第5話:小鬼は今日も笑う

「生まれました。元気な女の子です! 」


 彼女は沢山の看護師に見守られ、そして自分のことのように苦しんでくれる夫に手を握られながら今日元気な女の子を生んだ。

 お産の苦しみは計り知れなく、泣き言もたくさん溢したが、今まで苦しんできたことや痛みはすべてこのためにあると思うと納得がいった。周りからは祝福の声が上がり、その声に負けじと赤子の鳴き声が聞こえる。これ以上の幸せはもうないのではないかと思う程、彼女は幸福と安堵に包まれていた。


 彼女の夫が病室の窓を開けるとまだひぐらしが鳴いていて、遠くには真っ赤に燃える太陽がビルの陰に沈もうとしていた。


 それから数か月が経ち、娘はあの日見た太陽のように活力に溢れ、たくましく育っていった。だが、明るく輝く太陽の裏には夜闇に浮かぶ月があるように何事にも裏表というものは存在する。


 それはある日の乳児検診で発覚した。

 医師は娘の頭部のレントゲン写真を見ながら彼女に言った。

「お子さんの頭部、ちょうど額の両脇のところでしょうか……その二箇所に限局的な骨成長が見られています」


「一体、それはどういうことなのでしょうか」


「いや、私どももこんな症例は初めてなものなので、何とも形容しがたいのですが……」

 言いよどむ医師に彼女は答えを急かす。


「娘はどういった状態なのですか」


「そうですね……平たく言えばこの先、成長につれて娘さんの額から鬼のように角が生えてくることになります」

 医師は眉を寄せ、目はこちらを見ることなくカルテばかり見ている。その表情から彼女は彼らが娘を直す技術がないことを悟った。


「私の知り合いにアメリカのドクターがいます。その人に連絡をとってみましょう。もしかしたら良い答えが聞けるかもしれません」

 狼狽を隠せない医師が目の前でそれ以上に落ち込む彼女に空元気を見せた。

「はい……」

 どうせ気休めだ。そして彼女の予想通り、娘を直す技術はこの世界のどこにもないということが分かってしまった。


 それから、彼女は夫と半年悩んで娘を自分たちで育てることを改めて決意した。

 それが困難だということは二人ともわかっていたが今はそうするしか道が残されていなかった。

『娘のために』

 二人はそう言い聞かせ、自分たちが正しいんだと心の中で言い張り続けてきた。


「ねぇ、お母さん。何で私はみんなみたいに幼稚園に行けないの? 」


「それは……」

 視線を彷徨さまよわせる親の顔を見て、娘は何かをさとったように話題を変えた。


「ねぇ、見て。お母さんとお父さんの絵描いたの」


「本当? 見せてくれる」

 救われて安堵したことに歯がゆさを感じながら2人は娘に笑顔を向ける。


「うん」

 嬉しそうにはにかむ娘の顔を見るたび彼女の心は痛み続けた。娘の額に棲みついた化物はもう皮膚を突き出て白くて無骨な姿を現していた。


 ひとつひとつは小さいが、生きずいたおびただしい量の心の傷はやがてみ始める。


『この角さえなければ……』


 膿んだ傷が彼女にそんな猟奇的な想いを膨れ上がらせていく。


「もうあたし限界よ……来年にはあの子、小学校に上がる歳なのよ」

 そう言って彼女は涙をぽろぽろとこぼし始めた。


「だったらこのままあの子を学校へ送り出すっていうのか」


「それは……」


「半年も考え抜いて、家の中で育て切るって決めたんだろ」


「だけどこのまま閉じ込め続けるのは本当にあの子のためなの?何が正解かわからないわ。もしかしてこれは『周りで見る子と自分の娘を比べたくない』っていう私達のエゴイズムなのかもしれないわ」


「そんなわけないだろ。俺たちのやってることは正しいんだ。それにきっとあの子のためになっている」

 声を荒げる夫にしゃくりあげながら彼女は言う。


「もう私まともにあの子の顔も見れなくなってるの。あの子を見ると額に生えた角が憎くて、憎くて仕方がないのよ」

 しばらくの沈黙の後、おもむろに椅子から立ち上がった彼女は台所へ向かう。

 包丁をとりだし、銀色の狂気が室内の灯りに照らされて部屋の中に浮び上がる。


「やめろ」

 夫は彼女のもとへ駆け寄り、後ろから両手を掴んで彼女から包丁を手放させようとする。暴れだした彼女は腕を振り回してその衝撃で立てかけていた皿が床に落ちて、割れた音が台所へ響く。


「どうしたの? 」

 閉ざしていた戸が静かに開き、二人の目の前に娘が現れる。時が静止したように静寂が流れる。


「何でもないわ。夜食を作ろうとしたらちょっと失敗しちゃってね……」

 続くように彼女の夫がうなづく。


「でもお母さん手から血が出てるよ。それに泣いてる」

 一瞬息をのんで彼女はまぶたをこする。


「あら、玉ねぎ切ってたのよ」

 だが、彼女の前には玉ねぎどころか、まな板すらもない。


「もういいよ。もう、嘘つかなくていいから」

 娘は普段浮かべたことがない顔で笑い、それが苦笑いであることに気づくまで彼女らには時間がかかった。


「お母さんとお父さんが私のことに悩んでくれるのはすごくうれしいよ。でもね私、自分に嘘はつきたくないの」


 そう言って娘は一呼吸置いた後「学校へ行きたい」と呟いた。


 瞬間、開け放っていた窓から夏の風が吹く。娘の前髪がはためいて少女にはとても似つかわしくない白くて猛々しい角があらわになる。


「あなたは嫌われてしまうかもしれないし、たくさん傷つくことになるかもしれないわ。それでもいいの? 」


「うん」

 彼女の問いかけに大きく頷いて、小鬼は高らかに笑った。

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