第43話:カメレオンが見た夢
「お前は中身がないただの器だ」
そう言われてもう3年が過ぎる。
1
「キミ、筋がいいねぇ」
間接照明に照らされるバーカウンターでシェイカーを振っていると常連客の男が俺を褒めた。
「そうですか? 」
「そうよ。あなたの作るカクテルなかなかいいわ。ねぇマスター? 」
「ですね。できればずっと働いてもらいたいものですが」
ぽつぽつと賞賛が上がる度にわずかに頭を傾かせ機械的に俺は礼を告げた。
「え、あなた臨時のお手伝いなの? 」
「はい」
「もったいない」
この場にいた誰もがそれを呟く。
店の営業が終わり空が淡い蒼を取り戻した頃、俺が帰宅の準備を進めているとマスターが俺の前に駆け寄ってくる。慌ただしい足音に視線をあげると、
「なぁ、君さえよかったらだけど、本気でうちで働かないかい? 」
ああ、またこの質問か。
最初はこの問いかけが嬉しくてありがとうございます、なんて必死に頭を下げて働いてみたりもした。だが続かないのだ。そう誘ってくれる人はほかの職場にもいて今度こそ、と意気込んでみたりしたがやっぱり続かないのだ。
「すみません。明日には違う人のヘルプに行かなければならないので」
俺はくどく見えないギリギリのラインの笑顔を貼り付け、マスターの誘いを断った。するとマスターはそうかと言ったきりもう誘うことはしてこなかった。
「なんかあったらまた来るといいさ。じゃあね」
働いた分の日当をもらい、胸に残るわだかまりを払しょくしたいがために深々と頭を下げて店を後にする。
「これでいいんだ」
自分を納得させるための呪文をいつも通り呟き、もうすっかり寒くなった外気の中、缶コーヒーの温もりで暖をとりながらアパートに向かった。
2
仮眠をとってスーツに着替えて外を出ると時刻は夜の6時。駅前のビルにたどり着く。
「まだ行くには時間があるか」
そのビルの一階にあるコンビニで軽食を買い、それを腹へ送り込むとエレベーターでその場を目指した。
「こんばんわ。あの吉本さんって方いらっしゃいますか? 」
事務員が奥に向かって声をかけると背の高い壮年の男が駆け寄り、俺の前に立った。
「初めまして、ヨシノリです」
「じゃあよろしく頼むね、臨時講師くん」
そう言って男は俺の肩を叩くと足早にドアの向こうに消えていった。
次の仕事は塾講師だ。俺は渡された資料に沿って進学校の高校生相手に授業を進めた。明朗快活にしゃべる先生を演じている間は心に緊張などなく、その仮面が解けぬまま俺は淡々と授業をこなしていった。
演じるのは不思議と子供の頃から美味かった。専門的な知識も乏しいはずなのに一度それを役として意識すると馴染んでいくのだ。つまるところ俺はそれに成ることは出来ないが、取り繕うことは誰よりも上手かった。
そうして俺は渡り鳥のように世の中を歩いてきた。
ある時は有名な歌手のバックバンド、またある時は雑誌のカメラマン。小学生野球クラブの臨時コーチとかもやったっけ。とにかく挙げだしたらきりがない。
いつの間にかできていた人脈を利用し、俺はただ食いつなぐために金を稼いだ。人脈が使えない日は日雇いのバイトをしてまた稼いだ。金がたまるとそれをものや時間、人に還元して尽きるとまた日銭を稼ぐ。
貯金ができない理由。ただ働いていないと思いだしてしまう気がしてそれがたまらないのだろう。だから俺は、今日も演じ続けるのだろう。
3
授業日程を終え、知り合いの知り合いである男の飲みに付き合った帰り、見上げるとまだ空はうっすらと明るい。まだ人通りの少ないシャッター街で俺は少年を見つけた。
「ホームレス? 」
白い毛布にくるまりすやすやと眠る少年を覗きこむと、俺の言葉に気づいたのか、少年が飛び起きる。
「わっ。びっくりしたー」
「それはこっちのセリフだ」
跳び起きた少年はホームレスにしては身綺麗で、それに登校時間はまだまだ先であるのにもかかわらず制服を身に纏っていた。
「君って……」
「あっ、昨日の先生」
少年の声がすでに迫ってきている二日酔いの身体に響く。思わず顔を顰め、俺はなぜこんな時間にここにいるのか、と少年を教職者のふりして叱った。
「僕、勉強をしたくないわけじゃないんだけどさ、将来の夢があるんだ」
「それって画家になることか? 」
「うん。そう」
毛布が退いて分かったのだが満足げに頷く少年の後ろには幾つにも及ぶ色の鉛筆が詰まったバックとスケッチブックが転がっていた。
「勉強の時間は削れない。だからこうして早起きして少しでも絵を描く時間をとっているのさ。努力は一日にしてならず、だからね。それでさ、いろんな絵が詰まったスケッチブックを卒業前に親に見せるんだ」
「へぇ、それで」
気のない返事をしたはずなのに少年は俺の前で楽しそうに夢の話を続ける。
「もうすでにこれで5冊目なんだ。前は見るに堪えないものだったんだ。でも本とか見ながら勉強して少しずつ上手くなってきてさ。もうそれが楽しくて。もっと僕はうまくなるよ。それでさ、卒業前に溜まったスケッチブック、つまり僕がしてきた努力の軌跡を親に見せるのさ。きっと考え直してくれるはずだ。早くその日が来ないかな」
輝く瞳で明るい未来を夢見る少年はまるで太陽みたいだった。本物の太陽はまだ昇り切っていないというのに俺の眼の前はこんなにも眩しい。
「ねぇ、お兄さん。せっかくだから絵のモデル―――」
「断る」
告げたと同時に腰を浮かす俺にすぐさましがみつく少年。
「離れろ」
「いやだね」
「いいから離れろって」
「いーやーだー」
構わず力づくで立ち上がり少年を振り払うと背を向けてその場を立ち去る。一歩一歩と踏み出すと何故だか足が重い。まさかと思って振り返ると少年は腰ベルトに捕まったままだった。
「ねぇちょっとでいい。ちょっとでいいからさー」
溜め息をついて俺は元の場所へ戻った。
胡坐をかいて煙草を吸う男の横顔を描いて何が楽しいのかわからないが、少年は鼻歌を歌いながら上機嫌で鉛筆を動かす。
「ねぇ、お兄さん試しに笑ってみてよ。他の顔も見てみたいな」
問いかけに乗って柔和に笑いかける。
「うわー、嘘っぽい」
「仏頂面を見た後だからだろ。普段はこんなに荒んでない」
「本当かなぁー」
そうして数分足らずに書き上げた絵を見せてもらうとそこには退屈そうに煙草を吸う俺の姿が描かれていた。
「俺、こんな表情してんのか」
顔には疲労が滲み、背景がないせいなのかはわからないが真っ白なバックの中で丸まった背中はどこか空虚に見えた。
「なぁ、試しに俺も描かせてくれよ」
持ちかけた提案に少年は少し躊躇った後、何本かの色鉛筆と、スケッチブックを俺の方に向けて、
「じゃあ試しにこれ描いてみて」
俺は少年から手渡された林檎を様々な角度で観察し、それを覚えると鉛筆を動かした。じゃあ僕も、と少年も鉛筆を動かす。
そうして少年が描き終わった数分後に描き終えた林檎を見せる。
「へぇ。お兄さん美術の先生か何か? 」
「違う。けどこれぐらい教養の範疇だろ」
スケッチブックに描かれたのは写真のように精密な林檎のデッサンだった。
「何で色つけなかったの? 」
「めんどくさかったから」
「ふーん。確かにうまいけどさ、真っ黒だと美味しそうに見えないね」
「当たり前だろ。たかが絵なんだから」
「『たかが』ってそんな言い方するなんて、なんかもったいないな」
「は? どうゆう事だよ」
苛立ちを覚え、ついそれが顔に出る。脅したはずなのに俺に臆することもなく少年は少し寂しそうに見つめる。その眼差しが余計に俺の怒りを加速させていく。
「こんなに上手いならもっとやりようがあるはずなのに。お兄さんの絵は確かに精密だけどさ、なにも伝わってこない。まるで―――」
次に発せられる言葉が怖くて、耳に入ったら立ち直れなくなりそうで、俺は少年の胸ぐらをつかんで力のままに壁に押し付けた。
「まるで何だよ」
「いや、いいよ。もう気にしないで」
「ふざけるな」
「だってお兄さん次に続く言葉が分かってるんでしょ。それに脅してるはずなのにお兄さん、怯えてるみたいだから」
その時、思い出したくない過去がフラッシュバックする。
4
俳優になることを目指して駆け抜けた日々、次第に積み重なっていく演技の力と自信。しかしそれはメンターの一言で脆く崩れ去った。
―――お前は中身がないただの器。
放たれた一言は重く、ただ重く。俺はそこで歩みを止めてしまった。そして今もその言葉を言われそうになった。
ああ、結局どんなに繕い続けても何者かに成ろうと必死の思いで歩んでいる人間には自分の本質が分かってしまうのだ。だから何を為そうとも続かないのだろう。
気づかないようにしていた心の虚が暴かれ、俺はもうどうでもよくなってしまった。それと同時に歩み続けようとするものの道を塞いでやりたくなった。
俺は少年の胸ぐらから手を放すと、スケッチブックを放り投げ、色鉛筆をあたりにばら撒いた。奇行としか呼べない俺の行いを少年は止めることもなく、ただ見つめていた。その様は何かを心に溜めているようだった。
滑稽だ。これではどちらが子供なのかわからない。頭ではそれを自覚しているが、怒りが理性を取り戻すことを許さず、この手は命令されるがまま破壊を尽くした。
「お前の言ってることなんてな。所詮、絵空事なんだよ。なにが『努力の軌跡を見れば考え直してくれる』だ。絵で食っていけるほど世界は甘くないし、親がそんな危ない道に送りだすと思うのか」
「説得して見せるさ」
酔っぱらいの戯言を受け流せばいいのに少年は真正面から向き合い、傷つきながらも瞳の奥の熱は失うことはなかった。
その眼差しを見て俺は暴れまわることを止め、その場に立ち尽くした。
「じゃあ、見ててよ」
少年は後ろに置いてあったパレットに次々と色を加えていき、それを指で掬い取って外壁に何かを描き始めた。
ふつふつと湧き上がっていた熱が爆発し、その衝撃はすべて表現力へ昇華されていく。荒々しい息遣いと共に指が、手が、躍る。制服に絵の具が飛び散ることも厭わず、少年は自分自身が筆となっていく。
そうして描きあげたのは、怒り狂った鬼の姿であった。
「僕の言いたいことわかる? 」
内包するエネルギーを使いきって少年は膝に手をつき息を整ている。吐き出すたびに大きく肩が動く。
「ああ……」
頷くしかなかった。こちらを睨み、立ちはだかる鬼の気迫に押され俺の体は縛られたように動かない。そして鬼の双眸からは手をついている地面が沸き立つほどの憤怒を感じた。
5
「馬鹿にして悪かった」
「分かってくれたならいいよ」
微笑む少年は、当たり前だが少年に戻っていて笑顔にはあどけなさが残る。
散らかした画材道具をひとしきりかたずけ終えて、一息つくと、少年は今日は疲れた、と座って毛布にくるまり微睡みに落ちようとしていた。
「おい、学校は? 」
「いい。今日は休む。それにさ、今日気づいたんだやっぱわかってもらうには早い方がいいって」
「親を説得するのか? 」
「うん。卒業前でも遅くないと思ってたけど今日で考えが変わった。だから今は充電しようと思って」
「まぁ、勉強するにせよ、親を説得するにせよ、体力は必要だもんな」
「そうゆうことさ」
そうして少年は目を閉じ、俺はその横で腰を下ろす。
「なぁ、俺もお前みたいになれるか? 」
「どうだろ。お兄さんは何者にでもなれるきっかけは持ってるけど、お兄さんがなりたいものが見つからない限り無理じゃないかな」
「夢は自らが願わない限り、近づくことすら叶わないってことか」
「そうゆうこと」
「はは、手厳しいねぇ。でももう一度頑張ってみるか」
じゃあ、俺も充電と言って少年の隣で寝ころんだ。
見上げると空は晴天。いつの間にか上がっていた陽が微睡みを誘う。今まで俺は、くすんでいた空に慰められて安心感を貰っていたが、今日の空は雲一つなく日光が容赦なく体に振ってくる。
晴天も悪くない。
目を閉じると、虚はいつの間にか消えている。
照らす日光で瞼の裏は真っ赤に染まっていて、次に見える景色に想いを馳せる自分がいた。
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