戦乱の街、騎士を待ち 4

「……ちょっといいかにゃ?」


「何だよ?」


 ニャベルの様子を見るに、俺とは別の考え事をしていたようだったが。


「俺達が存在するから、そう思ってたんだけどにゃ。そもそもの前提が間違っている可能性が出て来たにゃ」


「は? 前提?」


 一体何が間違ってるって言うんだ?


 訳が分からない俺を、ニャベルは縦に長い瞳孔をした蒼い目でじっと見つめながら、言う。


「此処は、本当に……『市川秋陽が書いた災厄姫シリーズの世界』なのにゃ?」


「だって俺……アシュレイがいて、シルヴィアがいて、トリシアがいて。リクリスタでクーデターが起きて。キャラもストーリーも同じだろ?」


 言ってから俺も気が付いた。


 だからこそ――マーテルがユミトリシュ学園に在籍していないという違いも、あってはならないのだ。

 マーテルが学生になって、仲間を得て、新生リクリスタや自分の宿命と戦う話というストーリーが成り立たなくなってしまう。


「つまり、にゃ。住民は同じ、今までの歴史も同じ……でも、似て非なる世界であるかもしれないのにゃ」


 まさか、俺がこの世界に来た事で……俺の今までの行動が、そんなに影響してしまったのだろうか。


 確かに変わってしまう部分も、変えようと思った部分もあるけれど。

 でも、ほんの些細な事だった筈だ。


 そんなに、ストーリーの根底を覆す程の変化ではないと思った。


 最初のシルヴィアとのやりとりだけ戸惑ってしまったが……アシュレイ・クライネルとして、上手くやっていると思ってたのに。


(バタフライ・エフェクトって奴か……?)


 一匹の蝶の羽ばたきが起こした僅かな空気の振動が、やがて激しい嵐となり大気を震わせる。


 自分の所為だろうかと呆然とし掛けた俺に、ニャベルは続けた。


「綴の影響が全くない、とは言い切れにゃいけれど。時系列を思い出してみるにゃ」


「え?」


「いいかにゃ? マーテルがイニストに到着したその日に、クーデターが起きたのにゃよ」


 そうだ、落ち着け俺。

 この世界に来て、その日の午後にはクリスパレスを発った。クーデターが起きたのは、二日後だ。


「フリズレイアの王都からイニストまでは……普通に旅すると五日くらい掛かるんだっけ」


「にゃ。マーテルは夜通し移動して三日で到着するけどにゃ」


 つまり……少なくともマーテルは、俺がこの世界に来る前にはフリズレイアの王都を出発している。


 俺がどんな事をしたとしても――というのは流石に言い過ぎだろうけど――マーテルはイニストには辿り着く筈なんだ。


 だから今マーテルがイニストにいない事には、きっと別の理由がある。


 その時俺の頭に浮かんだのは、もう一つの可能性だった。


「……キルシュ?」


「にゃ?」


 即ち、此処は『市川秋陽が書いた災厄姫シリーズの世界』ではなく。


「災厄姫は、もう一つある」


 ネットで誰かが連載している『災厄姫に幸福をの世界』ではないのだろうか。


 俺はニャベルに、思い出せる限りの『災厄姫に幸福を』の情報を話して聞かせた。


「にゃるほど」


 マーテルはキルシュと出会い、メイドとして一緒に暮らす。そっちの世界だとしたら、マーテルがイニストにいない事には辻褄が合うのだが。


「でも、そうだとしたら、今度は別のおかしい事が出てくるんだ」


「にゃ」


 ニャベルは頷き、前足を口元に当てて考え込んだ。


「フリズレイアの王位継承者が変わったにゃんて、聞いた事ないにゃ」


 今、リクリスタは混迷を極めている。他国の情報が入ってこないのも、仕方ないのかもしれない。


 しかし、ここはイニストにも近い赤砦都市グラシアなのだ。

 イニストを経由した、商人の行き来が全くなくなった訳ではない。


 そして何より……祝福姫フェリシアは、他国でも有名だ。

 幸福を与える美姫として、リクリスタの貴族からも求婚者が後を絶たない程に。


 ある意味ではフェリシアが駆け落ちしてフリズレイアからいなくなる事は、恐らくリクリスタの宣戦布告よりも世界を揺るがす程に衝撃的な出来事だろう。

 なのに、そんな話は全く入って来ない。


 騒ぎになっていないのは、絶対におかしいのだ。いや、俺が知らないだけなのかもしれないけど。


 でも……商人達に餌をねだったり、まったり過ごす普通の猫の振りをしながらも、外からの情報には気を配っているニャベルまで聞いたことがないとなると、やはり妙だ。

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