10-5

 浪岡はゆっくりと説明をはじめた。

 花の香気がより高くなる年や季節、時刻があり、決まって死者が多く出た。その頻度は不規則だが、空気や風向きである程度予測することができる。彼が幼い頃は風を読む老婆が住んでいたが、もう存在していないのだろうか。

また、死者が出やすい家、というものが存在した。長年の経験から村人はそれを「風の通り路」のせいだと理論づけた。確かに、風向きが悪いと判断された家屋を撤去してから、死者の数は激減したらしい。だからこの集落では家が寄り集まっておらず、まばらに建っているのだ。彼はそれを祖父から聞いた。

 事情を知らない他地域の若者を使い、危険な作業に従事させることもあった。死ねば事故として扱い、死ななければ多額の賃金を与えて解放した。

 皆、口に出さずとも後ろめたさを持っていたのかもしれない。貴重な花を守るためにも排他的になり、周辺の住民との交流も次第に途絶えた。いつのまにか、新たな入居者には後ろ暗い過去を持つ者が多くなっていったように思う。もっとも、他人には構わず静かに暮らしたい住人ばかりだったから、集落内ではさしたる波乱も起こらなかった。

 彼自身の両親も、ある党派の活動家だった。内部紛争に嫌気がさして静かな生活を望み、祖父の暮らしていたこの村に移り住んだのだ。そして十数年の後、ペインに殺された。

 「毒があることなんて承知でやってるんだ、篠沢は。自分の手を汚さず、立場の弱いやつを使って金を得る構図は今も同じなんだろ……」

 浪岡は低い声で続けた。

 「それから、これは大きな声じゃ言えないが」

 村人は免疫のため、あることを繰り返していた。

 「血を濃くするために、血縁同士での婚姻が多いんだよ。この田舎の因習」

 「ああ、いとこは結婚できるよね」

 「いとこじゃないのもいる」

 「……え?」

 「籍を入れない夫婦も多かった。子供の戸籍がどうなってんのかは知らないけどな」

 杉本はそれを聞いて頭を抱えた。

 「……免許を持たない子が車を乗り回すし……この村、無茶苦茶だよ……」

 杉本は頭を抱え込んだ。

 「そうだったのか……。知らないで働かされているわけじゃないんだね。承知の上だったなんて、僕の理解が浅かったみたいだ。じゃあ、告発なんて大きなお世話なのかな……」

 「いや。おまえ、芝じいに頼まれたんだろ? そろそろ潮時だと俺も思ってるんだ。村を潰すつもりでやるといいよ」

 浪岡は自嘲気味に口の端を持ち上げた。

 「確かにな、運が悪いと死ぬ。でも交通事故程度の確率だから、言ってみれば都会とそう変わらない。人間ってさ、毎日危険に晒されてるなんて意識しないで過ごしてるだろ? 杉本、おまえも。みんなさ、麻痺してるんだ」

 杉本はうつむいたまま答えなかった。浪岡は厳しい口調で続けた。

 「俺はあの花が嫌いだった。あんなもので生活を支えるのはいやだった。だから、逃げたんだ。けど、今度は……」

 窓の外で微かな音がした。

 浪岡が立ち上がりカーテンを開けると、しゃがんでいる女性の姿が見えた。浪岡の知らない村人だった。

 「大丈夫ですか」

 「あ、あの」

 声をかけると、泣き出しそうな表情を浪岡に向けた。ひどく顔色が悪い。

 「あ、宣子さん。どうしたんです」

 杉本が窓に近づいて、彼女に声をかけた。

 「ごめんなさい……わたし、あの、煮物を……いま、こぼしてしまって」

 「あらら」

 見ると、大きなタッパーごと煮物の中身が地面に転げ落ちていた。里芋、人参、蓮根、筍、椎茸、いんげん。宣子は小さな手を伸ばし、散らばった中身を容器に戻している。

 「あとで片づけるから、拾わなくていいですよ。食べられなくて残念だなあ」

 「ごめんなさい。ぼおっと歩いていたら、つまづいて……」

 「え、怪我しませんでした? 診るから入ってください。手も洗ったほうがいいし」

 杉本の指示で、彼女は室内へ入ってきた。意気消沈した面持ちだった。

 汚れたタッパーを持って奥の台所へ向かう途中、彼女は浪岡と視線を合わせた。お互いに軽く会釈をした。水の流れる音がして、手を洗い終えた宣子が足音も立てず診療室へ戻ってゆくのを彼は見送った。

 元気がないようだが、ペインに犯されているわけではあるまい。前日まで元気だった者が突如として倒れる。それがあの毒の特徴だった。

 数十分の後、診療を終えて彼女は出ていった。

 三本目の煙草を吸いながら待っていると、杉本が沈んだ表情で戻ってきた。

 「宣子さんていうんだ。一志くんの恋人だった」

 「……そうか」

 浪岡は携帯用灰皿に煙草を押しつけ、火を消した。

 「かなり参ってるみたい。僕まで辛い」

 精神安定剤、もしくは睡眠薬。あの様子を見れば処方箋は想像に難くない。

 心が痛んだ。好きな相手をあの花に奪われた辛さは、彼にも解っていた。

 ひとつため息をつくと、浪岡は持参したトランクの中を掻き回した。

 分厚いファイルを取り出し、杉本の前にどさりと置く。

 「これ。芝じいからお土産」

 「これは……」

 いちばん上に乗っていたファイルに手を伸ばし、書類をめくる。杉本の手が止まった。

 「すごい……」

 「これで全部じゃないぞ。データも合わせて、三十年分くらいあるってさ」

 ペインに関する研究資料。

 何物にも代えがたい、芝医師からの贈り物だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る