第128話 クリスマスイブ

 スタジオへとスーツを見に行ったあの日、あれよあれよと二十着はスーツを試着して渾身の一着を決めた。結局決まったのは一番最初に着たスーツだったんだけどね。

 ネクタイはストライプから水玉模様に変わったけれど、色については同じものだ。そしてカッターシャツと靴も揃えて、監督に『合格祝いだ』と言ってプレゼントされてしまった。

 さすがにもらいすぎだと思ったけれど、響さんたち全員からだと言われてしまえば断りづらい。


 そして、いざ決まったら決まったで、本当にこれで大丈夫なのか不安になってきたのだ。微妙な表情に気がついた監督が声を掛けてくれたけれど、最初は慰めてくれたのかからかってるのかよくわからなかった。


『大丈夫よ、一秋くん。……少なくとも、『背の低い人のスーツ着こなし』特集をやろうかと思えるくらいは似合ってるわよ』


 改めてセリフを思い返すけれど、やっぱりすぐには理解できないよね。


『十分着こなしてるから大丈夫よ。背が低くてもカッコよく見えるんだから、卑屈にならないで、むしろ自分の武器だと思いなさい。少なくともこの特集を組めるのはあなただからこそよ』


 だけど監督のこの言葉で、僕の考え方が変わったんだ。ずっと背が小さいことがコンプレックスだったけれど、それが取柄になることもあるんだってわかった。背が低いことで何か言われても、今すぐになんでもないと流せるようにはならないと思う。だけれど、そこは慣れていければいいと思う。……だからと言って背が低いままがいいというわけでもないけれど。


「ただいまー」


 この間の出来事を思い返していると、玄関から可愛らしい声が聞こえてきた。もちろん声の主はすずだ。


「おかえり」


 リビングへと顔を出したすずへと僕も声を掛ける。最近になって、すずは僕の家に来るときに『ただいま』と言うようになった。なんとも嬉しいような恥ずかしいような気分になってしまう。家には他に誰もいないので、僕の頬は緩みっぱなしだ。

 荷物を置いて身軽になったすずへ近づくと、そのままぎゅっと抱きしめる。


「ど、どうしたの?」


「……ううん、なんでもないよ」


 自覚は全然なかったけれど、以前までなら何気ない時にこうやってすずに抱き着くことなんてなかったような気がする。……すずの方が背が高いからね。無意識のうちに見下ろされる位置は避けていたのかもしれない。だけど今は違う。


「あはは……、誠ちゃんかわいい」


 そしてそのまま抱きしめ返されると、頭をなでなでとされてしまった。

 すずに言われるのは悪い気はしない。かわいいと言われるのもきっと、背が低いのと同じで僕だからだろう。すずはからかってるわけじゃなく、本心で言っているはずだ。


「何か買ってきたの?」


 一通りすずを堪能して満足した僕は、そっと離れて床に置かれた荷物を覗き込む。するとそこには、スポンジケーキと生クリームとフルーツの缶詰やチョコが入っていた。


「うん。今日はほら……、クリスマスイブだし、誠ちゃんとケーキ作りたいなぁって思って……」


「いいね。楽しそうだね」


 よくみるとチョコペンも入っている。何か書けそうだ。……あ、そういえば我が家に泡だて器がないな。


「どうやって生クリーム泡立てようか……?」


「わたしの家にハンドミキサーがあるよ」


「そうなんだ」


「うん。ちょっと取ってくるね」


「わかった」




 お菓子作りはやったことがないけれど、ケーキを作るのは楽しい。すずと二人で作ってるからかもしれないけれど。


「どうせならチョコホイップがいいよね」


 そう言いながら、ハンドミキサーと一緒にもうひとつボウルを持って帰ってきたすずは、包丁でチョコを細切れにしている。チョコケーキのほうが好きな僕としても異論はない。その間に僕は、すずに指示された通りに湯煎のためのお湯を沸かして、スポンジケーキをスライスして半分に切った。

 食器棚からボウルを取り出してから気づいたけれど、そういえば我が家にはひとつしかボウルがない。これじゃ湯銭はできないね。今だとすずのほうが、我が家のキッチン事情を知っているかもしれない。


 湯煎したチョコに生クリームをゆっくり注ぎながら混ぜ、チョコ生クリームを泡立てる。あとはスポンジケーキに生クリームを塗って、フルーツをトッピングすれば出来上がりだ。


「お菓子作りの道具っていろいろあるんだね」


 感心して思わず出た言葉だったけれど、すずは『あはは』と苦笑いだ。今僕は生クリームをケーキに塗ってるけれど、名前を知らないこの道具だってすずの家から持ってきたものだ。


「作りたいと思って揃えてたんだけどね……」


 なるほど、普段あまり出番はなかったらしい。そういえばもらったおすそ分けもおかずがメインだった気がする。


「ほら、前に誠ちゃんからチョコカップケーキもらったでしょ。あれがすごく美味しくて……。今度一緒に作りたいなぁって思ってたの」


 僕がすずに告白したときのカップケーキだ。はにかみながら僕をちらちらと見るすずがかわいくて、そしてその時のことを思い出して顔に熱が集まってくる。


「あ、うん……、そうなんだ」


「だからね……」


 ちらちらとしていた視線をしっかりと僕に合わせると。


「今とっても幸せだよ」


 そう言ったすずの笑顔は、とても輝いて見えた。

 同時に心の中が温かくなってくるのが感じられる。ああ、もうどうしよう。すずが愛しくてしょうがない。すごく何か行動に移したいんだけれど、今の僕はスポンジケーキに生クリームを塗ってる途中なのだ。


「うん。僕も……。僕もすずが大好き」


 もどかしい思いをしつつ、今思ってることを素直に伝えると。


「えへへ」


 最高の笑顔が返ってきた。


「それでね……、えーっと……」


 だけれど急に視線を逸らせると、言葉を濁してもじもじしだす。


「うん」


 そんな様子もかわいいなぁと思いながら、続きを待っていると。


「あのね……、今日は、誠ちゃんちに泊まってもいいかな?」


「――えっ?」


「ほら、その……、せっかくのクリスマスだし……」


 俯き気味になって僕を上目づかいで伺ってくるすずに、僕はもう何を言われたのか一瞬理解ができなかった。だけれど……。


「あ、うん……。そうだね。……ぜひそうしてください」


 あまりにも動揺して、変な言葉遣いになってしまった。言ってから『しまった』と思ったけれどもう遅い。すずが……、僕の家に泊まる……? 本当に? いいの? 僕としてはとても嬉しいんだけれど、すずはいいの? 何度も疑問が頭の中を駆け巡るけれど、答えなんて出るはずもなく。

 しばらく動けなくて、生クリームを塗るためにケーキに添えていた道具に変な力が掛かる。


「あっ!」


「えっ!?」


 すずが上げた声に思わず反応してしまい、道具を持っていた手にも力が入る。何があったかわからない僕に、すずがおずおずとケーキを指さすと。

 ……そこにはちょっと形の変わったケーキが佇んでいた。


「「ぷっ……、あはははは!」」


 急におかしくなって、二人で笑いあったのだった。




 この日食べたクリスマスチョコケーキは、とっても甘くてとろけるほど幸せな味でした。

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