11-4

 スコップを持った手が止まる。

 なぜ。

 どうして、あのときの兄と同じことを、杉本は言うのか。

 血の気が引いた。弥絵はよろめいて膝を崩した。地面にぺたりと座り込む。

 「弥絵ちゃん? 大丈夫?」

 「どうして……同じこと、言うの」

 自分の声が震えていることに弥絵は気づかなかった。

 「同じことって?」

 小さな声が、耳許で大きく聞こえた。

 説明する気にもなれず黙っていたが、杉本はそれ以上追及してこなかった。

 座り込んだ弥絵に手を貸そうとした杉本は、顔をしかめてしばし動きを止めた。

 「おわっ……僕も、脚がしびれた……」

 彼も脚を崩すと草の上に座った。ふうと息をつく。ちらりと弥絵を見て、杉本は放心している彼女の頭に手を乗せた。

 「あのね、なんて言えばいいのか判らないんだけど」

 「え?」

 「一志くんに頼まれたんだ。弥絵ちゃんのこと」

 頼まれた?

 あたしの、なにを頼んだの? どういうこと?

 お兄ちゃんは、深入りするなって言ってたのに。どうして?

 杉本は子供をあやすような仕種で、混乱する弥絵の頭をゆっくりと撫でた。

 「不思議に思うよ。どうしてこの村のひとたちは、ここを離れないのか」

 先日、弥絵も同じことを考えたばかりだった。

 その答えは、ほかに行くところがないから、だと思う。

 それを口に出す前に、杉本が意外なことを言った。

 「自分の命を危うくする花が咲いているのにね」

 弥絵は目を見開いた。

 「……知ってたの、毒のこと」

 杉本は頷いた。

 「知ってたよ。僕の専門、薬毒物だって知ってた? 芝さんにこの件頼まれたのも、それが理由だよ」

 そんなこと知るはずがない。思わぬ不意打ちに弥絵はかっとした。杉本ににじり寄り、白衣の裾をつかんだ。頭を撫でていた手を、勢いで振り落としてしまった。

 「お兄ちゃんが、死んだ理由も、知って……」

 「……ごめんね。知っていて、助けられなかった」

 応える言葉を、弥絵は持たなかった。

 ただただ頭が真っ白になった。

 「いま、解析を進めているから。弥絵ちゃんのことは……村のみんなのことも、きっと助けるよ」

 「助けるって……どうやって……」

 「毒の主成分が判れば、解毒薬をつくることができる。……多分」

 呆然とする弥絵に向かい、杉本は穏やかに語りかけた。

 「本当は、ペインの栽培をやめるのがいちばんいいんだ。けど、ここの村人の生活はどうなるんだって、浪岡にまで言われるし」

 「浪岡……?」

 「あ、いま来てるともだち。阿香出身の人だよ」

 そんなひとのことは知らない。そういえば、診療所にずいぶん行っていない気がする。自分の知らない間に、いったいなにが起こっているのだろう。

 「お墓、つくろうか。手伝ってもいいかな」

 「……うん」

 毒気を抜かれた弥絵は、素直に彼の手を借りて立ち上がった。いつしか辺りは薄暗い。このままでは完全に日が暮れてしまう。

 弥絵はスコップ、杉本は彼女の軍手を嵌めて、両手で地面を掻き分けた。

 「あ、さっきの話だけど」

 「……なに?」

 いろんなことを聞きすぎて、どの話だか判らなかった。

 「僕と一緒に、東京へ行く?」

 「なっ。なんでそんなこと言うの?」

 思いきり、地面にスコップを突き刺す。

 「お兄ちゃんに頼まれたのってそういうこと?」

 「うん、まあ……だってさ、ひとりで暮らすなんて寂しいよ。東京の学校に通って勉強して、医者になりなよ。看護師でもいい」

 弥絵には、兄の行動の意味が理解できなかった。彼は自分の死を予感していたのだろうか?

 どうして弥絵のことを、杉本に頼んだのだろうか。

 「医師にそこまでしてもらう理由ないんだけど!」

 弥絵は声を荒げた。杉本が寂しそうな表情を見せたので、どきっとする。言いかたがきつかっただろうか。

 「やっぱり、芝医師と一緒のほうがいい?」

 「別に……そういうのじゃないよ。芝じいには迷惑かけられないもん」

 芝じいは他人ではないけれど、やっぱり他人なのだ。

 おかしな遺言を遺した兄を恨みながら、口を引き結んで地面を掘った。

 「ともだちなんだから、僕が手助けしたっていいじゃないか……」

 「と」

 驚きすぎて、弥絵の声は裏返った。

 「と、ともだち?」

 「そう思ってたけど。違うの?」

 否定も肯定もできなかった。弥絵自身は、医師をともだちだなんて思ったことはない。

 ただの一度も、ない。

 弥絵は顔を伏せた。

 「え? どうしたの、弥絵ちゃん」

 笑っていいのか泣いていいのか判らなかった。

 弥絵はおろおろする杉本の横で、顔を隠したまま肩を震わせつづけた。

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