ココロノスキマ
三人揃ったところで、光の待つ場所に向かった。未明に降った雨のせいで、ところどころに水たまりができている。たまに吹く冷たい風が七月上旬だということを忘れさせた。休日の駅前ロータリーは閑散としており、平日に見られる喧騒は見られなかった。
「うわっ、チャラい」
光の最初の発言もやはり亮の服装についてだった。亮の姿を見れば、誰だって口をそろえて同じことを言ってしまう。
「まあまあ、着替えあるんで」
光の指摘を意に介さず助手席に乗り込む亮に続き、剛司と朋も後部座席に乗り込む。これから筑波山近くまでの長いようで短い旅が始まる。
「目的地までは二時間ちょっとかな。まあパラグライダーの時間が一〇時からなので、渋滞も考えつつ行きましょうか」
「早く行こうぜ。レッツゴーだ!」
亮の掛け声と共に、光がハザードを消してウィンカーを出す。ワインレッドのミニバンが
「そういえば、誰か音楽持ってきた人いる?」
「あ、俺持ってきたぜ」
真っ先に助手席に座る亮が手を挙げた。
「それじゃ、かけてくれ」
「はいよ」
ウォークマンの音楽をカーオーディオに接続した亮は再生ボタンを押す。暫くしてイントロが流れ始める。
「あれ? これって……」
剛司は流れてくる曲を聞いたことがあった。
「おっ、剛司わかっちゃうかー」
「これは有名だよね。えっと、曲名は『ココロノスキマ』でアーティストは……誰だっけ?」
曲名は知っているのに、アーティストが出てこない。芸能関係の話に剛司は少し疎い所があった。
「
「お、流石データベースの光。やるねー」
「ちなみに自分達と同い年だ。しかも同じ埼玉県出身!」
詳細を事細かに語る光に、剛司は驚かずにはいられなかった。もしかして光は大空楓のファンなのかもしれない。
「詳しいね、光。俺もこの曲知ってるよ。良い曲だと思う」
朋の発言に気をよくしたのか、亮は後部座席の方に身体をひねると笑みを見せた。
「俺さ、この歌の特に詩が好きでさ。楓が書いてるって知ったときにファンになっちゃ――次、次の歌詞。注目な」
亮の指摘に皆が一斉に口を閉ざす。曲はAメロが終わり、サビ前のBメロが流れようとしていた。
周りの音かきけしたくて
音量あげたイヤフォンから
漏れるココロの叫びを
誰かに聞いてほしかった
透き通る声に乗せて剛司の耳へと歌が届いた。何か訴えかけられている気分になってしまう。
そして曲は一気に盛り上がるサビに入る。サビはBメロと違い、爽快感溢れる曲調だった。
「な、な? この歌詞すげーだろ?」
「そうだな」
「ま、まあ。良いと思うよ」
絶賛する亮とは対照的に、光も朋も乗り気ではなかった。
「おいおい、二人とも。どうしてこの詩の良さがわからないんだ」
頭を抱える亮に、データベースの光が口を開いた。
「自分が考えるに、この歌はメッセージ性が強すぎるんですよ」
「おう。俺もそう思うぜ光。それなら何故――」
「この歌は楓ちゃんに合わないんだよ」
「合わないだと……」「ふ、楓ちゃん?」
光の語気の強さに亮は委縮する。剛司は光の発言に思わず声を上げた。
「ああ、楓ちゃんだよ。楓ちゃんはもっとキャピキャピした曲が似合うアイドルなんだよ。もっと甘々なテイストの曲を歌ってもらったほうが自分としては好きだ。そう、例えば『Feeling to overflow』のような歌をもっと歌ってほしい」
珍しく熱弁をふるう光の様子を見て、剛司は確信した。光は間違いないく大空楓のファンだと。
「まあまあ。それより、亮はどうしてこの曲が好きなんだ?」
朋の指摘に、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに亮は語りだす。
「さっきの詩だけど、たぶん楓の実体験だと思うんだよ。何かに悩んでいて、自分だけの世界に入りたいと思っている人がいる。楓はその人を見ている側。そして、楓の耳に聞こえてくるわけだ。その人のイヤフォンから漏れるココロの叫びが」
「それって、まんま詩を説明してるだけじゃない?」
「うぐっ……ま、まあそうとも言える。でも、誰にも言えない思いや悩みを誰かに聞いてほしい時ってあるだろ? 誰もがその傷を叫ぶっていうか」
「もっとまとめてから話してよ」
支離滅裂になりかけた所で、亮は頭を抱えた。そんな亮の姿を、朋も光も柔和な笑みで包み込む。車内の空気が、アウトロに差し掛かったメロディと共に和んでいく。
二人が笑みを見せた一方で、剛司には亮の言いたいことが何となくわかる気がした。
この詩は剛司の心に深く残るものだったから。曲を聞くたびに、まるで昔の自分のことを言われている気分になる。何も言えずにいた中学生の頃。皆の敷いてくれたレールの上をひたすらに進んでいた自分を思い出す。
「あ、そうそう。ここでビッグニュース!」
「また楓ちゃん関連か?」
「そうそう。流石、光はわかってるね」
「それで、何でしょうかチャラ男君」
ETCゲートを抜けた瞬間、光はアクセルをべた踏みする。周囲の景色が一気に流れていく。
「えっと、再来週の金曜日なんだけど」
わざと咳払いをした亮は、一拍置いてから言った。
「なんと、楓と飲むことになりました! はい、拍手」
パチパチと亮の手拍子だけが鳴り響く。車内の誰も声を発する気配がない。
「おいおい。ビッグニュースを言ったのに、このテンションは何だよ?」
「う、嘘だよね?」
剛司が恐る恐る亮に声をかけた。アイドルと飲めるなんて普通ではあり得ない。常軌を逸した発言をする亮を疑うのは無理もない。
皆の反応は当然だった。だけど――。
「嘘じゃないんだな、これが。なんとテレビの収録の後に花加で飲むんだって。その情報を聞いた友達は飲み会に参加するらしく、その子に俺は楓の曲の良さを熱弁しまくった。アピールしまくった。そしたらなんと、飲み会に来ないかってお誘いがきたんだわ。やばくね?」
すると急に車の速度が増した。度肝を抜かれた剛司は運転席にある速度計に視線を向ける。速度計は一〇〇キロをゆうに超えて一四〇キロを指していた。
「て、天堂君!」
「情報通の自分が知らなかったとは。なんという不覚! しかも自分行けない」
悔しさをぶつける光は、追い越し車線に移るとアクセルをさらに踏み込んだ。
「光は無理か。残念だな。っと、朋はどうなの?」
「ごめん、俺も無理だわ。その日ちょっと用事があって」
「ふーん。了解。みんな無理か……」
「一ノ瀬君。僕を忘れてるよ」
剛司は身を乗り出して、亮に詰め寄った。
「ごめん。ごめん。わざとだって。なんかお決まりじゃん。一人無視するのって」
「というか、後ろのお二人さん。シートベルトつけてください」
光の忠告に剛司と朋は急いでシートベルトを着用する。先程までの速度は一瞬の出来事だったようで、速度計は八〇キロを指していた。
「何か話の腰を折られた感があるけど」
亮が苦笑を浮かべながら剛司を見つめる。
「剛司は行かないだろ?」
先程までのテンションとは打って変わり、亮の冷めた声が車内に響いた。
「ど、どうして行かないって決めつけるのさ」
「だったら、剛司は行くのか?」
「そ、それは……」
亮の問いに剛司は答えられなかった。
「やっぱり。行く気ないじゃん」
「だ、だってまだ二〇歳になったばかりだし、お酒だってまだ飲めないし」
「別にソフトドリンクでもいいと思うけど。楓だってお酒飲まないと思うし」
「ちなみに楓ちゃんは九月生まれ。まだ一九歳です」
すかさず光は楓ちゃん情報を流してくる。データベースと亮に言われるだけのことはある。
「とにかく、剛司は些細なことをいちいち気にしすぎなんだよ。もっと自信持て。行きたいなら行く。行きたくないなら行かない」
「う、うん……考えとくよ」
「……まあ、行きたくなったら前日までならどうにかするから」
亮の指摘は剛司の胸を突くには十分だった。
剛司は昔の自分を脱却したと思っていた。大学も自分が行きたい場所を選んだし、アルバイト先だって自分で選んだ。人に従ってばかりいた昔の自分を抜け出せたはずだと。
でも、今の亮の発言で気づかされた。
剛司はまだ昔の自分の殻を破ることができていないと。
今のままだと、昔の自分と何も変わらないまま。ずっと相手の顔色を窺いながら、人に合わせて生きていくことになる。
しかし大きく自分を変えることが、剛司にはとても怖かった。もし変われたとしても、新しくなった自分を受け入れてくれるのか。ずっと他人任せにしてきた自分が、突然自分本位な行動を取ったとき、周囲の皆はいつものように接してくれるのか。大きな変化は剛司にとって恐怖でしかない。
心の中で繰り返される自問自答を、剛司は皆に聞いてほしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます