第42話:はろー、あんだーわーるど。

「あなたの代わりなんていくらでもいるのよ」

 昼下がりのオフィスに上司の金切声が響く。

 それは月並みなセリフの一つで聞き流そうとすればできたはず。

 だが、彼女にはその言葉が重く響いていた。


「ミスがかさむと人ってどんどん悪い方へ考えちゃうんだよ。だから切り替えなきゃ」


 昨日の夜、彼女は満面の笑みを作って、落ち込んでいる後輩にそう言って慰めた。すると後輩は精一杯笑顔を取り繕いながらそうですね、と明るく振る舞っていた。


 一人きりのワンルームにある姿見に笑いかけてみる。とんでもなくぎこちない。そしてその笑顔は後輩そっくりだった。


「気持ち悪っ……」

 自分で自分の顔にドン引いて缶ビールを一気に煽る。アルコールが頭に回ると急に泣きたくなって、誰かに聞いてもらいたくて、彼女は当てもなくアパートを出た。



 残業明け、家で一息ついてから外にでたら当たり前だが真っ暗だった。

 時刻は深夜1時。

 通りを歩く人は誰もいない。閑散としていて寂しい風景ではあったが、日ごろから沢山の他人に関わり疲れ果てた彼女にとってその風景は解放感を感じさせた。


「バカヤロー」

 想うままを精一杯叫ぶ彼女に街がざわめく。戸が開いて飲み屋の灯と共に野次馬が通りを覗く。視線を一心に集めてやっと我に返った彼女は頬を赤く染めてその場で立ち尽くしてしまった。穴があったら入りたい、彼女の頭はそれだけだ。


「威勢のいい嬢ちゃん。一杯付き合わねぇかい? 」

 彼女にとってそれは鶴の一声だったようでわけもわからずそこへ飛び込むと、高架下の暗がりから男たちが現れた。


「ほっ……ホームレス? 」

 よれよれのロングTシャツに使い古して裾がボロボロなスウェット。小麦色に焼け焦げた顔が楽しそうに笑っている。


「嬢ちゃん一時間で良い。いや、一杯でいいから」

 自分の父ほどの歳の男に迫られ、普段の彼女であれば当然突っぱねるのだが、


「……じゃあ、一杯だけなら」

 どうやらアルコールが彼女の判断力を鈍らせたらしい。


「お吉さん」

 そう呼ばれた男はくたくたのダークスーツを着ていた。


「どうしたんですか、今日はずいぶんと別嬪さんが隣にいるじゃないですか」


「そうなんですよ。こんな日は二度とねぇと思いますな」


「さては僕も君も死期が近いんですかね」


「今はの際の幻ですかね」

 ホームレスがそういうとお吉が笑いだし、やがて二人は顔を見合わせて笑った。


 飲み始めるとわらわらと彼と同じホームレスが集まり、深夜の高架下はあっという間に宴会場になっていく。

 自己紹介代わりに彼らは自分の悲惨な人生をさらりと告げていく。それを聞くたびに胃がもたれていくような感覚が彼女を襲う。



 くたくたのスーツを着ているお吉は元々、製薬会社の敏腕営業マンで彼は誰よりも誠実な人間で、それが功を奏して売り上げをあげていったらしい。

 しかし、ある日自分の売り込んだ薬に重大な欠陥があることが発覚した。それは下手をすれば人の命を殺めてしまうほどのもので、もちろん彼は病院からそれを回収しようとした。

 しかし気づいたころにはすでに遅く、その薬を投与された患者は皆、数日のうちに亡くなった。

 この影響を受け、会社は倒産し、彼自身も何人もの人を殺めてしまったという自責により荒れ果てやがて家庭は崩壊した。


 彼女を飲みに誘ったホームレスは工場長だったらしく、不正が発覚し、会社が倒産してホームレスになったらしい。

 その他にも、国の圧政から逃げてきて不法入国であるため暗がりで隠れるようにして暮らすことしかできない夫婦や、ギャンブルに身を費やした親友を何とか助けようと借金の保証人になったばかりに破滅したお人好しの男。生まれてすぐに家が無くなった孤児たち。不思議と自堕落によって生活を失った人間はそこにはいなく、それ故に各々の話は重たく、消化しきれない。

 そんな面々に囲まれて話していると自分の悩みがものすごく小さなことだと彼女は自覚する。それと同時に何でこの人達はこんなに平気そうなんだろう、と思った。だから疑問が思わず口から漏れた。


「生きてて辛くないんですか? 」

 漏れ出た一言を冷静に思い返してしまえばきっと彼女は一日中後悔に苛まれつづけるのだろう。何故ならその一言は辛い過去を背負って生きる人々に対して軽薄であまりにも失礼であるからだ。

 一同は黙り込んでしまう。しかし、彼らは彼女を責めることなく、むしろ笑いながら彼女を褒めた。


「やっぱり嬢ちゃんは威勢がいいな」


「あまりにも真っ直ぐすぎて、毒づいとると一瞬分からんかったわ」


 周りは暖かな笑いに包まれていて、その渦中で彼女だけが首を傾げていた。そんな彼女を見てホームレスが目尻にうっすら溜まった涙を指で軽く拭って呟いた。


「嬢ちゃん、確かにね昔のことを考えだしたらきりがないし、考えるほど辛くなる。この高架下でもそういったことを考え過ぎて壊れていった奴もいるさ」

 熱燗を飲み続け、茹蛸のようになったホームレスは後ろに目を向けた後、寂しそうに笑った。


「じゃあなんでおじさんは大丈夫なんですか? 」

 しばらく考え込んだ後、ホームレスが口を開く。



「多分……笑っているからじゃねーかな」


「え―――」


「どうしようもない時ほど笑うんだ。笑顔を失くすと俺は余裕がなくなっちまう。だから自分で自分を騙すのさ。嬢ちゃんもやってみるといい」


「こう……ですか? 」

 彼女は精一杯笑って見せた。するとホームレスはぎこちないが、いい笑顔だと言ってこちらに笑いかけた。


「落ち込んでても、明るく振る舞っていてもどのみちエネルギーは使うんだ。だったら笑ってた方がいいだろ? 」


「はい」


 ホームレスの戯言に酔った不思議な晩を終え、彼女はまた朝を迎える。

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