第7話:豪雨とチョコバー

 滝のように激しい豪雨の中を1台の車が疾走していた。


 左右に立ち並ぶ木々の肌はヘッドライトの明かりを受け不気味な艶やかさを見せる。


 豪快に泥水を跳ねながら進む軍用車は、上に下に左に右にと揺れるもののバランスを崩すこと無く駆ける。


 酸素を求めて喘ぐ全身の細胞に血液を送ろうとする心臓のようにエンジンは熱を高めていく。


 乗り心地は最悪そのものだった。


 お世辞にも広いと言えない車内でトリストラムを始めとした乗組員全員、何度も天上に頭をぶつけていた。


 運転席に座るセルテスは口を真一文字に結んで真剣な目をしているものの、どこか楽しんでいるふうであった。


 しかし助手席に座るトリストラムに楽しむ余裕など無く、這い上がろうとする胃の中身を押さえ込むので精一杯だった。


「ちょっとセルテス。あんたもう少しスマートな運転できないの?!レディーをエスコートするつもりで運転しなさいよ!」


 トリストラムは悲鳴にも似た訴えをセルテスに告げる。


 彼女が言い終わった直後、タイヤが地面に転がった石に乗り上げ車体が大きく上下した。


 不意の衝撃に、トリストラムは危うく自分の舌を噛みそうになった。


 彼女の訴えにセルテスは叩きつける雨で、すりガラスのように視野の悪くなった前方を見ながら答える。


「いや隊長、この状況で下手にスピード落としたら、ぬかるみにタイヤが取られます。もう少しで舗装道路に合流できるので辛抱願います!」


 この時、トリストラムはセルテスの言葉を殆ど聞いていなかった。


 走行音と無数の雨粒が打ち付ける音でセルテスの声が掻き消されていたというのもあったが、やはりそれ以上にこの悪状況に耐えることに全神経が注がれていた。


 タイヤが踏む石やはみ出た樹の根、跳ねた泥水が窓に掛かる音、エンジンの駆動音、車が生み出す様々な振動や音がトリストラム達を包み込む。


 深い轍は雨と泥にすぐさま侵食され跡形もなくなる。


 まるで少しでもスピードを落としたら自然の猛威が彼らを丸呑みにしてしまいそうだ。


 暴れ馬のような車はそれから30分も荒れ地を走り続けた。


 舗装道路に合流した頃には、皆座席にぐったり身体を預けていた。


 セルテス1人が困難を乗り越えた安心感と充実感に溢れた顔をしている。


 彼の表情を横目に見ながらトリストラムは「お前、こういう派手なの好きな」と恨めしく呟いた。


アスファルトで舗装された道路は、静かすぎるほど安定した走行を許した。


 雨脚は一向に弱まる気配がない。


 等間隔に流れていく街頭の明かりは雨の幕で綿菓子のように丸くぼやけ、さらに個々の間隔が広すぎてあまり機能的ではない。


 人工の冷たい光は遠く向こうからやって来て、トリストラムの心を乱暴に触れては素知らぬ顔をして遥か後方へ去っていくのを何度となく繰り返した。


 その度に彼女の中で名前の分からない感情が、ぐにゃぐにゃと動き続けた。


 彼女にはただ心のなかで動き続けるそれを静観することしかできなかったが、シェイナとアリアに久しぶりに会ったことが原因なのだろうと頭の隅で考えていた。


 長い一本道を抜けるとようやく基地が見えてきる。


 不夜城の基地は雨粒に溶け込みいつにも増して威容な存在感を見せていた。


 耳が痛くなる金属音を響かせながら開く門を抜け、車は車庫に入る。


 車庫の中は雨音が遮られ、ここだけ空間が切り離されたように妙な静けさだった。


 トリストラムとセルテスは泥だらけの車から降りて食堂に寄った。他2人は途中で自室へと帰っていった。


 食堂には長机が6つ並んで奥の隅に小さな冷蔵庫があるだけだ。冷蔵庫のある隅と対角線上にキッチンへ続くドアがある。


 誰も居ないので食事時の活気ある空気とは違う、ひんやりした空気が漂っていた。


 トリストラムは迷うこと無く冷蔵庫に直行してその中身を覗く。


 するとすぐに「あ、」と呟いて口を尖らせた。


 暫くそのまま冷蔵庫の中を見てから、ため息を付いたトリストラムは水の入ったペットボトルを一本取り出して冷蔵庫の扉を閉めた。


 振り返ったトリストラムはセルテスが座っているのを見て少し驚く。


「セルテス、いたのか」


 そう言いながらトリストラムは彼に近寄る。セルテスは立ち上がって、トリストラムとは反対の方を回って冷蔵庫に近づく。


「ちょっと疲れたのでチョコバーでも食べようかと」


 冷蔵庫の扉に手をかけたセルテスに向かってトリストラムが言う。


「もう無いよ。この前買ってきたばかりだと思ったんだけどな」


「あ、そうなんですか」


 セルテスは特に残念がる様子もなくトリストラムのところに戻ってきた。


 トリストラムはペットボトルに口をつけて一息つく。


「お前達、食べ過ぎなんじゃないの。1日1本って決まりでしょ」


 トリストラムはキャップを閉めて、ペットボトルをセルテスに指し棒のように向けて言う。


 まるで先生が生徒を注意するような口調だ。


 彼女の注意を聞いたセルテスは少し考えてから言いづらそうに話し始めた。


「……実はですね、勝手に決めたことなんですけど自分たちそんなに食べてないんですよ」


「どういうこと?」


「隊長が甘いもの好きなので、自分たちは基本的には遠慮して食べたくても1週間に1本を限度にしようと。自分も今月入ってまだ食べてませんし」


 トリストラムはペットボトルをテーブルにおいてうなだれる。


 頭に手を当て言葉を探すように髪の中で手を動かす。


「そうかあ……そうだったのか。こっそり2本食べてたりして悪かったな。お前ら我慢してたのに」


 懺悔するような調子のトリストラムにセルテスは戸惑った。


 彼女の自責の念に絡みつかれた様子を見ながら、セルテスは「この人、本当に甘いもの好きだな」と心の中で呟いた。


 呆れたセルテスはトリストラムに小さな声で言う。


「隊長そんなことしていたんですか。ほんと太りますよ」


 俯いていたトリストラムは、ギロッとセルテスを睨んだ。


「うるさいなあ」


 トリストラムは口をあまり開けず間延びしたように言ってペットボトルを仰いだ。


 そしてそのまま食堂を出ていく。


 彼女の後ろについてセルテスも食堂を出た。


 少し歩くとトリストラムが首だけ振り向きセルテスに訊いた。


「セルテス、お前今日あとどのくらい仕事残ってる?」


「そうですね……事務作業が少しありますけど」


「1時間位あれば終わりそう?」


「余裕ですよ」


 と、セルテスが答えたところでトリストラムの隊長室に続く階段に差し掛かったため彼女が足を止める。


「それじゃあ今日は飲みに行かない。詫びも兼ねて奢るよ」


「いいですね」


 セルテスの同意を受けてトリストラムは柔らかい表情になって頷く。


 彼女は右手首に付けた腕時計を見て言う。


「よし、1時間後東門に集合で」


「了解です」


 セルテスは短く返事をしてトリストラムと別れる。彼女もすぐに階段を登っていった。

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