意外とあっさり帰れてしまった訳だが 5
さて、夜がやって参りました。
現在、午後十時四十七分。
早めに就寝しようという事で、快と純ちゃんとは十一時に布団に入ろうという約束をしている。
なのでベッドの上で寝転がりスマホをいじる事数分。
俺は例の小説投稿サイトのモバイル版を閲覧していた。『災厄姫に幸福を』が更新されてないかをチェックする為だ。いやぁ、ブックマークしておいて良かったよ。
もし本当に向こうの世界に行けたとして、スマホは持ってけないんだし。情報収集するならば、今の内しかない訳だ。
けど、まだ更新はされていないようだった。
まぁ、仕方ないのかなぁ……各話の投稿時間を見ると、もう少し遅い時間みたいだし。
つい気になっちゃって、三分毎くらいにブラウザ更新しても駄目だっていうのは分かってるんだけどね。
気持ちを切り替えて、俺は秋陽の方を読み進める事にする。
ただ、今夜は寝る事が前提なので眼鏡を外しているから凄く見辛い。
ちなみに、何時眠ってしまっても良いように『災厄姫と戦乱の街』は枕カバーの中に入れてある。
俺が今読んでいるのは、続きである第三章『災厄姫と死霊達の鎮魂歌』だ。
ここに、上手く繋げられるだろうか。
でもさぁ、ちょっと嫌な予感がするんだよね。
此処でも何かしらのトラブルが起きるような気がしてならない。
俺に出来るのは、こうやって知識を頭に入れておく事しか出来ないんだけどさ。
あと何もないように祈る事くらいか。つまる所、何もないのと変わらないんだよね。
あーあ……俺もユジンみたいに前衛で戦えるキャラが良かったよー秋陽。
でもこの時の俺は、大事な事を失念していた。
即ち――俺は向こうの世界で、如何なっていたか?
そう、現実世界の俺が眠りに落ちて……『災厄姫』の世界の俺、アシュレイ・クライネルになってから思い出しても、もう遅いのである。
正確には、地面に打ち付けた頭の痛みだけど。
俺はニャベルの体当たりを喰らい、倒れて気絶をしたのだ。
「っ~~~~!」
現実世界で俺は壁に頭をぶつけて起きたけど、それの比じゃない。痛い。声も出せない。頭を押さえ、身体を丸めてのた打ち回る。
しばらくの間それしか出来なかった。
「にゃ? 駄目だったにゃ? それとも戻って来たのにゃ?」
ニャベルの質問にも答えるなんて出来ない。
取り敢えず俺が意識を失った、あの瞬間に戻って来た事は理解した。
って事は当然城門が破られる数分前くらいの切羽詰まった状況なんだよね。直ぐにでも体勢を立て直さないと危険なんだけど。痛くてちょっと無理だった。
そんな危機的状況だから皆俺に気を回すような余裕もないし。
「あれ? ちょっとやりすぎたかにゃぁ?」
「本当、だよ……!」
何とかそれだけ言葉が出せた。少しずつ収まってきたけど、まだズキズキするんだからな。
「にゃぁ。それで、向こうには帰れたのにゃ?」
恨みを込めた俺の目線なんて何処吹く風と言わんばかりの様子で、ニャベルは俺に尋ねてきた。
「うん。カイ、来てくれると良いんだけど」
快と純ちゃんも俺と同じく、原稿を枕の下に置いて寝ている筈だ。
あくまでも推論の上でだけど、二人も意識がこっちに来てる事になる。
「後はカイを信じて時間を稼ぐしかにゃい」
「……そうだね」
俺は落としてしまった童話集を手に取り、軽く埃を払う。そして、目当てのページを探しながら立ち上がった。
城壁の上に蒼い魔法陣が描かれ、そこから現れたのは仙女だった。
右が紅で左が碧のオッドアイが煌めき、漆黒の長い髪が風に靡くその姿は、場違いな程に美しかった。
突然現れた彼女の姿に……兵士達は戸惑った事だろう。
しかしそんな場所に現れる方が悪いと言わんばかりに、攻撃の手を緩める事はしなかった。
それに、姿形こそたおやかな女性に見えるが、魔術師だという可能性だってあるのだから。油断をしては痛い目を見るかもしれない、彼等の判断は正しいのだろう。
仙女に向かって、矢と魔術が雨霰のように降り注いだ。
しかしそれらが届くよりも先に、仙女の足元から茨が生えてきて盾となる。
仙女は余裕すら見える妖艶な微笑みを浮かべ、持っていた杖を城壁の兵士達へと向ける。
杖の先が示した地面からも、茨が生えてきた。どんどん伸びて、城壁を這うように伸びる。
「その子に触れない方が良いわよ?」
そして、茨の棘に触れた兵士は……たちまち意識を失い、倒れ伏した。その様子と仙女の言葉から、茨の棘が危険であると判断し、兵士達は茨から逃げるように距離を取る。
「こんな感じで良いかしら?」
それを見届けた仙女は、城壁の上からヒラリと、重力を全く感じさせずに舞い降りて来た。
「うん、ありがとう」
俺が開いたのは……ヨーロッパの古い物語、『眠り姫』。現れた彼女は、『呼ばれなかった最後の仙女』だ。
王女の誕生日に呼ばれなかった事に怒り、成長した王女が死んでしまう呪いを掛ける。それは、他の仙女によって百年の眠りの呪いへと変えられるんだけどね。でも王女を糸紬の錘に触らせ、呪い自体は成就させる。
「錘じゃないから、死にはしないわ。眠るだけよ」
如何やらアシュレイが呼び出すキャラクターとしての彼女は、手加減をしてくれたらしい。
てか本気を出せばやっぱり殺せるのか。怒らせないようにしとこう。
しかし、城門に丸太を叩き付けるような音は、直ぐに再開されてしまった。
「あら……思ったより直ぐに気付かれたみたいね」
眠らせる茨は確かに厄介だが、逆に言えば茨の棘にさえ触らなければ良いのだ。
剣で取り払われてしまったのだろう、無機物には効果がない訳だし。
仙女は瞳を閉じて集中し直した。再び茨が伸び始めたらしく、門への攻撃は鈍くなった。
しかし時間が経てば、きっとまた払われてしまう。
しかも彼女が茨の魔法を使う度、俺の身体から魔力が抜けていく。茨が広範囲に伸びている事が災いしたんだと思う、何時もより消耗が激しい。
「……カイ、まだなのか?」
俺は、東の方角を振り返った。
やはり、快はこっちに来ては、いないんだろうか?
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