第2話

大浴場から歌が聞こえる。


「あれは ? 」


先客が『大連の街から』を朗々と唄っていた。


湯気で良く見えないが、年配者のようだ。


「いい歌ですね」


唄い終わったところへ声をかけてみた。


「えっ ? いや、お恥ずかしい。他に誰も居なかったので、ついね」


「中山大三郎でしたか ? 」


「ええ。作詞・作曲とも中山大三郎です」


髪の薄い先客は応えた。


私は湯殿の縁を背に移動して、先客と 2mほどの位置に並んだ。


「歌い手は尾形大作でしたね ? 」


「ええ。でも、私は城之内早苗の歌で覚えたのです。彼女の唄いぶりに一目ぼれしましてね。何というか、情景が浮かぶのですよ」


♪ ここが大連の街とてもきれいだね

♪ 駅前広場さえ心ときめく

♪ アカシアの道を歩けば……


「まるで大連の街に居るような気分になる」


「大連に行かれた事があるのですか?」


「ええ。家内が大連の生まれでした。いえ、一緒に暮らしたのは金沢です。新婚旅行で中国を旅して、大連の街を歩いた事があったものですから」


「歌が人生の思い出と繋がっている。そういう」


「ええ、そうです。ただ、不思議なのです。この歌は前から知ってはいたのです。しかし、それほど気に留めなかった。ある時、偶然に城之内早苗の歌唱を聴いて、ビビンッと来たんです」


「なるほど。不思議ですね。同じメロディー、同じ歌詞なのに、歌い手の唄い方で印象が変わる」


「そう ! それなんです ! 」


彼は俄然、張り切った口調で私に説明を加える。


「家内は城之内早苗と似ていた。いえ、美貌がというより、声と雰囲気というようなものが。城之内早苗は49歳になるのですが、家内は、その年齢で亡くなった。20年前です」


「そんな若くに ? 」


「ええ。生きていれば69です。城之内早苗の親の世代です」


「ああ、確かに」


「50年前の歌で『たそがれの御堂筋』っていうのがあるのですがね。元は坂本スミ子っていう歌手の歌なんです。これを城之内早苗が唄ってる。彼女の唄い方の方がいい。まあ、これは好みの違いで、私は単純に彼女の声が好きなだけなのかも知れませんがね」


彼は、そう言って笑った。


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