第113話 お断りします

 タイミングを見計らったかのように、振り返ったときにバックミュージックが止まり静寂が訪れる。

 あれだけ華やかだったステージだったけれど、一瞬にして無音になった様はまるで、すずと野花さん二人の心情を表しているようだ。

 そこにちょうど、ピアノの音が静かに響いてきた。

 どうやら僕が演奏しているピアノ曲のようだ。

 舞台裏からは見づらいけれど、スクリーンには演奏する僕の姿がでかでかと映し出されている。『サフラン』のステージ登場順番が回ってきたようだ。


「オレが推薦すれば倉坂さんの事務所でモデルとして入れるよ。……どうかな?」


 二人の冷ややかな様子を感じ取れていないのだろうか。三井はいつもの調子で語り掛けている。

 その声は小さめだったけれど、バックミュージックが静かなピアノ音声になったせいか、僕にもしっかりと三井の声が聞こえている。


「キミたちならすぐにステージに立てるんじゃないかな」


 もしかして自分が推した子がかんばしくなかったから、二人を推そうとしてるんじゃ……。

 野花さんは実際に学生部門でステージに出ているし、第三者から見ても見込みがありそうだと感じるのかもしれないけれど。


「あー、まぁ急にこんな話をされてもピンとこないよな。もしよかったらどうかな、このあと三人・・で食事でもしながら話しないか?」


 しかしホントに何考えてるんだろう。この場には僕もいるのにまるで目に入っていないかのような振る舞いだ。……いやこんな奴に誘って欲しいなんて微塵も思わないけれど。

 社長の息子だとは聞いていたけれど、正直に言って本人の残念感が半端ない。まさに虎の威を借る狐とはこのことだろうか。


「……どうかな?」


 なかなか反応しない二人に対して念を押す三井。空気を読めていない気もするけれど、ある意味これは三井の才能なのだろうか。


「申し訳ありませんがお断りさせていただきます」


 最初に言葉を発したのは野花さんだ。彼女はすでに仲羽なかはね菜緒なおの名前でモデル活動をしているので、当たり前と言えば当たり前だ。

 三井は気がついていないようだったけれども。


「……え?」


 まさか断られるとは思っていなかったのだろうか。三井が素っ頓狂な表情で間抜けな声を上げる。


「いや、あの、……モデルになれるんだよ?」


「間に合ってますので」


 尚も縋る三井を、野花さんがきっぱりと切り捨てる。


「そ……、そうか」


 野花さんのことは諦めたのか、今度はすずへと向き直る。『間に合ってる』とはどういうことなのか問いただそうとしないところを見ると、三井としてはすずが本命なのだろう。


「すずちゃんは断らないよね。何と言ってもオレのお願いだし」


 しかしその態度はかなり大きくなっているようだ。さすがは社長の息子と言ったところだろうか。わざわざすずのおじいちゃん経由でお願いをしてきたことはある。

 三井の言葉に心配になり、すずの表情を伺ってみるけれど、冷ややかな表情がさらに増している気がする。

 僕が間に入ろうと思ったけれど、大丈夫なのかもしれない。


「――残念ですけど、わたしもお断りします」


 思った通り、僕が出るまでもなく自分で断りの言葉を告げるすず。本人から断りの言葉が出れば、僕から言われるよりは説得力があるはずだ。


「――は?」


 だけれども、三井の反応は野花さんと違った。

 眉間に皺が寄ったかと思うと、威圧するかのようにすずへと一歩近づく。


「そんなこと言っちゃていいのかな? じいさんにも報告させてもらうが……」


「ご自由にどうぞ。彼氏の悪口を言うあなたとは仲良くなれそうにないので」


 おじいちゃんまで出して脅迫めいたセリフを吐く三井だったが、それもすずに一蹴されている。

 よほど腹に据えかねたのだろうか……。僕のことで怒ってくれているのだと思うと、嬉しいことではある。


「……彼氏?」


 だけれど三井にとっては聞き捨てならない言葉が混じっていたようだ。


「今日のことも、おじいちゃんには無理だってちゃんと断ってるんです。……三井さんにまで話は行ってなかったようですけど」


「……なんだって?」


 まさに聞いてないと言った表情で固まっている三井。そりゃそうだろう。知っていたらここに来ているはずもない。

 知っていて来ているとすれば、それはそれで逆にすごいと感心するけれど。


「……彼氏がいるのか。……しかも悪口って、……え? ……なに? もしかして……」


 すずの彼氏発言に面食らっているようだけれど、悪口を言っていた相手が誰なのか繋がったのか。すずを見つめる目が大きく見開かれていく。

 同時に、バックで流れる僕のピアノ演奏も盛り上がりを見せ始める。


「いやいや、さすがに新人モデルが彼氏とか……話盛り過ぎでしょ」


 スクリーンに映る僕には気づかない三井ではあるけれど、演奏の盛り上がりによって多少は冷静になれたのだろうか。すずの彼氏発言を、自分の話を断るための方便だと決めつけにかかる三井。

 肩をすくめてため息をつくと、諭すような口調ですずに語り掛ける。


「仮にそうだとしても所詮は新人モデルだろ? 賢明な判断だとは思えないけどな」


 まるで新人モデルくらいならどうとでもできると言っているように聞こえる。


「こっちは断ってるんですけど、あなた何様のつもり?」


「そうですよ。いくらなんでも往生際が悪いんじゃないですか」


 いい加減にしびれを切らしたのか、野花さんが口を出してきた。

 僕もずっと黙っているわけにはいかない。


「はぁ? 何言ってんだ? すずちゃんのじいさんと仲がいいのは、オレの親父だぞ?」


 僕たちの援護にも全く怯む様子を見せず、虎の威を前面に押し出してくる。

 いい加減うんざりしてきたけれど、ここで引くわけにはいかない。いつまでもこんな調子が続くのはもう限界だ。

 穏便に終わればいいと思っていたけれどもうダメだ。今更感はあるけれど、ここはしっかりと彼氏と名乗ってお帰り願おう。


「それがどうしたんですか?」


 意を決して踏み出そうとしたけれど、三井の態度に怯むすずではなかった。

 しっかりと三井を見据えるその表情は、静かに怒りをたたえている。


「――なんだって?」


「あなたのお父さんがすごいのはわかりました」


「……は?」


 何を言われたのか理解できなかったのか、三井は一瞬呆けた表情になっている。


「あなた自身はどうなんですか? さっきから聞いていれば、東原先輩のピアノがすごいとか、モデル事務所の社長さんと知り合いだとか……、自分以外のことばっかりじゃないですか!」


 両こぶしを握り締め、瞳に涙を浮かべながらすずが叫ぶように訴える。


「三井さん自身は何かすごいところがあるんですか!? そんな人に、誠ちゃんの悪口は言われたくありません!」


 すずの言葉が終わると同時に、バックミュージックである僕の演奏も終わりを迎える。

 さっきまでの喧騒が嘘のように静寂が広がる中、誰も言葉を発することができずにいると、次第に辺りは客席からの拍手の音に塗りつぶされていった。

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