魔法少女の見る夢
彼女は、深い絶望の中で、あの頃の事を思い出していた。
大好きな兄がいて、姉のように頼りになる人がいて、妹のように放っておけない人がいて、父がいて、母がいて…沢山の優しい人たちに囲まれて、穏やかに穏やかに時間は流れる。
それが当たり前と思えたあの頃は、今にして思えばとても幸福な時間だった。
あの日、悪魔が彼女を『器』と呼んだ時、それはあっけなく終わりを告げた。
それからの日々は、ただその運命から逃れるためにあった。
一つ所に留まる事もできず、どこまで逃げれば良いのかの当てもなく、飢えを耐えながら、渇きを堪えながら来る日も来る日も歩き続ける。
地獄という物が実在するのなら、こんな感じなのだろうか?それとも地獄はもっとひどい場所なのか?
なぜ自分ばかりが、こんな思いをしなくてはいけないのか?
そんな永遠に続くとさえ思えた日々にも、しかし終わりはやってくる。
たどり着いたその場所。やっと見つけた新たな居場所。
もう逃げる必要はない。
運命に怯えることは無い。
今度こそ…今度こそ、永遠の安息を手に入れたんだと信じれた。
あの日再び悪魔が現れるまでは…
彼女は深い深い絶望の中にいた。
この運命から逃れる事ができないのなら、いっそこの命を…
「そんなのダメだよ…」
懐かしい…とても懐かしい声を聴いた。
そうか、あそこには『あの子』もいるんだ。
「うん…私はここにいるよ?」
ねえ…あなたは私の希望になってくれるの?
「…あなたがそう望むのなら」
ありがとう…あなたが私の希望になってくれるのなら…
私はまだ頑張れる…
彼女は絶望の中にいる。
けれどまだ終わりではない。
終われない。
彼女は、最期まで戦い抜くと誓いを立てて、あの日、穏やかな時間が流れていたあの場所へと帰って来た。
エリエル・シバースはそこで仮眠から覚める…
夢の中で、とても懐かしい人に会ったような気がして、とても大事な約束をしたような気がして、しかしそれが誰なのか、どんな約束なのか、わからなくてもどかしい。
やがて夢は霧散して、見た事さえ忘れてしまう。
魔法少女としての活動を開始する前に、仮眠をとるのが日課になってからだいぶ経つが、目覚ましが無くても自然にこの時間に起きるようになってしまった。
ふと時計を見る…午後5時。
いつもなら出かける時間だが、何やら外が騒がしい。
「いや、俺は決して怪しい者じゃなくて…」
言い訳をする男性の声が聞こえてくるけれど、本当に怪しくない人間は、自分を『怪しい者ではない』なんて言う必要がないのだから、おそらく怪しい人なのだろう。
今すぐ外に飛び出して、魔法少女として怪しい人をやっつける、という手もあるのだけれど、この部屋から外に飛び出す所を誰かに見られる可能性が高いので、騒ぎが収まるのを待つ事にする。
立て籠もり事件から半月あまり。
最近はあまり大きな事件事故に出くわすことは無く、増水した川に流されてる『ワン』と鳴く方の愛玩動物を助けたり、
本当はもっと派手な活躍をして、多くの人に注目されて、拍手喝采を浴びたい所だけれど、派手な活躍には批判が付きまとい、むしろ、そういった地味な活動の方が確実に感謝をされるというのが現実。
「うまくいかないな…」
口では、ぼやくエリエルですけれど、人から『ありがとう』と言われて、悪い気がする訳もなく、地味な活動をコツコツと続けていくのも悪くないかな?なんて事を、ベッドに横になったまま考えていたら、またウトウトとしてきて、間もなく二度寝の誘惑に負けるのでした。
最愛の人が遠い所へ旅立ってしまった。
何故私ではなく彼女だったのか…実在するのであるならば神を呪おう。
彼女を追う事さえ考えたが、しかし残されたのは私だけではない…娘がいる。
否…私にはもう娘しか残されてない。
私の残りの人生は娘の為にある、娘に全てを捧げるのだとその時誓ったのだ。
その日私は望まぬ力を手に入れてしまった。
とてもとても大きな力だったが、力には責任が伴われる。
まだ若かった私には、それはあまりに重い荷物でしかなかった。
しかしその重責から逃れるすべなど持ち合わせてはいない。それは生まれた時から定められた運命なのだから。
逃れられないなら、いっそ、その力の全てを最愛の娘に捧げよう。
恐れていた事が起こった、娘があの力に目覚めたのだ。
一族の血を引いてるのだから、それは自体不思議な事ではないが、これは公にはしてはならない事なのだ。
それなのにも拘わらず最悪に最悪が重なり、それは公に隠しようのない状況において起こってしまった。
どうすればいい?
どうすればいい?
事態が収拾した後、私は持てる力のすべてを使って、その事実を無かった事へと変えた。
私は私の持つ力の一部を人に預け、娘を護る事に全てを注いだ。
娘の障害に成り得るものは、娘の友人であろうと何であろうと、徹底的に排除していった。
気が付けば娘の周りにいるのは、私と傍付きの侍女二人だけとなっていた。
これで良い、全ては娘の為なのだ…私は自分に言い訳をしていた。
ある日侍女が娘の元を去ることになる。
その日から、最愛の娘はまるで別人のように変わってしまった。
笑顔が消え、ほとんど部屋を出なくなり、私とも会話をしなくなった。
娘にとって、侍女の存在がどれだけ大きかったのかというのを、その時になって初めて知った。
しかしこれで良いんだ、仕方のない事なんだと自分に言い聞かせた。
全ては最愛の娘を護るためなのだから。
4年が過ぎたある日、思いがけぬ事を切っ掛けに、娘と侍女が入れ替わっていることに気付く。
4年前のあの日、娘は侍女に成り代わって家を出ていったのだ。
私はその事に気付けなかった。
4年もの間、毎日顔を合わせてたのにも拘らず、最愛の娘が別人と入れ替わってる事に気付かなかったのだ。
どうしてこうなった?
何故娘は出て行ってしまった?
何処で私は間違えたのだろう…
いや愛想をつかされるのも当然の事だ。
4年もの間、娘が入れ替わっている事に気付けないような父親だ。
私は父親失格なのだ…
「そんな事ない…」
いや良いんだ、娘のため娘のためと言いながら、私は自分の自己満足の為に娘を…お前を縛り付けていたんだ
「それは、そうかもだけど…うん、でも私は父様の娘で良かったって思ってる」
無理をしなくてもいい…
「無理なんかしてない…私の方こそ黙って出て行ってごめんなさい…怒ってない?」
怒ってなんかいないさ、ただただ自分が情けないだけだ。
「あのね父様…子供だって親に怒ってもらいたい時もあるんだよ?」
すまない…私にはそれがわからないんだ。
「うん…でもね?そんな父様だから私は大好きなんだ」
嘘を言うな。
「嘘なんかじゃない」
じゃあ何故お前は出て行ってしまったんだ?
「家を出たのは私の我儘…外の世界を見たかったの」
やはり私がお前を縛りすぎたからではないか…
「ちがう!本当に父様のせいなんかじゃないの…だって私はすぐに家に戻れるものだと思ってたから…」
なんて馬鹿な事を…
「そう私が馬鹿だったの…だから父様は悪くない」
そうか…
「…ねえ父様?」
なんだ?
「私、近いうちに必ず父様に会いに行くから…ちゃんと謝るから」
ああ…待ってるよ…
エリエルは目を覚ます…夢は霧散して父への罪悪感だけが残る。
「父様…」
ほんの出来心、ちょっとした悪戯くらいのつもりで侍女と入れ替わり、この魔法学校に入学しそのままズルズルと4年間。
当初は後悔もしたけれど、ここで色々な物を見聞きし、家に縛られたままなら出来なかったであろう事を経験し、シバースが置かれてる現状を知った事は…いや本当に良かったのだろうか?
では、ずっとあの家の中で、何も知らないまま年を重ねていれば良かったのだろうか?
それは無い。
父を恨むことは無い。
何よりここに来たことで、父が何故あそこまで過剰なほど自分を護るという事に固執し、外の世界から隔離しようとしたのか解った気がする。
不器用すぎるほど不器用だけれど、愛されていた事は間違いないんだ。
だから、もう少しここで置かれた現状を変えるために、魔法少女をやってみよう。
どんな小さな結果でも良い。大きな結果ならなお良い。
何か結果を出して胸を張ってあの家に帰ろう。父様に会いに行こう…
そう決意してベッドから身体を起こす。
頭を振って、しっかりと目が覚めた事を確認し、今更ながらすっかり暗くなっている事に気付いて、明かりを灯し時計を見る…午後9時。
「しまった!寝過ごした」
連日の魔法少女活動で疲れでも溜まってたのだろうか?夕方にちょっとだけ目を覚ましてから、たっぷり4時間も熟睡してしまった。
早い時ならもう活動を終えて帰ってきてる時間。
これから出かけても、何の成果もあげられない可能性が非常に高い。これエリエルの思い込み。
「今日はもうやめておこうかな?」
さっきの決意はどうした…いや、まあ休む時は休んでも良いと思うけど、そんな時に限って何か大きな事件が起きたりするんだよね?これもエリエルの思い込み。
両手で顔を叩き、気合を入れなおして鏡に向かう。
いつもなら着替えを持って出かける所だけど、時間も遅いし面倒なので、今日はここで着替えてしまおう。
相変わらずの地味な衣装チェンジを終え、仕上げにその真っ直ぐな黒髪をふんわり銀髪に変える。
「そういえば夕方の騒ぎどうしたのかな?」
とか
「あれ?何か父様以上に、罪悪感を感じなくてはいけない相手がいる気がするんだけど…誰だろう?」
とか気になる事はあるけれど、とりあえずそれは後回しにするとして、魔法少女エリエル・シバースは、自室の窓から夜の街へと飛び立っていくのでした。
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