希望の足音 1

 馬に乗った仲間が、私を抱えている。揺れる視界、そして遠ざかって行く戦場の気配。


 私はあそこにいなくてはならない。

 だって、避難せずに剣を取って、相手を殺すという選択を取ったのは……自分自身なのだから。


 なのに、抵抗する気力は無くなっていた。私はされるがまま、動けずにいる。

 変な奴の、有り得ない言葉が、未だ私の胸の中で木霊していたから。


 いや、違う。私から力を奪っているのは、ほんの少しだけでも期待を持ってしまっている、自分の心だ。


 普通に考えれば、来る訳がない。

 だって、あれから……十年以上は経っているのだから。私の事を覚えてないのが、当然。大きくなったらお嫁さんにするんだ、なんてただの口約束でしかないのだし。


 分かってる、如何して探してくれないのか、助けに来てくれないのか……そんなの、筋違いの逆恨みも良い所だ。


 カイは、何一つ悪くなんかない。


 悪いのはあの強盗、悪いのはあの奴隷商、悪いのはあの貴族。


 悪いのは……古かろうと新しかろうと、リクリスタという国だ。


 私だって、何も悪い所なんて無かったんだ。

 だから、この哀しみを晴らす権利くらいはある筈だろう?


 なのに、あいつの言葉で生まれた期待が……それを邪魔をする。まるで噛みつく為の牙を抜かれてしまったかのようだ。


 カイは来ない。だからあれは、私を逃がす為の嘘なのだ。

 きっと仲間の内の誰かが、こっそりあいつに頼んだのだろう。


 だってあいつが私とカイの事を知っている筈がない。

 一体私の何を分かっていると言うのだろう、馬鹿馬鹿しくて腹が立ってきた。


 ああ、でも一番情けないのは私だな。結局父さまと母さまの仇も取れず……恩に報いる事も出来なかった。

 涙と共に、自嘲の笑いすら浮かんでくる。


「なぁ、カイ、教えてくれ……」


 こんな私が生き延びたとして、これから一体如何やって生きてゆけば良いのだろう?


 答えなんて返って来ない、誰にも届かない私の小さな言葉。振動と馬の走る足音が掻き消して、私を抱えている仲間にさえも聞こえない。


(……当たり前だよな)


 代わりに前方からも馬が駆けてくる足音がした。


 ふと視線を上げてみる。

 一騎が先行し、あとから複数の騎兵らしき者達が付いて来ていた。


 援軍まで呼んでいたのか。私の仲間は皆、準備の良い奴らだな。


「なぁ、そこのお前達!」


 指揮官だろうか、先頭の騎士らしき男が声を上げる。低いが良く通るな。


「グラシアから逃げて来たのか⁉」


「ああ、今襲撃されているんだ!」


 私を抱えていた仲間が、彼に答える。


「良かった、如何にか間に合いそうだな!」


 私達との擦れ違い際、蒼い瞳は希望に煌めいて見えた。

 彼にとって、グラシアには一体何があるんだろう。少し、気になった。


 日に焼けた肌と鍛えているらしい大柄な身体付きに、白銀色の鎧が良く似合っている。


 短く切られた茶色の髪に、あの青い目……もしかしたら、大人になったカイはこんな姿なのかもしれないな。

 何処となく、面影があるような気がする。


 有り得ないと言うのに、そう見えてしまう私は、本当に如何かしている。


 私がもう一度自嘲の笑みを浮かべたその時。


「一人で先に行くな、――!」


 先頭を行く彼の名前が呼ばれた。


「悪い! でもこの先には――がいるんだ!」


 私は息を飲む。波が引いていくように……怒りが、哀しみが、諦めが、絶望が私の心から消えていく。


「止まって、くれ……!」


「え⁉」


 突然の私の行動に、私を抱えている仲間は驚いていた。危ないのは分かっていたが、構っていられなかった。身を乗り出して振り返る。


 ああ、私はそっちじゃないんだ。広い背中が遠ざかってしまう。


 だから私は叫ぶ。魂の全てを賭けてでも。


 他の言葉なんて、もう良いから。他の誰にも、聞こえなくて良いから。


 だから。

 

「カイ――!!」


 今度は、この声は、この想いだけは。彼に届けたい。


 いや、絶対に、届かせるのだ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る