雪の舞い

朝星青大

第1話

さらさらと水が流れるように粉雪が斜面を駆け下りて行く。


躍動する風と雪。


風が雪を吹き下ろし、巻き上げて……まるで雪の舞いを観ているようだ。こんな情景も悪くない。

私は、そんな雪の舞いに見とれていた。



「すみません。失礼します」




着物姿の仲居が宿帳を持って現れた。




「これに、記入をお願いします」


白髪の混じる髪や目元の皺から年齢は五十がらみと思われる。


仲居は座卓に宿帳とペンを置き、少し離れて正座した。



「ああ、はい」

 私はペンを手に取った。




「あの、もしかして……」

 仲居が何か言いかけた。



「はいっ?」




「お一人ですか? お連れ様が後から見えるのでしょうか?」




帳場でも同じことを訊かれて答えているのに、仲居には伝えていないのだろうか?




「いえ、一人です。こちらの旅館としては儲からない客でしょうね、きっと。すみません」




「いいえ、そんなことは。うふふ……」




軽い冗談が通じたらしい。仲居の反応と笑顔が可愛らしかった。




私は住所を記入しながら、間もなく還暦を迎える男が一人で泊まる不審を晴らさねばなるまいと思った。




「飛行機が欠航になっちまいましてね」




「そうでしたか。この時期は、天候の急変も珍しくなくて」


彼女の声は女性らしい艶があって魅力的だ。




「電車を乗り継いで帰れないこともないんですが、何だか疲れちゃいましてね。温泉で疲れを取るのもいいかなって。明日は休みだし。もっと言うと、二年前にカミさんを亡くしたものだから、早く帰る理由もないんですよ。はい、これ」




私は宿帳を渡しながら余計な事を言った。




仲居は、記入漏れがないか確認しているようだった。




「やっぱり!」




「えっ?」




「あたしです。奈緒です。忘れました?」




「えっ? なおって……」




まじまじと顔を見合わせた。


そうだ。この眼、この顔、この声は若い時に喧嘩別れをした奈緒だった。今となっては、どんな理由で喧嘩になったのか、思い出せない。




「お久しぶりね、青司さん。35年ぶりぐらいになるかしら」




「えっ ? や、やあ。元気だった?」




何を言ってるんだ。元気だから温泉旅館で働いているのだろう。だが、ここで『会いたかった』と言うのもわざとらしい。




「ええ。元気よ。お陰様で病気もせず。あなたも元気そうで何よりだわ」


彼女の言葉には笑顔と裏腹に棘のようなものを感じる。考え過ぎか ?

喧嘩したまま別れて関係を修復しようとしなかった負い目があるからか ?


「えーと、その……後で話せるだろうか?」




「ええ。あたしが夕食のお給仕をしましょう」




「あ、うん。是非、頼むよ。いや、そうじゃなくて一緒に食べよう。夕食を二人分にして下さい。奈緒さんが食事を済ませてしまったのなら無理にとは」


「ええ、そうね。それほどお腹が空いてはいないのだけど、こんな、おばあちゃんで良ければ、ご相伴させていただくわ」


「うん。良かった。食事のメニューは君の好きなものでいいから」


「本当 ? うふふ……青司さん、昔に比べて優しくなったわね」


「うん。まあね。長く人生をやれば僕だって少しは大人になるさ」


「そうね。こんな事、初めてだけど、あなたとならいいわ」



私は嬉しくなった。何とはなしに懐かしく安らげる。雰囲気と話し方が現代の若い女性とは違う。こういう会話は、同年代か、近い年代の女性としか出来ないものだ。


彼女は部屋の入口で振り返りながら告げた。


「女将に理由を話して、今日は他の仕事を外してもらうわ」


「えっ ? そんな事が出来るの ? 」


「ええ。だいじょぶよ。女将は私の姉なの」


「ああ、それなら……」


「温泉に入るでしょ ? 食事は、1 時間後ぐらいでいいかしら ? 」


「うん。それでいいね」

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