第8話:喧騒と千鳥足

 東門からは直接外に出られない。


 基地から数メートル離れたアーケード街に繋がる、地下道への扉が通称東門と呼ばれているからである。


 私服に着替えたセルテスは腕時計に目を落とす。約束の時間を丁度10分過ぎたところだった。


 手持ち無沙汰に待っているとようやくトリストラムが向こうから歩いてきた。


 タイトジーンズに白Tシャツとライダースジャケットを羽織った姿は、男のセルテスよりも男らしい。


 低いヒールを鳴らしながら近づいてくる彼女は大人らしい落ち着いた雰囲気に包まれていた。


「ごめん。思った以上に仕事が片付かなかった」


 トリストラムは顔の前で両手を合わせて謝る。


「気にしないでください。自分もちょっと長引いて今来たところですから」


 セルテスは優しく答える。彼が約束の時間に遅刻したことがないのはトリストラム自身よく知っていた。


 セルテスの心遣いを感じながらトリストラムは口元を緩めて「そうか」とだけ言い2人で基地を出た。


 扉をくぐり下っていった先の地下道はコンクリートで囲まれ、頼りない照明が点々と灯っている。


 2人は地下道を特に会話をすることもなく歩いていった。


 彼らの間には気まずい空気ではなく、なんてことのない親友のような空気があった。


 数分進むと階段が見えてきた。その階段を登った先にある錆びたステンレス製の扉を開けて地下道から薄暗い路地に出た。


 右手からアーケード街の賑わいが漏れている。


 路地の壁には剥き出しの配管や配線が血管のように這い回り、換気扇や空調機の室外機が低い音を立てて動いている。


 ところどこに得体の知れないシミがあり、お世辞にも綺麗とはいえない。


 路地を抜けると肉と甘辛いタレの焼け焦げる匂いを含んだ白煙やアルコールの匂い、酔っ払った人々と店員の掛け声や笑い声などが渦巻いていた。


 アーケードの高さは数十メートル程度にもかかわらず左右に立ち並ぶ建物から電話線や電線が幾重にも蜘蛛の巣のように伸びており、見上げても天上は殆ど見えない。


 その混雑した配線の隙間に無数に配置されているネオンや金属製の看板。しかし当然それらはあまり機能を果たしていない。


 隙間なく並ぶ商店街の上部には鉄筋コンクリートの住宅が建てられている。


 窓には転落防止と鳥よけ対策のために鉄格子が取り付けられていた。


 住宅の外壁と鉄格子は雨風に打たれ赤錆と黒ずみが目立ち、今にもアーケードを破壊しながら倒れ込んできそうな迫力を醸し出している。


 アーケード街の両端には青果店や雑貨店が多いが、全体では飲食店の割合が大きく夜になると毎日のように酒飲みが集まり騒ぎ始める。


 トリストラム達もその喧騒の中に紛れていった。


 瓶ケースにベニヤ板を乗せただけの簡易テーブルを囲んで酌み交わす人達もいれば、狭い店内で立ち飲みをする人達もいる。


 トリストラムがその様子を見ながらどこに入ろうかと物色していると、目の前の引き戸からしゃがれながらもよく通る声で客を送る男が彼女に気付いた。


「おや、トリストラムさんじゃないですか。お久しぶりです」


 男は腰を曲げ丁寧に挨拶する。トリストラムは軽く手を上げて答える。


「久しぶり。相変わらず繁盛しているみたいね」


「お陰様で嬉しい悲鳴の毎日ですよ。今日は飲みにですか?今丁度1席空きましたけど、どうですかい」


 店の中へ招くように手で示す男にトリストラムは少し店内を覗きながら言う。


「いや、今日は肉な気分なんだ。ごめんね」


 トリストラムの答えに男は顔の前で手を振りながら言う。


「いえいえ。ウチは海魚介料理ですから、肉食いたいときには他の店連中より劣ります。ただ海のもんが食いたいなってときにはどこよりも最高のもてなしを約束しますよ。是非また来てください」


「ああ、お前の店は一級品だよ。また近いうちにな」


「お待ちしております!」


 愛想の良い笑顔で答えた男は店内に戻り、すぐに「5番さん1本追加!」という大声が響いた。


 トリストラムが再び歩き始めるとまたすぐに知り合いに会い二言三言話すために足を止めた。


 彼女は少し歩く度に誰かから話しかけられるので中々前に進まない。


 痺れを切らしたセルテスがトリストラムに「どこか入りませんか」と尋ねると「どこかいい場所知らないか」と逆に質問されてしまった。


 セルテスが丁度昨日仲間内で話に出た肉料理の店を勧めるとトリストラムはセルテスに案内するよう言った。


 店に着くまでもトリストラムは何度も足を止め軽く話すのを繰り返し、20分程掛かってやっと到着した。


 そこは「チャックスター」と書かれた電飾看板を掲げた店だったが、「スター」の部分の電気が切れているため「チャック」だけが明るく光っている。


 店内は出入り口から厨房まで道が伸びその両側にボックス席が並んでいた。


 アーケード下の空気とは扉で区切られているものの、この店の中も肉を焼く煙や煙草の煙で白い靄がかかり酒と香辛料の混ざった匂いが充満している。


 しかし外のような喧騒はなくゆったりした音楽が流れている静かな雰囲気の店内であった。


 ドアベルの音を聞きつけた店員が駆け足で近づいてきて、背の低い店員は奥のボックス席に2人を案内した。


 二人は革のシートに座ってウィスキーのショットとビールを2セット注文した。


 トリストラムが店内を見回しながら話し始める。


「こんな店あったんだね。いい雰囲気じゃん」


「静かですね。外とは大違いだ」


「騒がしいのもいいけど、たまにはこういう店もね」


 すぐに店員がショットグラスとビールジョッキを2つずつそれぞれの前に置く。


 トリストラムが焼き鳥のセットを注文すると店員は奥に戻り厨房で注文を繰り返した。


 トリストラムはショットグラスを顔の前まで持ち上げ乾杯の仕草をみせる。セルテスもグラスを掲げカチンと乾杯した。


 安ウィスキーは口に含むと舌を刺激し喉を焼きながら降りていった。僅かな香りが鼻へと抜け、身体に染み渡るようだ。


 トリストラムとセルテスは一息ついて、再びビールを乾杯して飲み始めた。


「なんで今日は飲みに誘ってくれたんです?」


「ん~」とトリストラムはビールジョッキを傾かせて回しながら答えた。「別に理由はないけど、最近飲みに出てないし一緒に行くならお前かなって」


「嬉しいですね。隊長に選ばれた男というのは」


 セルテスはビールを煽りながらニヤついた表情で言う。


 彼の表情を見てトリストラムは鼻で笑って白い歯を見せた。


「実際問題、お前が1番誘いやすいしね。他の人達だと接待感がな……」


「確かに隊長と飲みに行く、ってだけ聞くと接待飲みですもんね」


「そんな雰囲気の中で飲んでも楽しくないよ」


「自分と隊長って2つ違いでしたっけ」


「私26だよ。まだ」


「自分24ですし、そうですよね。他の連中まだ20歳中心ですし話ついていけないですよ」


「うちの部隊やたら若いんだよな。自分で言うのも何だけど大して重要な基地でもないし」


「だから志願してくる奴らが多いんでしょうね。隊長は志願してきたんですか」


 トリストラムは空になったジョッキの縁を指でなぞっている。


「おまたせ、しゃした~」


 さっきとは違う弾むような話し方をした身体の細い店員が湯気の立つ焼鳥の並んだトレーを持ってきた。


 タレの香ばしい匂いに刺激されて2人の口の中に唾液が湧いてきた。


 トリストラムが空いたジョッキを店員に渡し、おかわりを頼むと彼は「少々お待ちくだっさいませぇ」と厨房へ歩いていった。


「変な話し方するな、あの人」


 トリストラムが席から上半身だけ乗り出して去って行った店員を見ながら言う。


 セルテスは気に留める様子もなく、並べられた焼鳥のどれを食べようか吟味している。


 店員はすぐに並々注いだビールジョッキを持って戻ってきて「ごゆっくり~」と間抜けに言い残し再び戻っていった。


「んで、何の話だっけ」


 トリストラムはジョッキに口を寄せビールを飲みながら上目遣いでセルテスに訊ねる。


 セルテスはネギをシャリシャリと噛みながら答える。


「隊長が何でうちに来たかっていう話ですよ」


「ああ、私も他の皆と同じで志願してこっちに配属されたんだよ。別に特別な理由があるわけじゃないさ。あえて言うなら、海が近いのと比較的平和だったのが理由かな」


「自分は志願したわけじゃないんですけど、隊長と同じ部隊に配属されたのは素直に嬉しかったですよ。見知った人が上司なのは少し楽な部分ありますしね」


「私の1年遅れで来た時はびっくりしたよ。同じ部隊で訓練したこともある人が部下で入ってくるなんて」


 僅か数年前のことなのにトリストラムは子供の頃の記憶を思い返すように懐かしい表情でしみじみと言った。


 彼女の表情を見ているとセルテスも当時の光景が空気感や匂いまでも鮮明に思い起こされるようだ。


 昔話に花が咲くと2人の飲むペースも速まった。


 訓練生時代の上官や先輩への不満から仲間内の笑い話まで止まること無く話し続けた。


 店内の雰囲気も二人が盛り上がるに連れ活気のあるものに変わっていき、笑い声がいたるところから上がり始める。


 つまみの焼き鳥がなくなったのでトリストラムが品書きを見ていると「ん?」と変な声を上げた。


 セルテスが覗き込むとトリストラムが指を指した。そこにはテープが貼られ値段が上書きされていた。


「これがどうしたんですか」


「これ」


 トリストラムの示す料理に付けられた値段は他の料理より倍近く高い。


 顔が上気しほろ酔い加減のトリストラムは「頼んでみようか」と手を上げて店員を呼び止めた。


 2人のテーブルに来たのは妙な話し方をする細い店員だった。


「これさあ、なんでこんな高いのぉ」トリストラムが指差しながら訊く。


「ああ~それ野菜炒めなんすけどぉ、使ってる野菜が高くなってるらしいっすよ。うちエリケ産の使ってるんすけど、あそこ最近値上がり凄いみたいっすね」


「ふーん。じゃあこれ1つとビールおかわり」


 トリストラムの注文を受けると店員は返事をし、空になった皿とジョッキを持って厨房へ戻っていった。


 セルテスはエリケという言葉に思い出してトリストラムに訊ねた。


「そういえばなんであの子見逃したんですか。映像は不鮮明でしたけど自分の記憶違いじゃなければ、十中八九侵入してきた犯人ですよ」


 酔いのためにトロンとした表情なものの、セルテスは問い詰めるようにじっとトリストラムを見た。


 彼の視線から逃れるようにトリストラムは視線を落として答える。


「まあそうなんだけどね。彼女はよく知った子だし、忠告と見張りを1人付けたから今回の処置はそれで十分だと判断しただけだよ」


「そんな理由でみすみす逃したんですか?! 知り合いだろうが何だろうが、状況次第では罰を与えないと。ましてや今回は……」


 セルテスの追求にトリストラムは人差し指を立てて彼の口元に突きつけた。


「その話は終了な。いつか必ずちゃんと話すから」


 セルテスは眉間にしわを寄せ睨んでいたが、堪忍してため息まじりに言った。


「分かりましたよ。でも絶対話してもらいますからね」


「ああ。お。来たぞ」


 トリストラムが頼んだ料理はバターで炒めたっぷりの黒胡椒で味付けされた野菜炒めだった。


 立ち上る湯気に混じって食欲を誘う香りが2人の目を引きつけた。


 気分が高揚したトリストラムとセルテスはビールジョッキを掲げ、勢い良く乾杯し喉を潤してから野菜炒めに食らいついた。


 それから日をまたいでも2人は色々な酒場を飲み歩いた。


 トリストラムに至っては、基地に返ってくる頃には珍しく千鳥足になっていた。

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