第2話

奈緒は化粧を直して現れた。口紅が赤い。


「やあ、綺麗だね。君と出会った頃を思い出したよ」


「嘘ばっかり。そんな筈ないでしょ。もう、おばあちゃんって言われる歳なんだから。57歳なのよ」


彼女は、座卓に料理を並べて行く。


「いや、今でも綺麗だよ。僕の眼には、カミさん以外の女性では、奈緒さんが一番綺麗だ」


「ありがと。そんなこと言ってくれるのは、あなただけだわ。さあ、食べましょ」






食事を済ませ、茶を淹れると、彼女が身辺事情を語り始めた。


「あたしね。離婚したのよ。若い時に。だから子供が居ないの」


「ふむ。それは寂しいね」


「ええ。寂しい女よ。でも、仕方ないわね。自分で選んだのだから」


「そうか。だからか ! 」


「だからって ? 」


「子供を産んでいない女性は、いつまでも綺麗なんだそうだよ」


「どこから、そんな話を ? 」


「さっき、大浴場に居た人から聞かされたんだ。城之内早苗っていう歌手がいるだろ ? 」


「ええ」


「彼女は結婚してるけど子供は居ない。だから綺麗なんだそうだ」


「うふふ……あなたは変わったわ。ずいぶん優しくなった」


「うん。若い時の僕は、わがままだった。それは自分でも分かる。結婚して、子供を育てて行く中で、大人になったんだろうな」


「お子さんは何人 ? 」


「娘が一人。もう嫁に行ったから今は一人住まいだ。いずれは皆んな一人になる。結局は誰もが寂しい」


「ええ、そうね。姉もそう言ってるわ。子供は跡を継いでくれない。自分のやりたい事は旅館業じゃないと言われれば無理強いは出来ない。将来は同業者に譲るしかないって。皆んな思うようには行かない。寂しいわね」


「うん。だからね。僕らぐらいになったら、寂しい者同士で助け合わないとね」


「助け合う ? 」


「そう。助け合って生きる。奈緒さん、どうだろう ? 明日は僕とデートしてもらえないだろうか ? 僕を助けると思って」


「まあっ ! あなた、それ本気で言ってるの ? こんな、おばあちゃんに ? 」


彼女の驚きぶりが可愛らしい。


「大阪の御堂筋を歩いてみないか ? 」


「御堂筋なんて行ったことないわ。遠いんでしょ ? 」


「うん。僕も行ったことない。つい、さっきまで考えた事もない。まあ冒険心だよ。いや、実はね。大浴場で聞かされたんだ。『たそがれの御堂筋』って歌を。これが、ゆかしい歌でね。このタイミングで君が目の前に居る。それなら行ってみようって」


「ええっ ? 今、思いついたの ? 」


「そうさ。君だからだよ。他の人では、そんな気分になれない」


「ありがとう。そうね。たまには遠出もいいわね。ちょっと急だけど、姉に理由を話して休みを取るわ」


彼女は眼を細めながらそう言うと食卓を片づけ始めた。私も、それを手伝った。


「ねえ、青司さん……あたし、なんだか泣きそうよ」


「どうして ? 」


「だって、昔、あなたと喧嘩して意地を張って良く話もせずに別れたでしょ?」


「うん。あの頃は携帯も無かったしね。今のように、お手軽に仲直りも出来ない。何をするにも手間がかかった。いちいち公衆電話から女子寮へ電話して呼び出しだ」


「あたし、寮長に話して居留守を使ったりもしたわ」


「うん。そうだろうと思った。だから寮長に言づけも出来ない。頻繁にかけ直しても未練がましい男と嗤われて格好が悪い。それなら、上等だ ! もう二度と会わない ! 僕もムキになった」


「あたしは、あれから、ずっと気になっていたの。胸の奥にしこりがあるようで……時々、あなたの事を思い出しては、どうしてるかしらって」


「うん。実は僕も同じだった」


「そうなの ? 」


「そうさ。僕は、もっと、ちゃんと話をして納得して、爽やかに別れたかった」


「そうね。あの時、会ってたら、きっとあなたは、そうする。だから、あたしは、爽やかに別れるなんて許さない ! って思ったの」


「えっ ? そうだったのか。意地が悪いなあ。意地悪女だ」


「そうなの。女は意地が悪いのよ。そんな、あたしを35年も経って、忘れた振りで誘ってくれるなんて」


奈緒は泣き笑いで私を視る。


「うん。不思議な巡り会いだ。さっきのは冗談。意地悪女だなんて思ってない。縁があるんだろうね。今日は飛行機が欠航になって良かった」


「欠航になって良かった ? 」


「うん。今日、欠航にならなかったら君に会えなかった」


「ああ、そういう……この雪が会わせてくれたのね」


「そう。この雪のお陰だ。縁があれば、別の形でも会えるのだろうけど、あんまり先でも困るからね。御堂筋を、爺さん婆さんで杖を突きながら歩いても様にならない。御堂筋はデートコースなんだ。若ぶるにも限度がある」


「うふふふ………あははっ ! 何を言ってるの。あなたが、こんなに面白いこと言う人だなんて……あははは」


奈緒は可笑しさを堪えきれないていで、口を両手で塞ぎ、肩を揺らせている。


私はタバコをつけながら、窓の外を眺めた。


明日は雪が止むだろうか?



ー了ー


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雪の舞い 朝星青大 @asahosi

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