戦乱の街、騎士を待ち 6
しかし、耳に届いた声が無理矢理にも俺を思案の海から現実へと引き戻した。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
正確には、絹を裂くような悲鳴だった。更には悲鳴すら掻き消してしまうかのような轟音が続く。
「まさか、もうグラシア制圧の攻撃が始まったにゃ……?」
「えっ、早すぎないか?」
ニャベルの言葉に驚きながらも、少しだけ納得してしまった。
小規模ながらも、西側の空から閃光が迸ったのが見える。
誰かが放った、稲妻系の魔術だろう。
天気は崩れておらず、雲一つない晴天のままだったから。
憎たらしいくらいに綺麗で――全く以て、戦闘には似つかわしくない日だと思う。
俺は東門を振り向く。
まだ閉じられてはおらず、イニストへ続く道が見えた。
援軍は、来てくれるだろうか。本当に、間に合うのだろうか。
カイは……マーテル達に雇われなくても、来てくれるだろうか。
そして俺の頭に、もう一つの選択肢が浮かんでしまった。
「このまま東門を飛び出して、シルヴィアも何もかもを置き去りにして逃げ出しなよ」
東門の真下に、金の髪と蒼い瞳をした俺自身が薄ら笑いを浮かべて立っていた。
……分かってる。
あれは俺の弱さが見せている、幻影だ。
だって、周りの人は逃げ惑っているのに誰もぶつかってない。
皆パニック状態で、悲鳴と怒声が飛び交っている筈なのに、俺の耳には届かない。
なのに、笑っている俺の囁くような声だけがはっきり聞こえるんだ。
「だって、君はアシュレイじゃない。戦った経験なんて無い、静野綴だよ? 絵本の子達だって、あんまり戦える訳じゃないだし。もう一つの魔術も、此処じゃそんなに効果は期待出来ない。自分でも分かってるだろう?」
だから、逃げてしまえ。
そう言いたそうに、俺はずっと笑ったままだ。
「四王国以外にも国はあるんだから、そこで静かに暮らしたら良い。どうせ、誰も俺の事分かんないだろうし、責めたりしないよ。緊急事態なんだし、誰もが自分が生き延びるのに必死で俺の事気にしたりしない」
俺の手が震える。
音は聞こえないけれど、何かの衝撃は感じる。また攻撃されたんだろう。
一瞬でも気を抜くと、膝が崩れ落ちてしまいそうになる。
頭では分かっている。
でも戦争と死の気配はやけにリアルだ。そっちに行くのは絶対に危ない。
「それで、シルヴィアもトリシアもカイも、戦争なんかも忘れよう?」
「マ……テ、ル……も?」
やっと絞り出した声も、情けない程に震えていた。
「うん」
でも、門の下にいる俺はマーテルの名前にも反応せず、表情は変わらなかった。
「だからほら、今がチャンスだよ」
「……」
俺はゆっくりと足を進めてしまった。いや、身体が勝手に街の外へと動き始めた。
「そう、それで良いんだよ」
俺が逃げ出そうとするのを見て、心の底から嬉しそうだった。
しかし、その時。俺の頭に――秋陽の顔が過った。
帰り道で見た、あの泣き顔が。
「……あき、ひも、わすれ、る?」
「うん」
それどころか、俺は頷いてみせたんだ。
むしろ、不思議そうな目で俺を見返している。
「マーテルは兎も角、秋陽は当然だろう? だって、もう向こうの世界に帰れるのかだって分からないんだから」
そう言えば、生き延びる事とストーリーを変えない事ばっかりで……帰る事とか方法は、あまり考えた事はなかった。何故こっちの世界に来たのかも、深くまでは考えていない。
時間は沢山あったのにそうしなかったのは、無意識で避けてきていたのかもしれなかった。
「……如何したんだい?」
だからこそ、俺は足を止めた。
たったそれだけの事なのに……静野綴として生きた人生の中で、最も力が必要だったかもしれない。
これからもっと大変な事をしなきゃいけないんだからと、襲ってくる疲労感も撥ね退けた。
全力で身体を反転させる。
西側へと続く道を、人の流れに逆らって走り出した。
気分はちょっとだけ、滝を遡ろうとする鯉のようだ。
ああ、何だ。
俺にだって出来るじゃないか。
こういう時ってさ、主人公は何かカッコイイ事を言って簡単に駆けつけてくモノだけど。
俺は何度も人にぶつかり、転びそうになった。
お世辞にも、格好良いとは言えなかったと思う。
でもそんな事は、今の俺には如何でも良かった。
俺は体育が苦手で、走るのだって得意じゃない。スピードだって遅かっただろう。
だと言うのに、今までで一番身体は軽やかだった。
確かに秋陽にはもう二度と会えないのかもしれない。
こっちでマーテルに会うのも、彼女の立場を考えたら難しいのかもしれない。
でも、俺がこれから如何やって生きるのか……それを決めるのは、マーテルの顔を見てからだ。
こっちの世界の秋陽が幸せに生きている事を確かめてからでも、十分遅くない筈だ。
そうだよね、秋陽。
俺は君の幼馴染で彼氏だから、会いたい気持ちは変わらないんだよ。
忘れるなんて出来ない。
それに、もし君が泣いてるならその原因は許せないよ、やっぱり。
だから絶対に俺は帰る。
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