第69話 恋の病
「黒塚先輩!」
自宅へ帰るために昇降口で靴を履き替えているときに、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
聞こえた瞬間に、声で誰かわかってしまったため、思わずビクッと反応してしまったのはきっと気のせいだと思いたい。
足元から声の主へと顔を向けつつ相手を確認する。
「水沢さん。こんにちわ」
どうやら間違っていなかったらしい。そこにはジャージ姿で財布を手に持った水沢さんがいた。
今の時間帯は昼休みである。もしかしたらお昼ご飯なのかな? 夏休み中でも購買部は開いていた気がするし。
「もしかして今からお昼?」
「あ、はい。先輩は今帰りですか?」
「うん。そうだよ。……夏期講習は午前中で終わりだからね」
上履きをロッカーに入れるとそのまま閉める。
……思ったよりもいつも通りの会話ができている気がする。
「あの……、先輩はどこの大学を受けるんですか?」
いつこの間の話題が出ないか、内心ではドキドキだ。
「あー、僕は藤堂学院大学かな」
「やっぱりそうなんだ……」
僕の言葉に水沢さんの表情に薄くではあるが笑みが浮かぶ。
「先輩。がんばってくださいね!」
「あ、うん。ありがと」
そう言って水沢さんは購買部へと行ってしまった。
うーん……、いつも通り……、だったような……。やっぱり僕から話題に出すわけにはいかないのかな。
なんともしこりを残したまま自宅へと帰るのだった。
僕は今マンション前のスーパーにいる。
学校帰りではない。ボーっと考え事をしながら帰っていたら、スーパーに寄るのを忘れてそのまま帰ってしまったのだ。
さすがにすぐまた階段を上り下りしてまでスーパーに行くのは面倒だったので、お昼ご飯は残り物で済ませたけれど、晩ご飯はそうもいかなかった。
買い物を終えてマンションへと帰ってきたけれど、見慣れない男性が大きい鞄を抱えて僕の前を歩いて階段を上っている。
他の階の住人ともたまに顔を合わせるけれど、どうもそういうわけではなさそうな。
などと考えながら階段を上っていたけれど、目の前の男性が四階から五階へと足を踏み出す。
「――えっ?」
五階は秋田さんと野花さんの一人暮らしのはずだ。もちろん僕に見覚えのない人だし、僕の関係者ではないだろう。
四階と五階の間の踊り場で折り返して階段を見上げると、目の前を歩く男が振り返って僕を睨みつけていた。
黒いジーンズに黒いシャツだけれど、そのシャツには金銀にきらめく派手めなワンポイントが入っている。何かのロゴだろうか。
刺すように細められた目から、僕を射殺すかのような雰囲気が漂っている。ツンツンに跳ねた髪型も相まってクールな印象だ。
ビクッと立ち止まって相手を見上げるけれど、眉間の皺を深くするだけで無言で僕を睨みつけてくるだけだ。
えーっと、一体僕に何の用でしょうか……。というかあなた誰ですか……。ちょっとコワいんですけど?
意を決して話しかけようとしたとこで、相手は僕を睨みつけるのを止めて階段の残りを上がり始める。
僕も後ろについて自宅へと向かうけれど、目の前の男はそのまま秋田さんの家へと向かい、インターホンも鳴らさずに玄関を開けて入って行った。
「……ええええ」
誰だよあの男はっ!?
も、もも、もしかして……彼氏とかじゃ……ないよね……。はは……。
激しく動揺しながらポケットから鍵を取り出すけれど、うまく自宅の玄関のカギ穴に刺さらない。
えーっと、どうやって鍵開けるんだっけか。……あ、逆だ。……よしっと。
「……」
玄関を開けると無言で家の中へと入る。
リビングへと入り、スーパーで買った食材をテーブルへと置くと、そのままソファへと突っ伏した。
いやいや、落ち着くんだ僕。
とりあえずあれだ、晩ご飯食べよう。
えーっと、何を作るつもりだったんだっけか? ……えーっと、そもそもお腹空いてないなぁ。
お腹が空いてスーパーに行ったはずなのに、その空腹感はまったく感じられなくなっている。
このままソファに突っ伏しているわけにもいかないので、とりあえず買って来た食材を冷蔵庫へと突っ込んでおいた。
「――あっ!」
そこまできてようやく、僕は重要なことを思い出した。
そういえば……、秋田さんには弟がいるって言ってたよね……。
だからきっとヤツは秋田さんの彼氏なんかじゃなくて、きっと弟……なんだよね?
弟説が浮上してきた僕は、ちょっとだけ心が軽くなったような気がした。けれどそんなもので僕の気分が落ち着くわけもない。
――そうだ。秋田さん本人に確認してみよう。
そう思ってソファへと腰かけてポケットからスマホを取り出すけれど。
なかなかその手が動かない。
もし違うと返ってきたら? 彼氏です、と言われたら?
いろいろな思いがぐるぐると頭を駆け巡ってきた。いや、本当にめまいがしてきたような気がする。
顔が熱くてボーっとする。なんだこれ……。
もしかして……、これが、恋の病?
バカなことを考えていたけれど、急に襲って来た睡魔に勝てずにそのままソファで眠ってしまうのだった。
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