不安と安心

                ◇◇◇◇◇


 土曜日。剛司は憧の住むログハウス前に立っていた。

 今日は憧と約束した買い物に行く日。

 そのため剛司はここまで迎えに来たのだが、緊張と不安で中々ドアをノックできずにいる。こんな気持ちを抱いているのも、前日にとある事に気づいてしまったからだ。

 昨日、剛司は自分がやることを一番の親友である朋に伝えた。そんな剛司の気持ちをわかってくれた朋のお蔭もあり、家に帰ってから憧とのデートプランについて考えた。

 そこで剛司は、憧に伝え忘れていたことがあることに気づかされた。

 肝心の集合時間や集合場所を決めていなかったのだ。とっさにスマホを手に取ってみたものの、憧の境遇を思い出した剛司の手からスマホはこぼれ落ちていた。

 憧は魔法使いだ。

 普通の魔法使いと違い、ずっとログハウスにいて人との関わりを持つことがなかった。そんな憧が連絡手段を持っていないのは、少し考えればわかること。憧の力になれることに気持ちが浮ついていたのかもしれない。

 憧との連絡手段が一切ないことで、どうすべきか悩んだ剛司は前回初めて会った時と同じ時間帯となる、午前一〇時過ぎに憧を迎えに行くことに決めた。

 その時間を選んだ理由は特になかった。

 だけどその時間帯なら、また憧と会えるのではないか。

 自分のことを待っていてくれるのではないか。

 剛司は自分の考えを信じることにして、今こうしてログハウス前で立ち往生している。

 信じようと決意したことがあっさりと揺らいでしまい、とても情けなかった。

 もしかしたら、憧は約束を忘れてしまったのではないか。

 もしかしたら、憧と会うことさえできないんじゃないか。

 そんな不安が剛司を襲い、中々ドアをノックすることができない。

 剛司はさらに嫌なことを思い出してしまった。

 前回ログハウスに入った際は、皆との思い出が詰まった靴が光を放ったことにより、結果的に鍵が開く仕組みになっていた。それなのに靴は一切光を発しようとする素振りを見せていない。

 もしかしたら一度きりの効果なのかもしれない。

 こうして手元に戻ってきたら、彼女と会うことができないのかもしれない。

 考えれば考えるほど、不安という底なしの沼にはまりそうな剛司は一度大きく深呼吸した。

 とりあえず、あたって砕けろの精神でいこう。

 意を決した剛司はドアをノックした。


「はい」


 重みのある木の扉が音を立てて直ぐに開いた。

 剛司の不安を一掃するかのように、扉を開けた憧の姿が目に入ってきた。

「おはようございます。梔子さん」

「お、おはよう」

 憧が礼儀正しくお辞儀をするので、剛司もつられて頭を下げる。まだ二回しか会っていないこともあり、どこかぎこちなさを感じずにはいられなかった。

「ごめん。待ち合わせの時間、決めてなかったよね」

 とりあえず剛司は自らの過ちを謝罪する。

「いえ、問題ないですよ。この時間にいらっしゃると思ってたので」

「そ、そうなんだ」

 一つの不安が杞憂に終わり、剛司はほっと息を吐いた。

「そういえば、この部屋の鍵ってどうなってるの?」

「どうなってる……と言いますと?」

 言葉が足りなかったことに気づいた剛司は慌てて付け足す。

「あ、その前回は靴が光ったからここに入れたと思うんだけど……」

「そのことでしたら、心配ないですよ。一度私と会っているので、鍵となるものが近くにあればここに入れますし、私も声をかけることができるので。あの光は初めて会った際の演出みたいなものと聞いています」

 憧が剛司の靴を指さしながら言った。魔法使いの人達はとてもユーモアを好む種族なのかもしれないと剛司は思う。

「そ、それじゃ、行こうか」

「はい……あ、ちょっとだけ待ってください」

 笑顔で応えた憧は、剛司に頭を下げると一度ドアを閉めた。おそらく女の子の準備とやらがあるのかなと剛司は考える。

 憧を待っている間、今日のスケジュールについて剛司はおさらいをしておこうと思った。まずはタクシーに乗って近くの街のショッピングモールに行く。それから明日のことについて話せる流れを、できるだけ作る必要がある。それに、まずは憧の人見知りを直さないといけない。

「すみません。お待たせしました」

 ドアが再度開き、憧が部屋から出てきた。先程と一ヶ所違うところがあり、剛司は直ぐにそこに気づいた。

「あ、カチューシャ」

「ど、どうでしょうか?」

 ハルジオンをあしらった可愛いカチューシャは、憧にとても似合っていた。

「うん。可愛いと思う」

「か、可愛い……」

 素直な感想が口から漏れてしまい、剛司は赤面する。憧も剛司同様に頬を赤く染めていた。暫くの沈黙が二人を包む。時折吹く弱い風が、二人の頬をなでるように吹き抜けていく。

「……行こうか」

 沈黙を破った剛司は踵を返して一歩前に踏み出した。

「あ、あの!」

 咄嗟に憧が声をかけてきた。

「ど、どうしたの?」

 何か間違ったことでもしたのだろうか。剛司は自分の行動を振り返る。しかし剛司にはどこが悪いのか全くわからなかった。

 目の前の憧は俯いたままだった。剛司はその間も自分の過ちについて考える。

 そして少しの間が開いてから、憧は顔を上げて剛司に言った。

「手……」

「手?」

 剛司は自分の手を見た。特に怪我をしていたり、血が出ているわけでもなかった。憧の言いたいことが理解できず、剛司は視線を憧へと移す。

 憧は大きく首を横に振ると、俯きながら声を発した。

「そ、その……手を繋いでも……よろしいでしょうか……」

 徐々にか細くなる憧の声に、剛司はようやく憧の言いたかったことを理解した。瞬間、剛司の頬が熱くなる。憧も顔を先程以上に真っ赤に染めていた。

「えっと、その……」

 女性と手を繋ぐなんて剛司にとって初めての経験。異性と手を繋いだことなんて、今までの人生で一回あったか無かったか。正直はっきりと覚えていなかった。

 目の前の憧を剛司はしっかりと見据える。憧は俯いたままワンピースの裾の辺りをぎゅっと掴んでいた。その手は小刻みに震えている。

 瞬間、剛司は自分の情けなさに辟易した。

 自分のことばかり考えている事実が本当に嫌になった。

 どうして目の前の憧をもっと見てあげられなかったのだろう。

 自分よりも目の前の憧の方がもっと緊張していて、不安を抱いているのは当然のことだ。だって憧は初めて多くの人の喧騒であふれる場所に行くのだから。憧は自分よりも初めてのことが多いはず。それなのに自分が緊張していたら憧を余計に心配させるだけ。今の自分は憧の足を引っ張っているだけだ。


 変わらないといけない。


 剛司はゆっくりと手を伸ばして憧の左手を取ると、自分の右手に絡めるようにしてぎゅっと握った。

「あっ……」

「今日は僕がサポートするから」

「……ありがとう」

 憧のはにかんだ笑顔に、剛司の心配は完全にどこかに吹き飛んだ。

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