第6話:what your color?

 生まれた瞬間から、彼の人生は決まっていた。

 彼の絵は美術家の名門で、例外なく彼もその価値観を押し付けられアトリエに通わされ続けていた。そうしてアトリエを数か月間行き来するうちに彼はあっという間に絵が嫌いになった。


「上手に描けたじゃないか」

 サンタクロースのように白鬚しろひげを蓄えた老人が彼の頭を撫でた。偉大な美術家であった画家に褒められても彼は少しも嬉しいとは思わなかった。褒めた後、筆の使い方を少しだけ彼に教え、老人はすぐに彼を追いやって次の生徒の絵を見始めた。しばらくその様子を耳だけで捉えていると月並みなアトバイスばかりをしている白髭の画家の言葉と挙動が止まった。


「君は…面白い子だね」


「うん」

 背中越しに溌溂はつらつとした返事が聞こえて、それが妙にかんに障った。


 夕暮れ過ぎて空がうっすらと群青に染まる頃、老人が手を叩いた。それを合図にして生徒たちは画材や筆を片付け始める。レッスンが終わる前に元々片づけ始めていた彼は一番に教室を出る。

 立てつけの悪い白木の戸を抜けた先にひとりの少年が立っていた。見ると端正な顔つきをしているのにもかかわらず、頬は画材で汚れていて、さらに少年の手や足は絵の具まみれで彼は「汚らしい奴だ」と思った。


「ねぇ、君は何のために描くの? 」


「知らないよ」


「へぇ……」

 まるで新種の生物を見つけたかのように少年は彼を見た。彼も新種の生物に怯えるように身をすくめた。


「じゃあ、君は何のために描くんだよ」


 反論するように彼が訪ねると、「面白いから」と喰いつくように少年はこたえる。


 それから月日は過ぎ、彼と少年は一言、二言ではあるが毎日、言葉を交わすようになった。ほんの少しだが彼も絵を描くことに興味がわいてきた。


「やっぱり君は上手な絵を描くね」

 今日も老人の言葉はそれのみだった。このアトリエに入ってから彼の評価はこの言葉が全てだった。


 画家の息子。


 繊細に整えられた羽毛が光り輝く彼の両翼は、他の生徒にとっては命を削ってでも欲しいものだ。しかし、その繊細な翼を気遣って飛ぼうとすることばかり考える彼にとってはその肩書は枷以外何物でもなかった。

 飾り物の翼がどんどん重くなって彼はその重さにとうとう耐えきれなくなってしまった。


「どうしたらいいのか分からないよ……」

 すがるように少年に苦悩を漏らす。


「好きに描けばいいさ」

 出会った頃と変わらない弾けるような笑顔で少年は彼に笑いかける。


「『好きに描けばいい』って言われたって、僕は何が好きなのかわからないんだ」

 数秒、うなりながら思案した後、いいアイデアが思いついたようで少年は手をたたいた。


「俺と一緒に絵を描いてくれない? 」

 まるで旅に誘うように少年は彼に手を差し出した。


 少年とともに作品を作り上げ始めてからは驚きの連続だった。まず少年は筆を持っていなかった。

「筆がないんだけど」


「そんなの要らないよ」


「……は? 」

 驚く彼の手をすっと取って少年はその手を絵の具が溜まったバケツにいきなり突っ込んだ。


「うわああああ! 」

 少年の弾けるような笑い声と彼の悲鳴が二人きりのアトリエに響く。

 それから彼は自らが色となってキャンバスの上で踊り始めた。最初に出会ったときは汚らしいとしか思ってなかった少年は今、彼の前で玉虫色に光っていた。


「さぁ、来なよ。好きなことが分からないのならとりあえず暴れてみるといいさ」

 少年は目を丸くして隣に来ない彼を心底不思議そうに見ている。


「乱暴なんだね」


「失礼だな。ただの荒療治だよ」

 口を尖らす少年のもとに駆けだした彼は目の前にそびえ立つキャンパスに思い切り自分の手形を付けた。頬に絵の具が飛び散った。

 それから二人は無我夢中になって自分の内に抱える衝動をぶつけた。来ていた高級ブランドのシャツはあっという間に絵の具で汚れていたが、それは彼にとってどうでもよいことに変わっていた。

 描き上げた絵には様々な色があってその色ひとつひとつに彼らの感情が込められていた。出来た作品を前にして彼と少年は高らかに笑う。


 さぁ、示そう。僕らの色を。

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