第127話 服装はもちろん

「えーっと……、スーツ?」


 わけがわからずにオウム返しをしてしまう僕。いきなりスーツを買うという行動がよくわからないんだからしょうがない。


「うん。誠ちゃんのスーツ姿が見てみたいなぁって……」


 好奇心と共に何やらうっとりとした表情を浮かべるすず。あぁ、なんとなくわかってきたぞ。すずの両親に挨拶に行くための服装……だよね? 確かに普段着じゃダメだね。そのことをすずに告げると、僕の想像した通りの答えが返ってきた。やっぱり挨拶の時の服装らしい。


「でもほら、大学の入学式もスーツだよ? わたしのときは男の子はほとんどスーツだったし」


「あ、そうなんだ」


 そうか、大学の入学式もか……。だったら尚更スーツが要りそうだね。でもどんなスーツがいいんだろう。


「そこは専門家に聞いてみればいいんじゃないかな?」


 急に黙り込んだ僕に、すずはいたずらっぽく微笑むのだった。




「「「合格おめでとう!」」」


 次の土曜日、スーツについて専門家へと聞いてみるべくすずと二人でやってきたのは、『サフラン』の撮影スタジオだ。スーツと言えば有名な専門店もあるけれど、服と言えば専属になったばかりのお店があるだろうということだ。さっそく監督に相談してみたら、次の土曜日にスタジオに来てくれとのことだったのだ。


「あ、ありがとう」


 よく見れば響さんや千尋さん、菜緒ちゃんもいる。

 まさか僕のために集まってくれたなんて思わないけれど、もしかして元々今日はみんな撮影の日だったんだろうか。

 どういう状況なのかいまいち把握できない僕に、次々とお祝いの言葉と茶化す言葉が投げかけられる。


「さて、じゃあさっそく撮影はじめましょうか」


 そして監督の掛け声で、そのまま撮影が始まるのだった。

 ……いやこれって僕も撮影に参加するってことだよね?


「えーっと、誠ちゃんも撮影するの……?」


 すずがこっそりと聞いてくるけれど、僕にも何がなんだかわからない。監督に電話して、スーツがないかどうか聞いただけのはずなんだけれど……。


「一秋くんとすずちゃんは、一緒に衣裳部屋Bに行ってくれるかしら」


「えっ? わたしもですか?」


 目を丸くするすずに、監督はニヤリと口元を緩めると。


「そうよ。スーツがたくさんあるから、すずちゃんも自由に選んであげてね」


「あ、そうなんですか」


 そういうことなのか。……仕事もできてスーツも選べて一石二鳥ということか。


「ありがとうございます!」


 監督の言葉に嬉しそうに答えるすず。


「早く行こう!」


「はいはい」


 急かしてくるすずに苦笑しながら、二人で衣裳部屋Bへと向かう。よくよく考えれば専属契約してから初のお仕事だ。心の準備がまったくできていなかったけれど、そんなことは言ってられない。事前に情報は欲しかったと思うけれど、なんとかするしかない。


「久しぶりだね」


 部屋に入るとスタイリストの湯崎さんが待ち構えていた。


「お久しぶりです」


 顎に手を当てて考え込む湯崎さんに返事をすると、すずもぺこりと会釈をする。


「……まさかアンタがスーツを着ることになるなんてね」


「えっ?」


「アンタは背が小さいからね。撮影の機会があるとは思ってなかったよ」


「――えぇっ!?」


「……ぷっ」


 湯崎さんの遠慮のない言葉に思わず叫び声が出てしまった。っていうかすずもそんなに笑わなくていいじゃないか。


「まぁいいじゃないか。晴れ舞台ってのは誰にもやってくるんだ。気に入るやつが見つかるまで、存分に選んだらいいさ」


「誠ちゃんはかわいいですからね」


「すずまで……」


 若干不機嫌になりながらも湯崎さんの背後へと目を向けると、そこにはスーツがたくさん並んでいた。思ったよりも色とりどりで目移りしそうだ。モノトーン系の色しかないと思っていたけれど、青系統や緑系統まである。さすがに原色系はなかったけれど。


「入学式って聞いてたから、一応フォーマルタイプのやつをそろえておいたよ」


「ありがとうございます」


 手に取って見ると、サイズも僕に近いものが揃えられているようだった。当たり前だとは思うけれどありがたい。

 すずと二人であれこれ言いながら選び、湯崎さんにしっかりと見た目を整えられてスタジオへと戻った。


「うん。やっぱり誠ちゃんはカッコいいね」


 絶賛するすずだけれど、湯崎さんの言葉は『悪くない』だった。なんとも微妙な評価だったけれど、果たしてみんなの目にはどう映るのか。……自分の評価? ……まぁ湯崎さんと同意見かな。


「おぉ、見違えたな、一秋。……馬子にも衣裳って言うんだっけ?」


「いやーん、一秋くんかわいい!」


「一秋くん、似合ってるわね」


「あら、思ったよりいいわね」


「うん。やっぱり誠ちゃんはカッコいいよね」


 なんともバラバラな感想で反応に困っていると、すずが一人納得してうんうんと頷いていた。


「はっはっは! いいじゃないか! さすが『サフラン』のスーツだってことがわかって!」


 今の僕の姿は、三つボタンの濃いめのグレー色をした細身のスーツだ。ネクタイは濃い青とグレーのストライプ柄で、こっちも細めな仕様となっている。そして胸元には青く光るネクタイピンが差し込まれている。


 一方響さんはさすがだ。身長を生かして二つボタンの明るめのグレーのスーツを着こなし、できる若手といった風体だ。千尋さんもシックな黒いパンツスーツ姿がカッコいい。菜緒ちゃんは言わずもがなだ。グレーのスカートスーツに、胸元には黒いリボンの装飾がついていて華やかだ。


「それにしても一秋くん、今からスーツ探しなんて行動が早いわね?」


 三人の着こなしを観察していると、さっきまで感心していた様子の監督から疑問が上がる。


「えっ? あ……、そ、そうですかね……」


 勢いに任せて監督に相談してしまったけれど、確かに入学式は来年の四月だ。受験が終わった直後というのは、急すぎる気がしないでもない。だけれども、本当のことは恥ずかしくて口にするのは躊躇われる。


「うふふ、今は撮影に集中しましょうか。……あとでいい報告を聞かせてちょうだいね」


「えぇっ!?」


 見透かされたようなセリフに絶句していると、間髪入れずにカメラマンの神原かんばらさんの声が響き渡る。


「よーし、撮るぞー!」


 もしかしてスーツに着られていないか不安だったけれど、監督の言葉でそんなものはどこかに消え去ってしまっていた。

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