第8話:祓い屋
彼は家から徒歩5分の位置にある高校に通い、毎日退屈そうに授業を聞き、昼食をとり、また退屈な授業に戻るそんなありふれた生活を送っていた。
だが、放課後になると彼の生活はがらりと変わる。
彼は平安時代から代々受け継がれた家業である『
放課後になるとそこは空き教室なのにもかかわらず、教室の前では男子、女子生徒をはじめ、果ては先生まで長蛇の列をなしていた。
「今日もこんなにいるの……?」
列を見て彼はうんざりとした様子でため息をつく。
「さぁ行きますよ。ご当主様が体を壊しておられる今、次期当主である貴方がしっかりしてもらわないと」
口をとがらせ、腕を組んで彼の横に立っている彼女は何だか次期当主である彼よりも偉そうである。
「恵美も分家の娘だからって俺にぴったり付かなくてもいいんだよ。若い子はほら、カラオケ行ったりとかパフェ食べたりしないと」
「しません」
「というか俺がしたいんだけど」
「なりません。さぁそろそろ始めましょう」
恵美は必死に首を横にぶるぶると震わせる。
「えー」
「というより……速くしてください。皆さん待たれているので」
額に冷や汗をかきながら恵美は彼に視線を促した。それを彼は見なかったかことにして扉を開け、特別にこの教室置かれている冷蔵庫へ向かう。
「待たせておけばいいよー。飽きたら帰るでしょ」
「もう……」
「あ、そうだ。そういえばこの前、駅前のデパートで美味しそうなロールケーキがあったので買っておきましたよ」
彼が冷蔵庫を開けると、恵美が機嫌取りのために前日買っておいて、昼休みに冷蔵庫で冷やしておいたロールケーキがそこにあった。
おー、と間延びした感嘆をあげ、彼は一瞬眉も上げたが、すぐにその眉をひそめて目をそらす。
「限定のがよかったんだけどなー」
「いいから早く! 」
「はいはい、やればいいんでしょ。わかったよ」
恵美の恫喝に彼は冷蔵庫のドアに肩をぶつけ、そこをさすりながら見せつけるように溜息を吐いた。
丸まった背中を恵美がじっと見つめる。
「え、何?やっぱ欲しいの」
「そんなわけっ……」
反論を言い終えた後、言葉とは裏腹に恵美は顔を真っ赤にして小さく頷いた。
「限定のが、もっと旨いんだよ」
「覚えておきます」
こうして二人は口端に生クリームを付けながら今日のノルマをこなし始めた。
彼ら『祓い屋』という者は対象者の心に触れる、彼らの業界でいう『共感』を行うことでその者との波長を合わせ、精神世界に入り込む。そして対象者が抱える悩みの根源を祓うということを生業としていた。
平たく言えば悩みを解決するのではなく、抱えている悩みをその苦悩する感情ごと懲らしめてしまうというものであった。
「じゃ、次の方」
まるで診察室に向かえるかのように彼が次の依頼者を呼ぶと、その高校の体育委員長が現れた。
「はいはーい! 次わたしわたし! 」
夏の
「毎日元気そうだけど。一体なにがあったっていうの」
彼女から容赦なくあふれ出す輝かしいオーラにあてられた彼の瞼は一層重たくなる。
「ちょっと、お父さんとうまくいかなくてね」
「ああそう。じゃあ祓うから目つぶってゆっくり深呼吸して」
共感。
静寂の中、彼がそう唱えると彼と彼女の体は人形みたいに微動だにしなくなった。そして対象者の精神世界に彼は入り込んでいく……はずであった。
張り詰めた空気を感じたのは教室の中で待つ人々の中で恵美だけだった。
彼は突如として飛び起き、脂汗をかきながら恵美を手招き「今日はほかの奴を診るのは無理だ」と耳打ちをする。
見たことのない様子で狼狽していた彼が恵美の目には焼き付いて離れなく、恵美は何度も頭を下げながら依頼者たちを返した。
一方、彼と相対している体育委員長は平然としたまま、なによー、とまるで恋占いの結果を聞くようなテンションでいる。
「恵美ありがとう。じゃあ始めます」
もう彼の顔に軽口をたたくような余裕はないみたいで、少し声を震わせながらまた「共感」と唱える。
「無事に帰ってきてくださいよ」
「善処するよ」
傍にいることしかできない恵美は両手を固く握って彼の帰りをただひたすらに祈り続けた。
体育委員長の心の中の世界はどす黒い重油に満ちていた。その中で彼は溺れていた。
「何だよっ…これ……」
黒い靄がかかる中で彼は一隻の小舟を思い浮かべると、空間の中にノイズが走った後、創り出した小舟が油膜の上に現れた。
幸い、流れは緩やかであった為、彼は小舟の淵に手をかけ、身を転がしながらなんとか乗り込む。
舟を漕ぐたびに虹色の油膜が纏わりつくようにぬらぬらと光っては流れていく。しばらく漕ぎ続けると
「これ、使えるかな……」
油まみれになった制服のポケットに手を突っ込み、染みてしまってへたった札を取り出す。
札は破裂音とともに白煙を漂わせ、その煙が振り払われると彼の手には一本の刀が握られていた。その刀はいわゆる
彼が祠に近ずくと地鳴りがし始めた。もう一歩進むと地面の中から教室の広さを埋めるほどの黒い塊が隆起した。八つの目を持ち、六本の脚をもつ化け物。虫のような関節肢を持ち、よく見るとその関節肢はヒトの足だった。
相対する彼を化け物はじろじろとそれぞれの目をそれぞれの方向に動かしながら覗いている。
「そんなのありかよ……」
怯えを隠すように彼は笑う。
地を蹴った彼は化け物の周りを飛び回り、まずは的を絞らせないようにする。
すると化け物もそれに合わせて何度も身体を向きなおしながら
一見翻弄されているのが化け物なため、彼が優勢に見えるが、彼は防戦一方で攻撃に転じるタイミングを見いだせないでいた。飛び回っていることで必要以上に体力も消費し、だんだんと動きが鈍くなっていく。
足がぐらついたその瞬間、化け物の爪が、彼の脇腹を抉った。
頭の中であるため、彼の体内組織に直接のダメージはないものの、彼の頭には痛覚が走り、委員長の世界にいる彼は実際に脇腹から鮮血が溢れだす。
腰が地べたに貼りついて、座ったまま起き上がれない彼に化け物が少しずつにじり寄る。
化け物の顔が目前に迫った時、彼は拒絶するように手で振り払った。
「んふぃヴねうvしぢおc0dsc、、dc!!!!!!」
化け物は突然彼に向けていた顔をそらした。咄嗟に掴んで放った砂塵が眼球に入って、化け物は唸り声を上げ、悶える。
「痛いし、しんどいし。くそっ! だからやりたくないんだよ! 」
歯を食いしばり、力を振り絞った彼は化け物の腹の下へ潜り込み、
関節肢の全部をわなわなと蠢かして一しきり暴れた後、化け物はやっと動かなくなった。
「あーあ、折れちった」
身体を支えていた力が緩んだせいでどす黒い体液を滝のように溢しながら化け物の臓物が落ちてくる。彼はあっという間に流れ落ちる血で黒く染まり、逃げる力などとうに尽きている彼はそのまま下敷きになった。
体液の抜け出た化け物は殻も同然のため重さこそないが、その代わり流れ落ちる重油にまた溺れそうになりながらなんとか彼は腹の下から這い出てきて、しばらく死体のようにじっとして体力を戻した後、ふと自分が貫いた化け物を見る。
化け物の腹の中には貫かれて息絶えた彼女の父親らしき姿があった。
「アイツもしかして父親を殺したいほど……」
その時、悪寒が彼の背を駆けあがり、鼓動は激しく乱れていった。何度も何度もえずきながら何とかたどり着いた祠にもたれかかる。
「やっぱりこうして暴かないと分からないんだな。人間の心って」
そう言いながら彼は祠の中にある石を握りつぶした。
「大丈夫ですか……大丈夫ですか……大丈夫ですか……」
必死に声をかける恵美の声で起きて、彼は同時に起き上がった彼女の顔を見る。見るとつきものが取れたみたいに彼女は笑っていた。
「ありがとう。本当に助かったよ」
「俺はあんたの悩みの種を忘れさせただけだから。根本的な解決にはなってない。それはわかってるよね」
「大丈夫」
そう言って彼女は穏やかに笑って席から立ち上がり、彼らに背を向けた。
「また来るね」
「もう来ないで欲しいんだけど」
「ダメだよ。私ここがなくなったらさ……ね? 」
そう言い残して彼女は教室を去っていった。
「なぁ、恵美」
「なんです? 」
恵美が振り返って彼を見つめる。
「人って本当に何考えてるかわかんないよな。ときどき怖くなるよ」
「あなたが怖いのなら精神世界までついていけない恵美はもっと怖いです」
「それもそうだな。心配させたな」
彼は椅子から立ち上がり、脂汗をかいた手のひらを制服のズボンで拭いた後、優しく恵美の頭に手を持っていく。恵美はそれを待っていたかのように掌の下に頭を動かす。
「どんな人と関わろうとも恵美はあなたのお
「ああ」
そう言って彼は自分の心臓の鼓動が落ち着くまで恵美の頭に自分の手を乗せていた。
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