女のワタシと男のアイツ

アキ

第1話 ちょこっと冒頭

どうして、わたしは男に生まれ落なかったのか。



「ねぇ、邪魔なんだけど」


放課後のとある教室。曽根倉乃そねくらのは、背後から掛けられた声に肩をビクリと震わせた。今、教室にいるのは完全に自分だけだと思っていたせいか、心臓がバクバクと鳴っている。


流す程度に目を通していたファッション雑誌をパタンと閉じると、先ほどの科白の発信源の方へと体を向ける。そこには、倉乃が帰りを待ちわびていた色白の青年が立っていた。


「そこ、俺の席なんですけど」

「ちょっと借りただけだよ。ケチんぼ」


倉乃はおどけて舌をちろりと出すと、渋々といったていで座っていた椅子を本来の持ち主へと譲った。


「で? 進路面談の方はいかがでした?」

「いい感じっすね。ほら」


色白で地毛が茶色の少年、瀬川悟せがわさとるが、一枚の厚紙を手渡してきた。

某国立大学にB判定が出ている。それも所謂難関と呼ばれるたぐいの。


倉乃の鞄にも同じ厚紙が入っている。先日、校内の生徒は一斉に模試を受け、今日がその返却日であった。その結果に応じての面談も今日から始まり、倉乃は悟と同じ日の違う時刻に面談を済ませた。

が、違うのは印字されている内容。悟はクラスの学級委員長も務めて成績優秀。某国立大学の法学部の判定もいい。


それに比べて自分は……、滑り止めにと考えていた私立大学までE判定だった。全然笑えない。全然滑り止めじゃない。滑り止まらない。

あまりのヒサンな結果に現実逃避をしたくなり、模試の結果がまざまざと印刷されている厚紙は鞄の中でぐしゃっと折れ曲がっている。


「やっぱり、悟は法学部なんだね」

「何言ってんの、約束だろ、倉乃との」


そう。約束。

泣き喚いたあの日、指切りをしたあの日、そしてーー。


「なんでメンズ用のファッション雑誌なんか読んでんの?」


悟は訝しげに、倉乃が先程まで目を通していた雑誌をペラペラとめくった。イマドキの男子高生・男子大学生を対象とした雑誌。確かにそれは、女子高生の倉乃が読むのには些か疑問が生じる。


「なんでって、そんなの、決まってる」


自分の喉から滑り出た声色は、思ったより低く冷たかった。だが、その先を倉乃は言葉にしなかった。悟も性格上、しつこく先を促す事はない。


「マズい、次の電車逃すかも」

悟は買い換えたばかりのG-SHOCKの腕時計を見て顔をしかめた。はじかれたように教室を出た二人は、駅がある方面へと小走りで急ぐ。


慌てて駆け込んだ電車に乗り込んだ二人は、息も絶え絶えに座った。何せこの時刻の電車を一本逃すと、次に来るのは一時間後なのだ。9月の夕方とはいえ、残暑厳しい時に競歩大会はキツい。


悟は、スポーツバッグから取り出した黒のタオルで、首回りやおでこにみずみずしく光る汗を吸い取った。その動作の一つ一つを倉乃は横目でそれとなく見つめた。


倉乃の高校では、通学時の鞄は規定されていない。運動部の男子は主にスポーツバッグを使用しており、引退した三年生の二学期でさえも、その使い勝手の良さからか、相変わらずスポーツバッグを使っていた。悟も二年半男子テニス部に所属しており、白地に黒でアディダスのロゴマークが入っているバッグは良い感じに擦り切れて、使われました感が滲み出ている。


運動部の男子特有の、でっかいスポーツバッグ。

黒のタオルを持つ、骨ばってゴツゴツしてはいるが、どこか細い腕。

ぽっこり出た喉仏と女性より太い首回り。


どれもこれも、自分は持っていない。


ーーこれらさえあれば。

……いや、これらさえなくたって、そう。


ーー


「なに? 俺の顔になんか付いてる?」

「いや、なんか、成長したなー、と。小学生の頃からの腐れ縁だし、昔と比べると色々と変わったな、と」

「小学生の頃と比べてどうすんだよ」


心底可笑しそうに、悟は笑った。こいつは昔から、クッと笑う時に体を前のめりにする癖がある。だけど、あの頃よりも笑い声は確かに低く、あの頃よりも背中は確かに大きい。


それなりに発達している街中から、二十分程度走れば、もう田園風景となる。家が何もない田舎に位置する二人は、電車に片道だけで四十分も揺られなければならない。


だが、倉乃にとって、それは他のどんな時間とも比べ物にならないくらい、大切で大切でたまらないだった。


「そう言うなら、倉乃だって、なんか変わったな」

「なに、どんな所?」

「昔はふわふわしてて、ザ・女の子って感じだったのに、メンズ用のファッション雑誌まで買っちゃってさ。ロングだった髪も高校入ってバッサリ切っちゃうし」


そっと自分の髪の毛に手を当ててみた。長い間伸ばしていた髪は、高校入学して暫くすると、バッサリと切り落とした。だって、女らしさの象徴である長い髪の毛なんて、もういらなかった。いらなくなった。


「ねぇ、ロングとショート、どっちがわたしに似合う?」


んー、と悟は口元に手を当てて悩んでいる素振りをした。


「ロングの方が女っぽかったけど、お前はショートの方が似合う、と、思う。それに高校入って、色気? みたいな女臭さが増してきたから、髪の毛は短い方が中和されて丁度良い具合」


本当、こいつは変わらない。褒め言葉でも人を諫める言葉でも、こいつはいつだってストレートに伝える。そんな悟がストレートに言い出せない事なんて、一つだけだ。


ね、悟。

男になりたいわたしが、どんな思いでそれを聞くと思うの?


「なんだよ、急に黙り込んで。怒った?」

「まさか、直球すぎて照れた」

「実際、高校入ってボーイッシュになったけど、割とモテるよなお前」


高校に入って、髪を切った。

しっとりと甘いバニラの香りが詰まった、花弁を形取るフレングラスの容器を捨て、男物の制汗剤を纏った。

持ち物は、ペンケースやタオル、もっと細かい物まで全て男子が好むブランドに変えた。

色とりどりのペンが入ったピンクのポーチも、レースが縁取られた白いハンカチも、とにかく、女っぽさが残る物は全て処分した。

お気に入りだったスカートも、ワンピースも、自らの手でハサミを入れた。

制服の着こなしも、仕草も、友人関係の対応までも全てを変えたのに、それでも女という性別はわたしにまとわりつく。

ベッタベタにくっついてきて、離れない。


そう、例えばプールの授業。

そう、例えば修学旅行の時のお風呂。

そう、例えばトイレに行く時。


胸が隠れるスクール水着を着用して、生理の時は見学しなくちゃいけなくて、お風呂は女湯に入らなくちゃいけなくて、トイレだってレディース用の方へ行かなくちゃならない。


わたしは生まれ落ちた瞬間から、紛れもなく女だ。


「まさか、彼氏できた?」

「はぁ? ……なんで?」

「なんとなく」

「できたらどうするの?」

「サッカー部の湊以外だったら、許す」


同じクラスの湊涼太みなとりょうたは、校内一チャラいと評判だが、それはあくまで評判。超カタブツの悟の、唯一無二の親友を演れる時点で根は真面目な事が分かる。


「はいはい。湊くんは可愛いマネージャーの彼女がいるもんね」

「……まぁ」

「……盗らないから、安心しなよ」


悟は口元だけで笑うと、音楽プレイヤーを鞄から引っ張り出した。

ん、と無言で差し出されたイヤフォンの半分を受け取る。


「ちょっと寝る。着いたら、起こして」


悟はそう言うと、腕を組んで寝るポーズをとった。


「ね、寝るのはいいけどその前に、せめて音楽流してよ」


先程から何も聞こえてこないイヤフォンを揺らすと、悟は吹き出した。

やべぇ電源入ってなかったウケるな、と早口にまくしたてると、今度こそ音がちょろちょろと流れ出てきた。

あ、今流行りの曲。想い人がちっともこっちを見てくれない、失恋の曲。


目を瞑った悟の額に流れる前髪を、少し掬って横へと流した。そしてそっと自分の肩に寄りかからせる。運動部だったとは思えないくらいの色白さに、茶色の地毛。今は奥二重の瞼が閉じられていて見えないけれど、色素の薄いビー玉みたいな目。目下の位置に、ちょんとのっかる泣きボクロ。高くも低くもない鼻。整っているのか地味なのか、それでもやっぱり綺麗だと思う、その横顔を見つめながら、ポツンと思う。


こいつは、今日も失恋してるんだな、と。


そして、


わたしも、今日も失恋した。



ね、悟ってば。

本当は眠っているフリしているだけで、ちゃんと意識があるのなんて、分かってんだからね。

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