第11話:文豪だった猫
1
『吾輩は猫である。名前はまだない』なんて切り出しで物語を紡ぐ文豪がいた。その文豪の名はわざわざ話さずともわかるだろう。
この物語に登場する彼もまた文豪であった。
田舎町で生まれた彼はその土地では比べる者がいない程、才に溢れる聡明な子であった。
『この才能をこの村で死なせるわけには行かない』
そう感じた彼の両親と村人達は地域をあげて彼を援助し、国内随一の進学校へ進ませた。そこでも彼の才能は埋もれること無く、数多の学友の中で彼は躍進を続けていく。
しかし、声援と賞賛の中で彼は死神のようにいつも無表情であった。彼にとって『生きる』ということは『退屈』と同義であった。
「最初から出来てしまうんだ。だから達成感もない。これほどつまらん人生は他にないだろう」
学友たちから羨まれたり、成功の秘訣を聞かれると彼は決まってそう答えた。
大学までは敷かれたレールを走り続けていたが卒業後、どの会社にも、また省庁にも勤めることもなく、「高校の授業の時に読んだ作品が気になった」という理由だけで彼は小説家となった。
小説家となってまもない時に書いた作品が世間に取りだたされ、一躍有名になった彼は時の人となった。
しかし、どんなに優れた人間にも欠点というものは存在する。彼にとってのそれは『感情の乏しさ』であった。
どんなに繊細な描写ができていようとも、自分にも、また周りにも興味がなかった彼がましてや他人の心をつかむことなどできなく、あっという間に彼は文壇から姿を消した。
はじめて経験した挫折は彼にとってあまりにも酷かった。世間は彼のそんな苦悩になんて見向きもせず、メディアは「あの人は今…」なんて特集を組んでいる。そんな中、訃報は突然流れた。
元々、生きているという実感が浅い彼は公開も、支えてくれた村人のことなど考えることなく、抱えるもやもやから逃れるためにあっさりと空へ身を投げた。
独りよがりであるし、罰当たりもいいところだ。だから彼に罰が下った。
2
天から彼は再び命を押し付けられ生きることとなった。彼にとってはまた退屈な日常が始まる。同じ景色に、同じ顔の人間に、同じ気怠い空気。前の器と違う点といえばその器は4足で歩行していたことだった。
「ナツメにご飯あげといてよ。それと今日は出版社の重役の接待だから遅くなる」
踵にハイヒールを引っ掛けて、女は重たそうに肩掛けのバックを背負う。
「はーい。じゃあ夜は適当に食べるから」
「ダメ。どんな人も体が資本なんだから、ちゃんと栄養のあるもの食べてね。又カップラーメンとかじゃ許さないからね」
「分かったって・・・・・・」
ナツメと呼ばれた器に転生された彼はこの家の猫として暮らしている。最初は毛むくじゃらな体に驚きはしたが、柵のない猫の暮らしはそれほど悪くはなかった。
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
ドアが閉まった後にため息がひとつ聞こえ、男が自室へと戻っていった姿が見えた。
今日も彼は交際相手というより姉と言った方が似合いそうな会話に耳を傾けながら朝のひとときを迎えていた。
彼は男の自室のドアノブに捕まり、慣れた様子で男の自室へと足を踏み入れる。
中は白雪が積もる音すら騒がしく聞こえる程静まっていて、そこで時計の針だけが一日を少しずつ刻んでいた。その空間に男が鉛筆を滑らせる音が交じっていく。
「いたのかい。ナツメ」
窓の冊子に降り立った彼に気づいた男は手を伸ばし、指先で彼の下顎を撫でた。
「ナツメ、よかったら僕の作品を見てくれるかい? 」
一しきり顎を撫でさせ気を良くした彼は気まぐれに男の書いた文字の羅列を見渡した。
それは実に拙い文章だった。
表現が適切でないところが多々あり、句読点のバランスも悪い。文法も成立してないし、とにかく挙げだしたらきりがない。
『これでは新人賞など夢のまた夢であろう』
そう思いながら彼は低く喉を鳴らした。
しかし、男の描く人物は皆、生き生きとしていてその世界で確かに血の通った者として存在していた。彼はそんな登場人物に少なからず興味をもっていた。
『だが、どうしてあの男はあんなに楽しそうな人間達が描けるのだろうか? 』彼はそれが不思議で仕方がなかった。
疑問が晴れぬまま彼は時を浪費していく。
3
春となり、二人の家のポストに新人賞の応募結果が入った封筒が投函されていた。
結果は彼の予想を裏返し、男は入賞を果たした。
「おめでとう」と言いながら女はぼろぼろと涙を流し、男は幸せそうに頬を緩ませていた。
桜吹雪のように華やかに舞い上がる二人の感情を彼はどこか他人事のように見ていた。
「ナツメもこっちに来てお祝いしよう」
そう言って男はひょいと彼を抱き上げて女の膝の元へ下ろした。
「ナツメやっと彼の努力が報われたんだよ。私はこんなに嬉しいことはないよ」
そう言って女はまた涙を流し、彼の毛並みに雫を落としていった。
『努力は確かにしてたな。そんなのは知っている。だが努力せずに手に入れたものがそんなに尊いのか? じゃあ私の半生は一体何だったんだ。なぁ教えてくれないか? 』
そう叫んでは見たが女は「そうだね。そうだね」と分かった振りをして泣き続けた。
『一体私はなんのために死に、なんのためにこうして生きながらえ続けている』
目の前の景色を焼けつけるように見つめて、彼は男のことを羨んだ。
心を亡くした彼が初めて手にした最初の感情は「羨望」だった。
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