第7話 亜人群
「こちらが感づいたことを向こうも知ったはずだが、敵の進軍速度は変わらん様だな」
間諜からの定時報告を受け、アスセーナは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「圧倒的な数の差がありますので、それを頼みにしているのでしょう」
口をへの字に曲げた家臣が、主の不機嫌さが目に入らぬかの様にさらりと返す。
「そんなことは分かっておるわ。して、どうやって敵の行軍を遅らせる」
戦は数によって勝敗が決まるのが常識であり、戦を始める前にどれだけ戦力を確保できるかが戦自体よりも重要になる。
しかし、それは正攻法という策である。
「我々に知られても行軍ペースが変化しないということは、サイプレス卿は自身の戦力に慢心している可能性があります」
口をへの字に曲げた家臣が、敵の進軍からサイプレス卿の心理を考察した。
サイプレス卿が自軍の数を過信している場合、正攻法というカードを表にしたままゲームを続行していることになる。しかも、諜報により軍構成やその位置、進軍経路も予測されており、地の利もユーリリオンにある。
「自分が思うに、サイプレス卿が油断していることはほぼ確定かと。
素通りさせた一の砦は、食料庫と武器庫以外ほとんど検分されておりませんでした」
そして、その考察は間諜の長からの情報により、より確信に近く補強された。
アスセーナは夕暮れの冷たい風に遊ばれる自身の髪をかきあげ、口角を吊り上げる。
「お主の読み通りだな」
口をへの字に曲げた家臣は、アスセーナの言葉に無言で頭を垂れる。
「では、予定通りに敵本陣が一の砦を通過後に炎上させよ」
アスセーナの命令を受け、間諜の長は短い返事を残して消える。
「ふむ、後方の砦からの火が出たと」
伝令の言葉に、サイプレス卿は首をかしげる。
「罠の類であれば儂を狙うのであろうが。もっとも、儂は火に巻かれる様なヘマはせんがな」
「サイプレス卿の位置を特定できなかった。もしくは、発火のタイミングをコントロールをできなかった。みたいな、つまらない理由じゃないの?」
サイプレス卿の独白に橙色の髪の男、ティーマがつまらなそうに口を挟む。
そして、彼の言葉を聞いたサイプレスが、然もありなんと呵々大笑する。
「こちらの進軍を阻む罠がヘマをうって、こちらの退路を絶ったな。
奴らめ、墓穴を掘ったか? もう進むしかないではないか」
ギラリと鉈の刃の様な太い笑みを浮かべるサイプレス卿。
そして、彼は周囲の罠に警戒して進軍する旨を伝えるように伝令兵に指示を飛ばす。
「注意しすぎじゃないの? 何か罠があっても、かかるの亜人どもだよ」
「前に罠があるとは限らんからな。それに気付いたのも僥倖よ。
むしろ、それしかアスセーナの小娘に勝ち目はなかろうて。二度目の罠は見逃さぬぞ、運を逃したな小娘め」
さらに大笑するサイプレス卿の隣でティーマは肩をすくめ、もう一つの目的についてどうしようかを考え始めた。
「敵の進軍速度が鈍ったな」
日が落ち、松明に照らされた地図を眺めるアスセーナと定時報告に戻った間諜の1人。
そこに記されている敵軍を示すマークは、予想の行程の半分を超える程度だった。
先程の行軍ペースであれば、すでに敵先陣は二の砦に達しており、おそらく明日の早朝には占拠した集落で英気を養うつもりであったのであろう。
サイプレス軍が夜襲を含めた電撃戦から、ユーリリオン側に奇襲を察知されたため通常の侵攻の速度に切り替えたのである。
「しかし、わかりやすいですな。自分もこうまで予測が当たるとは」
「某が思うに、よほどサイプレス卿は慢心しておるとしか思えん。
だが、この数の差は純粋に脅威だな」
セコイアの指摘は最もであり、敵の進軍速度が落ちても敵の数は減っておらず、依然ユーリリオン側が不利である。
「だが、伸びていた敵の隊列が短く密集した。これも予想通りだ」
アスセーナの言葉は、本来ならばユーリリオン側が奇襲を仕掛け辛くなる状況に変化したと言う確認である。しかし、彼女の顔には、獰猛な笑みが浮かんでいる。
「よし、そろそろ出陣する。真っ向勝負だ。」
「うん? 青い髪の女を捕まえてきたって」
伝令兵の言葉に首を傾げるティーマ。その顔には、睡魔からくる不機嫌さがはっきり出ている。
「斥候隊に生き残りがいたの? おっかしいな、確かに全滅したヴィジョンだったのに。
とりあえず、その生き残りは怪しいから処分しておいて」
「おい、信賞必罰が原則だ。貴様のやりようでは部下が離散する」
ティーマの命令にサイプレス卿が待ったをかける。
要は大っぴらに命令を遂行した兵士を消すと士気に関わるので、ウラでやれということだが。
「はいはい、わかったよ。念のために何匹か連れてくね。
おい、そいつらの所に案内しろよ」
ティーマは伝令兵を従え、面倒そうに帰投した斥候隊と目的の少女の確認に向かう。
「亜人どもが。このサイプレス、舐めるなよ!!」
サイプレスが自分に飛びかかってきたコボルトを切り捨てる。
「おい、ティーマめはどうした!!」
彼は自分に襲いかかる亜人を相手にしながら声を張り上げるが、彼の部下の誰もがそれを確認する余裕がない。
サイプレス軍は大混乱に陥っていた。
今まで従順だった亜人群が一斉に暴れ出したのだ。
オーガがゴブリンにかぶりつく。トロルがオークの首を叩き潰す。数匹のコボルトが一斉にオーガに襲撃している横で、何匹ものゴブリンにたかられているトロルがもがく。オークもその醜い風貌に似合わない器用さで、人間の兵から奪った武器で他の亜人に反撃する。
ティーマがサイプレス卿の前から消えて数時間後、そこは獰猛な亜人が暴れまわる地獄絵図と化していた。
もちろん、本陣にいたサイプレス兵も襲撃を受けており、多くの兵が犠牲になる。
この状況ではと、サイプレス卿は撤退の指示を出したが。
「なんで、まだ砦が燃えているんだ!?」
サイプレス兵たちは口々に悲痛な声をあげる。
彼らの退路には、未だ不自然に燃え盛る砦があり、撤退を阻んでいた。
中には、道から出て山林に逃げる者もいたが、道なき森の茂みに彼らの動きは制限され、人間より巧みに山林で活動できる亜人たちの格好の獲物となった。
「亜人めらは勝手に殺し合う。皆の者、儂に集え!!」
統率が乱れかけたサイプレス軍にサイプレス卿の怒号が響き、組織的に応戦する。
幸いにも、背後は炎上中の砦であり、包囲されることはなかった。
亜人の獣声や剣戟の音は、一晩中途絶えることがなく続く。
朝日を背に、約3000もの兵がサイプレス卿の前に立ち、彼は陽光の眩しさに目を細める。
一晩中戦い抜いた兵士たちは、呆けたように立ちすくみ。中には、武器を取り落す者もいた。
周囲には大量の亜人の死体と散見される人間の死体があり、生き残った亜人はどこかに散ったか、1匹もその姿を確認できない。
「アスセーナ=ユーリリオン、参る」
太陽を背に舞い降りた戦女神が、生き残ったサイプレス軍に死刑を宣告した。
「小娘めが尋常に勝負しろ!!」
サイプレス卿の斬撃が肩口から入り、ユーリリオンの歩兵の1人が斃れ伏す。だが、彼の周囲では、サイプレス軍がユーリリオン軍に蹂躙されており、彼が1人2人を倒したところで戦況を覆すことは不可能である。
「サイプレス卿とお見受けする」
サイプレス卿の前に身長の倍ほどの大槍を持った男が現れ、周囲のユーリリオン兵の囲みが広がる。
口をへの字に曲げたその男は槍を構え、サイプレス卿が構えを取るのを待つ。
「リグナム=バイタ、行くぞ」
口をへの字に曲げた男の声に2人の男が交差した。
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