痛みと代償
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剛司が見えなくなるまで、朋は手を振り続けた。視界から剛司がいなくなったのを合図に、朋は右手をゆっくりと下ろすと、ブランコに腰を据えた。
静寂に包まれた公園に蝉の鳴き声が響いている。先程まで会話に集中していたせいで、蝉が鳴いていることに朋は気づかなかった。それぐらい今日の剛司の行動に影響を受けていたのかもしれない。
パラグライダーをしてから、剛司は本当に変わった。自分の意見を決して言おうとしなかった剛司が、自ら行動を起こして朋を呼び出した。過去の剛司からは考えられない行動。それに加えて剛司は自分の為ではなく、他人のために動こうとしている。自分のことでさえおぼつかなかった剛司が、一皮も二皮もむけて変わろうとしている。
剛司を動かしている原動力は何なのか。
どうして変わろうとしているのか。
朋は考えてもわからなかった。
ただ、一つだけわかることが朋にもあった。それは決して剛司には言えないこと。思っていても口にしてはいけないことだと自分でもわかっている。言ってしまえば、剛司との関係が一気に崩壊するのが目に見えているから。
胸が急に痛みだした。
朋は考えていることを捨てるため、一度大きく深呼吸した。新鮮な空気が体内に流れ込む。そして不要物だけが、取り込まれずに吐き出される。
しかし痛みは消えることなく、朋の中に居座り続けている。痛みの理由が朋にはわかっていた。
この痛みは、剛司に対する恐怖から生まれているのだと。
本来であれば親友として、良い方向に変わろうとしている剛司の背中を押すのが当然の行為なのかもしれない。でも、今の朋の心を徘徊するのは恐怖や嫉妬。剛司に対する負の感情しかなかった。
どうしてこんな気持ちを抱いているのだろうか。
先程まで目の前にいた剛司の変貌が信じられなくて、驚いているだけのかもしれない。そう思えたらどれだけ幸せなのだろうか。欺瞞で埋め尽くされた考えで自分を静止できるなら、それに縋りたいと朋は思う。
しかし胸の痛みは一向に消えず、朋の中に居座り続ける。
自分の甘えを、自己欺瞞を許してくれなかった。
朋はブランコの鎖を掴んだまま立ち上がると、数歩後ろに下がった。そして地面から両足を離すと、勢いのついたブランコが前後に振り子動作をはじめる。
ブランコに乗るのは小学生以来かもしれない。朋は目をつぶって昔のことを思い出す。
剛司はいつも朋の後ろをついてくる存在だった。幼稚園の頃から遊ぶ時は常に剛司が一緒だった。他の子と遊ぶ時でも、剛司は朋の傍を離れることはなかった。傍から見れば、剛司は朋の子分。そう思われても仕方のない関係。実際に言うことを何でも聞いて指示通りに動いてくれる剛司は、朋にとってとても居心地のいい存在だった。
家が近所で親同士も仲が良かったこともあり、剛司との関係は途切れることなくずっと続いていった。そんな二人の間には、歳を重ねても変わらない関係があった。常に何をするのか決めるのは朋。剛司は朋の言うことに従うだけ。力関係はいつも朋が上で、剛司が朋の上を行くことは決してなかった。
中学生になり、亮や光と頻繁に関わるようになっても、剛司は朋の上を行くことは一度もなかった。
これから先も剛司の上には自分がいる。
これは二人の間の普遍的な決まり事。
そんな思いが朋の中で構築されていった。
しかし今、そんな剛司との関係が変わろうとしている。
もし剛司が自分一人で何でも出来るようになったら。
剛司が朋の上を行ってしまったら。
剛司の変化が意味すること。それは朋からあるものを奪おうとしている。
朋は全てわかっていた。
剛司に感じる恐怖の理由を。
こうして胸の痛みがすべてを教えてくれている。
ブランコの振り子運動が止まり、朋は目をあけた。
スマホをポケットから取り出して、亮と光にメッセージを送った。おそらく二人とも良い返事をくれるはずだ。もし亮が合コンと言い出したら、意地でも諦めるように説得する。
剛司に頼られたこと。
剛司のために動くこと。
それが今の朋にとってわずかな希望だった。
剛司を支えているのは自分だ。
自分が助けてあげないと、剛司は何も成し遂げることができない。
そう思うだけで胸の痛みが消えていくのがわかる。
剛司に変わってほしくない。
ずっと今までと同じ関係であり続けたい。
剛司が頼ってくれるうちは、まだ自分が上だとわかるから。
ポケットにスマホをしまった朋はブランコから立ち上がり、公園を後にした。
先程までうるさく鳴いていた蝉の声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
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