テイクオフ
「よし、成功したな」
青羽が胸を躍らせる。光と新見は二人して自然の中へと飛び出していった。
「すげー。飛んだぜ。光、空を走ってたよな」
「うん。凄い勢いで駆け下りていったね。あれくらい走るのか」
亮と朋は興奮を抑えきれない様子で飛び立った光を見つめ続ける。徐々に遠くに離れていく光の姿は、まるで鳥のようにさえ思えてくる。暫くの間、光の姿を目で追っていると青羽が動き始めた。
「さてと、次は誰かな?」
「僕です」
青羽の声に剛司は反応する。
「剛司頑張れよ」
「落ちるんじゃねーぞ」
茶化してくる二人に向け、剛司は親指を立てた。
「緊張してないか?」
「……大丈夫です」
「よし。空は君を待ってるからな。必ず成功する」
お尻を叩かれ、剛司は気合が入った。青羽や新見、それに友恵が言っている素晴らしい世界に自分も早く飛び込みたい。不安という二文字はいつの間にか剛司から消えていた。
ハーネスを受け取った剛司はショルダーベルトを両肩に入れ、両足のレッグベルトに続きチェストベルトを締め、身体に装着する。
「ちゃんとフィットしてるか?」
「はい、大丈夫です」
「どれどれ」
青羽は剛司のハーネスの状態をチェックする。
「もう少しきつくできるだろ」
「む、無理ですよ」
苦笑を浮かべた剛司は十分締めつけられている気がした。それにこれ以上締めつけるとなると、男にしかわからない苦悩を味わうことになる。
しかし、青羽はそんな剛司の抵抗を見逃さなかった。
「レッグベルト、もっといけるだろ」
「い、いけませんって……ああ……」
剛司は抵抗しようと試みるが、青羽に足を掴まれると若干緩んでいたレッグベルトが先程以上にきつく締まった。
「よし。これくらいがベストだ。どうだ。股間の締まり具合」
「青羽さん、知っててやりましたね」
「当然だ。でも、これくらい締めないと危険だからな」
「そ、そうですね」
安全のためだと思い、剛司も納得するしかなかった。しかし、気になって仕方がない。どうにかして股間の安全地帯を探ってしまう。
「あとはヘルメットをかぶって少しだけ待っててくれ。ちゃんときつく締めるんだぜ」
そう言い残して青羽は別の準備に入った。友恵と一緒にキャノピーやそこから伸びているライン、ライザーのねじれや絡みがないか入念にチェックする。
剛司には何を確認しているかわからなかった。それでもこれも安全のためにやってくれているということだけは理解できる。
「大丈夫そうね」
友恵の声と共に、青羽が剛司の元に戻ってきた。
「さあ、準備はいいかな?」
「だ、大丈夫です」
「緊張してるだろ」
「……はい」
いよいよ飛ぶ。その意識が剛司の緊張をより強固にさせる。
「いいか。とにかく走る。それだけ考えてれば大丈夫。後は俺が導いてやるから」
青羽はそう告げると剛司のハーネスをライザーに取りつけ、カラビナでしっかりと固定した。
「パラグライダーの味を堪能してくれ」
青羽の声がけと共に、剛司は一回深呼吸をした。
目の前に広がる自然。その中を鳥のように飛ぶ。パラグライダーやハングライダーでしか味わうことができない体験は、剛司にとって一皮も二皮もむける絶好の機会かもしれない。
「友達、無事にランディング……着陸したってよ」
「は、はい」
剛司は光の無事を確認しほっとするも、未だに不安と高揚がないまぜになっていた。それでも今日ここで飛ぶことが、変わるきっかけになるのなら。
いつもうるさい亮も、この時ばかりは固唾を呑んで剛司を見守っていた。朋も同様に剛司の行く末を見守る。
「よし、走って」
青羽の合図と共に剛司は強く地面を蹴った。腕を振り、いつも以上に懸命に走る。
「いいぞ。もっと走ろうか」
後ろからの青羽の声につられ、剛司はさらに加速するため足の動きを速める。そして、緩勾配から急勾配に差し掛かった瞬間だった。
「あっ」
剛司は大事なことを確認し忘れていたことに気づいた。しかし、急には足の回転を止めることができない。
「さあ、行くぞ。最後まで駆け抜けろ!」
剛司の様子に気づいていない青羽は、剛司の尻を叩くように声をかける。
急勾配に差し掛かった瞬間、起きてほしくないことが起こってしまった。
剛司の左足の靴が脱げたのだ。
しかし剛司には靴を気にする余裕はなく、ひたすら急勾配を駆け下りるしかなかった。
そしてふわりと風に煽られたかと思うと、足元の感覚がなくなった。それでも剛司は青羽の忠告通り、ひたすら足を動かし続ける。
「よし、成功だ。見事な走りっぷり。やったな!」
両足の動きを止めた剛司は、疲労が溜まった足を休めるためにハーネスに身を委ねる。
「凄い……」
目の前に広がる光景に剛司は言葉を失った。
自分が何処にいるのかわからなくなるくらい、頭が真っ白になる。
「どうだ。気分は?」
「さ、最高です」
「そうか。ようこそ、空の世界に」
青羽や新見、友恵が言っていた世界についに飛び込んだ。
テイクオフポイントから見えていた一帯を、鳥のように飛んでいる。まるで羽が生えたかのように、目の前に広がる土地を見下ろしている事実が今でも信じられない。
剛司は前方遠くに見える山を見た。筑波山だ。後程行こうと思っていた山も、パラグライダーでなら今すぐ飛んで行けてしまう気がする。まるで鳥のようにこの雄大な地球を飛び回っている事実に、剛司は心を奪われていた。
「今日は絶好のフライト日和だ。風も穏やかで揺れが少ない」
青羽の言葉に、今まで疑問に思っていたことを剛司はぶつけた。
「風が強いほうが飛ぶんじゃないですか?」
「いや。風は穏やかなほうがいいんだ」
「どうしてですか?」
「強風が吹いていると操縦が普段と比べて難しくなる。それにタンデムフライトはそこまで高さを求めないし、揺れないほうがいい。実際にパッセンジャーの中には揺れが怖いっていう人もいるしな」
青羽の言葉を聞いた剛司は、今まで感じていた不安がいつの間にか消えていることに気づいた。不安どころか、もっと飛んでいたいという高揚感に満たされている。
「もっと高く飛んでみたいですね」
「おっ、君も魅力に取りつかれたか。それじゃ、普段はやらないけど少しだけ狙ってみるか」
そう言った青羽は、ブレークコードを巧みに操り旋回を始めた。左のブレークコードが引かれ、機体が左に曲がり始める。それと同時に、先程よりも短い時間で降下しているのが剛司にもわかった。
「あの、高度下がってますよね?」
「ああ。でも、もしかしたらあるかもしれない」
周囲を見渡す青羽はとある方向に向かって機体を操っていた。
剛司の目の前には鳥の姿が見える。
「
「あれは
剛司達の近くには、鳶が群れをなして飛んでいた。羽ばたく素振りをみせず、翼を固定したまま気持ちよさそうに飛んでいる。
「もしかしたら良いサーマルに乗れるかもしれない」
青羽は鳶の近くで旋回を繰り返す。青羽の発言の意味を剛司は考えてみるも、何が起こるのかわからなかった。
青羽に聞いてみようと思った瞬間、その時は一瞬にして訪れた。
見えない力に身体がふわっと浮く感覚。これでもかというくらい、風の力に押し上げられるのがわかった。
「す、凄い。上昇してますよ」
「ああ。しかもこいつは凄い。ブルーサーマルだ。頭上を見てみな」
剛司は言われるがまま上を見上げた。
雲一つない、突き抜けた青空が剛司の視界に広がっていた。
耳をすますと、風を切り裂く音しか聞こえてこない。
「ブルーサーマル……」
知らないはずなのに、その響きだけで青羽の言う言葉の意味がわかった気がした。上昇した先に見えるこの景色を見たら、嫌でもわかってしまう。見渡す限りコバルトブルー一色の空が剛司を包み込む。まるで綺麗な海の中を泳いでいるような錯覚に襲われる。
素晴らしい景色の連続に、剛司は興奮が中々冷めなかった。
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