光る靴

                ◇◇◇◇◇


 週明けの水曜日。剛司はタクシーに揺られていた。

 エンジンの音が響く車内には、運転手のおじさんと剛司の二人しかいない。先週の土曜日の車内とは違った雰囲気が、剛司の不安を少しだけあおった。

 赤信号になり、タクシーがゆっくりと速度を落として停車する。すると運転席の方からぷつぷつと音質の悪い声が聞こえてきた。業務連絡か何かだろうか。タクシーに乗るたびに、毎回無線機で何を伝えているのか疑問に思っていた。おそらく予約した人についてや、タクシーの台数がプールに少なくなったことを知らせていると思うけど、実際のところよくわかっていない。

 光ならわかるのかもしれない。

 しかし今日は光も朋も、それに亮だっていない。

「お客さん、今日はパラグライダーやりにきたの?」

 突然、運転手のおじさんが話しかけてきた。

「いえ。先週やりに来たんですけど、忘れ物しちゃって。今日取りに行くんです」

「そうか。学生さん?」

「はい。今日は講義がなかったので」

 大学の講義が唯一入っていない水曜日は、いつもだと朝からアルバイトを入れていた。でも今日はアルバイトを代わってもらった。一刻も早く取り戻さないといけない物があるから。


 結局、土曜日に家主が戻ることはなかった。

 温泉で疲れた身体を癒した剛司達は、当初の予定通りログハウスに向かった。しかしいくら待っても誰もいないし、戻ってくる気配もなかった。夜の山は視界が悪く、木々の葉擦れの音が恐怖をあおった。気温も思った以上に下がり、温泉で温めた体温が冷え切ってしまうほど。そんな状況だったため、二時間近く待った剛司は皆に帰ろうと切り出すしかなかった。

「青羽パラグライダースクールでいいんだよね?」

「はい。とりあえずそこまでお願いします」

 行き先に青羽パラグライダースクールと伝えていた剛司は、土曜日のことを思い出す。

 パラグライダーで飛んだ時の爽快感は、今になっても消えることはなかった。

 また飛びたいと思っている自分がいる。それくらいパラグライダーにはまってしまったのかもしれない。

 信号が青となり、タクシーが再び動き出す。乗車してから既に二〇分が経過していた。ふと外を見てみると、ディスカウントショップがあった。ここを超えるとスクールはすぐそこだ。

 膝の上に置いてあるリュックサックの中身を剛司はあさった。中には片方だけになった靴が入っている。皆との大切な思いが込められた靴。せっかく見つけたのにも関わらず、この間は手元に戻ってくることはなかった。でも、今日こそは絶対に持って帰りたい。家主がいることを祈りつつ腕時計に視線を移すと、時刻は午前一〇時を指す所だった。

「そろそろ着きますけど。どうしますか?」

「あ、すみません。えっと、青羽パラグライダースクール前の道を真っ直ぐ進んでもらうと二手に分かれる場所に着くと思うんですけど」

「ああ。あそこね」

「その手前に開けた場所があるので、そこに止めてください」

 剛司の指示に頷いた運転手のおじさんは、場所を熟知しているみたいだった。

 暫く会話のない静かな時間が流れる。剛司は再び窓の外を覗いた。ちょうどスクールの前を通りすぎたところだった。タクシーの旅はもうすぐ終わりをむかえる。

 ハザードを焚いたタクシーが開けた場所で停車した。運転手のおじさんに金額を言われた剛司は、財布からお金を取り出して支払い、おつりを受け取った。

「ありがとうございました」

 剛司はタクシーを降りてお辞儀をする。運転手のおじさんはにっこりと笑みを見せると、元来た道を戻っていった。

 今日も雲一つない青空が広がっていた。時折吹く穏やかな風が剛司の頬をなでる。タンデムフライトするには最適だなと思いつつ、リュックサックを背負った剛司は目的の場所に歩を進める。向かう先は、林の奥深くに見つけたログハウス。

 前回通った道は剛司の記憶にまだ残っていた。まるで自分がコンパスの針にでもなったかのように、目的地に向け自然と足が動く。

 暫く歩いていると、黄色のリボンが括りつけられた木を見つけた。光が目印としてつけてくれたリボン。これをたどっていけば、ログハウスに迷うことなくつくはずだ。急勾配の斜面に足を取られないよう慎重に進んでいく。

 土曜日。夜の帳が下り切ったこの場所は、不気味な雰囲気を醸し出していた。しかし今は全く不気味さを感じることがない。恐怖をあおっていた葉擦れの音も、今は安堵をもたらす最高の薬に変わっている。自然の様々な変化に、剛司は心を打たれていた。

 木々の間を抜けていくと、目的地となるログハウスが見えてきた。数日前と変わらず、同じ場所にあったことに剛司は安堵する。とりあえず靴の存在を確認しようと、剛司は窓からログハウス内を覗いた。

「真っ暗……」

 剛司の意図と反して口から言葉が放たれた。ログハウス内に明かりはついておらず、人がいる気配がない。もしかしたら今日も不在のまま時間だけが過ぎていき、靴を取り戻せないで終わってしまうかもしれない。

 とりあえず靴の存在を確かめようと、剛司は室内の奥の方に向けていた視線を手前に向ける。目線の先には、以前と変わらずもう片方の靴が置いてあった。その事実に安堵するも、家主が不在かもしれないと思うと、すぐに安堵は消えた。

 とりあえず本当に不在かどうかの確認だけでもしようと思った剛司は、玄関の方に向かい、そしてドアをノックしてみた。


 コンコン。


 周囲にノックの音が響き渡る。反応がない。もう一度と思い剛司は再度ノックした。木々のざわめきの中にノックの音が溶け込む。周囲に自然の音しか存在しないこの場所は、心のけがれを取り除いてくれる気がする。

 暫く待ってからドアノブを引いてみるも鍵がかかっており、結局家主は出てこなかった。

「やっぱり、今日もいないのかな」

 大きくため息を吐いた剛司は、背負っていたリュックサックを膝の上に置き、ドアに背中を預けた。

 今日は朝からこのログハウスにやってきた。この間は午後以降、いくら待っても家主が現れなかったから。だからこそ午前中なら家主がいるかもしれない。その可能性に期待をしていた。しかしその期待は見事に裏切られた。家主は結局不在のまま。まだ午前中だから諦める時間にはなっていないけど、このまま不在の可能性が高いことには変わりない。

 頭をかきむしった剛司は、水分を補給するためにリュックサックから水筒を取り出す。コップに麦茶を注ぎ、喉を潤す。時折吹く風がとても心地よかった。

 水筒をリュックサックにしまう際、持ってきた靴が目に入った。剛司はそれを手に取ってリュックサックから靴を取り出す。

 黄色のラインが特徴的なスニーカー。このログハウス内にある靴と対になるもので、剛司にとってなくてはならない大切な靴。今日はこれを絶対に取り戻すために来た。それなのに、弱気になり始めている自分がいる。

 手に持っていた靴を右側に置いた剛司は、自らの頬を叩いて気合を入れなおした。

 大丈夫。絶対に靴は戻ってくるはず。皆がくれた靴は、奇跡を運んでくれるんだから。

「うっ……」

 突然、右目の視界が真っ白になった。思わず右手で光を遮る。突然の明順応に理解が追いつかなかった剛司は、明るさに慣れてきた目を光っているものに向けた。

「靴が……」

 剛司の靴が虹色の光に包まれていた。その神秘的な現象に剛司は呆気に取られる。

「いったい何が……」

 そう思ったのも束の間、さらにあり得ない現象が剛司を襲った。

「う、浮いてる……」

 光を放ったまま靴が浮かび上がったのだ。まるで命を吹き込まれているかのように。

 目の前で起こっている超常現象に、剛司は腰が抜けてしまった。そんな剛司の様子を当然知るよしもない靴は、暫く剛司の周りを浮遊したかと思うと目の前にゆっくりと降りてきた。

 何が起こっているのか理解できない剛司は、とりあえず両手で受け皿を作って靴を受け止めた。手に靴の重みがしっかりと伝わる。それでも依然として靴は光を放ったまま。

「一体、何が起こってるんだろう」

 考えてみるも理解できるわけがなかった。靴が光ったり、羽もないのに浮かんだりと、現実だとあり得ないことが目の前で起こっているのだから。

 手元の靴をどうすべきか考えていると、さらに靴が光を強く放った。思わず剛司は目をそらしてしまう。暫くして手元に視線を移すと、先程まで光っていた靴が光を失っていた。代わりに七色に輝く光の玉が、剛司の目の前を浮遊し始めた。

「な、なんだよこれ……」

 まるで電気を帯電したかのように空中に浮いている光の玉は、暫くその場で滞留し続けている。とりあえず剛司は手元の靴を確認してみることにした。しかし、先程まで光を帯びていたはずの靴には、特に異常が見られなかった。

 突然光り出した靴。そしてその光は今、自分の目の前で浮いている。あまりにも予期しないことが立て続けに起こり、剛司の頭はすでにパンク寸前の所まできていた。そのせいで、冷静に物事を考えることができていない。

 そんな剛司をあざ笑うかのように、空中に浮かんでいる光の玉は八の字を書くように動き始めた。そして暫く動き続けた光の玉が動きを止めた瞬間、剛司に向かって飛びかかってきた。

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