わりたいと思う気持ちは、剛司も同じだ。

 今日だってこうして憧と一緒にいるだけで、自分の駄目なところに気づくことができた。

 もしかしたら、憧と一緒にいることで変われるきっかけを見いだせるのかもしれない。

 今までの自分の弱さを、変えることができるのかもしれない。

 そんな思いで剛司は満たされていた。

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