願い

                ☆☆☆☆☆


 彼女は空からの落とし物を集めて暮らしている。いったい何をしているのだろうと思う人がいるかもしれない。でも、これは彼女にとってやらなくてはいけないこと。

 人間というのは生きることが第一の仕事だ。それは彼女にとっても同じ。生物として生まれてきたのだから当然であり、その役目を果たすために第二の仕事をこなしている。学生の第二の仕事は勉強であり、社会人にとっての第二の仕事はまさに第一の仕事に直結する。

 それは彼女の世界でも同じことだった。彼女にとって第二の仕事は学生の勉強と似ているが、とらえかたによっては仕事とも受け取れる。

 彼女の仕事は空からの落とし物を集めて、取りに来てくれた持ち主に返すこと。与えられた仕事を全うするために、こうして崖下の林の奥深くにあるログハウスに身を潜めていた。

 今日も空から落とし物が届けられた。黒色の下地に黄色のラインが入った靴。靴の形から左足に履く靴だということがわかる。

 彼女はいつもこうして落とし物を拾う作業を行っていた。おかげで落とし物はたんまりと溜まっていく日々が続いている。一番多いのは靴で、次に多いのは手袋。どちらも片方だけしか落ちてこないというのも妙な気もするが、持ち主と出会うための鍵になっているのだから仕方ない。おそらく偉い人が仕組んでいるのだと彼女は思っている。

 しかし彼女の仕事は、仕事とは言わなかった。仕事とは一つの決められた作業を漏れなく最後までやることなのだから。

 彼女の仕事は落とし物を集めるだけではない。集めた落とし物を持ち主に返さなくてはいけない。ここまで行って初めて一つの仕事を成し遂げたと認められる。当然持ち主に返す仕事もこなさなければいけない。

 でも、それができないのが彼女にはわかっていた。持ち主は拾い始めてから一度たりとも現れたことがなかったから。この二年半以上、誰一人として取りに来た試しがない。つまり彼女の仕事は一度も成し遂げられたことがなかった。

 このまま限られた時間までずっと成し遂げることができない。持ち主に落とし物を返すことなく時間が来てしまう。そう思っていた。


 ただ、今日だけは違った。


 誰も来ないと思っていたログハウスに初めて人が現れた。しかも四人組の男性。

 彼女は気づかれることはないとわかっていたが、とりあえず念の為に部屋の電気を消した。

 そして恐る恐る小窓から外の様子を窺う。すると、突然ドアがノックされた。ぴくっと身体を震わせた彼女は、忍び足でドアの付近まで近づき片耳をドアに付けた。


「すみません。誰かいますか?」


 男性の声が彼女の耳に響く。初めての訪問者に彼女の心臓は尋常ではない速さで動いていた。もしかしたら、初めて落とし物を取りに来てくれた人が現れたかもしれない。そう思うだけで、胸の高鳴りが止まらなかった。

 外で何やら会話が進んでいる。彼女は取りに来てくれたかもしれない持ち主の顔が、無性に気になった。ドアに預けていた身体を起こし、再度窓辺の方に向かう。今日の落とし物なら外からでも見える位置に置いてある。もし本当に持ち主が現れたのなら、この窓から靴を探してくれるかもしれない。

 そんな期待を抱きながら窓辺に向かった彼女は、瞬間の出来事に硬直した。

 双眸に映ったのは一人の男性の姿。期待していたとはいえ、突然の出来事に身動きがとれず、ただただその姿に魅了されていた。


「あった」


 窓越しだが、確かに彼が「あった」と呟いたのが聞こえた。

 何があったのか聞き取れなかったけど、彼は間違いなくこの窓際に置いてある靴を見て言ったはずだ。彼女はこの人が落とし物の持ち主だと確信した。

 でも一つだけ疑問に思うことがあった。それならどうして彼は落とし物と対になるものを持っていないのだろうか。それがここの扉を開く鍵になるはずなのに。

 もしかしたら違うのかもしれない。

 脳裏に残る一抹の不安。それでも彼が間違いなく落とし物の持ち主のはず。


 確認したい。


 目の前の窓を開けて、今すぐにでも彼に問いかけたかった。しかしそれは彼女には許されていないこと。持ち主と会うためには条件がある。

 どうしてこんな条件があるのだろう。こんなに厳しく制限をかけなくてもいいと思うのに。そう思うのだが、それらの条件を呑んでこの場所にやってきた。仕事には困難はつきもの。それは誰にも平等に降りかかること。彼女も例外ではない。

 外を見ると、四人組の男性は斜面を上って行ってしまった。


 また駄目だった。


 自分も母親みたいに立派な大人になる。この世界で立派に成長して一人前になる。そして自分が心から好きと思える人と出会う。その願いを叶えるためにここに来た。でも、このままでは何一つ達成することなく終わりを迎えてしまう。

 部屋の片隅に立てかけられた箒を見て、彼女は決心を固めた。

 やはり一番効率の良い方法でやるしかない。怖がってばかりではいつまでたっても仕事を完遂することができない。


 どうして自分は空を飛べないのか。


 ずっとそのことで悩んできた。理由だってわかっている。だけど、どうしても一歩踏み出すことができなかった。


 もし空を飛べたのなら、直ぐにでも持ち主の元に返しに行けるのに。

 もし自分に自信を持てれば、怖さなんてすぐに克服できるのに。

 もし自分が変われるなら、こんな弱い自分を捨てて生まれ変わるのに。


 本来なら飛べるはずなのだから。元来飛べる種族に生まれてきたのだから。

 だって私は――。

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