第70話 看病 -Side秋田すず-

 さてと、今日も黒塚くんにおすそ分けを持って行こうかな?

 週に二回黒塚くんの家におすそ分けを持っていく習慣がついてきた気がする。

 最初はどうしたらいいかわからなかったけど、茜ちゃんに言われてとりあえずおすそ分けを持って行く回数を増やしたのよね。

 でもここ最近、これ以上どうしていいか悩んでいるところでもある……。


 昨日はライブ帰りの弟が泊まりに来たから、ちょっとおすそ分けを持って行けなかったんだよね。

 しかも散々黒塚くんのことをバカにして。頼りないからやめておけとか、あんたはわたしのお父さんか!

 腹が立ったから、家に帰るよう朝から追い出してやりましたとも。

 ……思い出したらまた腹立ってきた。お隣さんだから仲良くしてねって言っただけなのに。


「とりあえず今は持って行くとしましょうか」


 気を取り直して作ったばっかりのホイコーローをタッパーに詰める。

 よくよく考えると、今までのおすそ分けって、一番最初を除くと「作りすぎたおかず」ってないよね。

 おすそ分けのために料理を作ってることに自分でも苦笑が漏れる。

 でもいいじゃない。黒塚くんに喜んでもらいたいんだもの。


 玄関でマンション五階移動用の外履きスリッパを引っ掛けると、そのまま隣の黒塚くんの家へと向かう。


 ピンポーン


 スマホで連絡もできるけど、いつも事前連絡はしていない。

 最初は驚かせようと思っていたけど、なんだから連絡せずに行くことに慣れちゃった。

 早く黒塚くん出てこないかなー。

 タッパーを両手で抱えながら黒塚くんが玄関から顔を出してくれるのを待つ。


「……あれ?」


 五分くらい待っただろうか。黒塚くんが出てくる気配がない。

 さすがに夕飯の前だし、いつもの黒塚くんなら料理していると思うんだけど……。

 スマホは家に置いてきちゃったなぁ……。留守か確認しようにも一旦帰らないと……。


 ――一旦帰ろうと決意したそのとき、黒塚くんの家の玄関が開いた。


「あ……、こんばんわ。黒塚くん。……遅かっ――」


 唇を尖らせて、ちょっとだけ憤慨した様子を見せようとしたところでわたしの言葉が止まってしまった。


「遅くなってすみません……、秋田さん」


 なぜなら黒塚くんが青い顔をしてフラフラと今にも倒れそうだったのだ。


「ちょっと、大丈夫!? 黒塚くん!」


 シャツは着替えていないのか、とても皺が寄っており、髪も幾分か乱れているように見える。


「あはは……、あんまり、大丈夫じゃないかも……」


 力なく黒塚くんは笑うけど、笑い事じゃない。


「黒塚くん、わたしのことはいいから、休んでて!」


 黒塚くんを強制的に回れ右させると背中を押して家の中へと押し込む。

 手のひらから感じる黒塚くんの体温はなんとなく高い気がする。……普段の温かさは知らないけど。

 不謹慎だけど、黒塚くんの普段の温かさも知りたいなぁと思ってしまった。


「あの……、えっと、……秋田さん?」


 押されながらもわたしに疑問の声を上げるけど、返事はあとだ。

 黒塚くんの背中を押しながらわたしも家の中にお邪魔する。


「黒塚くん、夕飯は食べた?」


「えっと……、まだ食べてないです……」


「食欲はある?」


「……あんまり」


「わかった。……いい? ちゃんと部屋で休んでるのよ? お粥作ってあげるから」


「そんな、秋田さん、悪いですよ……。僕は大丈夫ですから……」


 さっきあんまり大丈夫じゃないって言った黒塚くんが、わたしに遠慮してくる。

 けれどその言葉にわたしはちょっと悲しくなった。……もうちょっと頼ってくれてもいいのに。というかわたしを頼ってよ。

 ねぇ、いつから調子悪かったの? 黒塚くん?


「……病人は遠慮しなくていいの!」


 悲しさを紛らわせるように強い口調で言うと、黒塚くんをそのまま寝室へと押し込めた。




 黒塚くんの家のキッチンでお粥を作っていると、さっきまでの悲しさもだんだんと薄れてきた。

 どうしよう……、というかニヤニヤが止まらないんだけど……。

 押し掛けた上に、体調の悪い黒塚くんには悪いけど、今はわたししか頼る人間がいないんだ。そう思うと、大好きな黒塚くんのお世話をできることがこの上なく嬉しい。


 わたしは出来上がったお粥をよそって、器とスプーンを持って黒塚くんの寝室へと向かった。

 扉の前に立ってノックしようとするけど、なんとなくその手が止まる。

 ……この先に、黒塚くんが寝てるんだよね。うわー、どうしよう……、緊張してきた……。けど、入らないと、黒塚くんには元気になってもらわないと……。


 意を決してノックをすると、すぐに返事があった。どうやら寝ていなかったみたい。

 部屋に入ると、そこは黒塚くんらしい部屋だった。わたしの勝手な想像と、散らかっていない片付いた部屋が見事に一致したのだ。

 黒塚くんはベッドに腰かけて待っていた。その手前に勉強机とパソコンと……。


「あ……、キーボードがある……」


 思わず呟いてしまったけど、今はそれどころじゃないんだった。


「お待たせ」


「秋田さん……、すみません」


 黒塚くんの言葉に、胸がキュッと締め付けられる。そうじゃないんだよ……。


「ううん。別に気にしなくていいよ」


 わたしは勉強机の前にある椅子を移動させると、黒塚くんの向かいになるようにして座る。

 手元のお粥をスプーンですくってふーふーすると、黒塚くんに差し出した。


「はい、あーんして」


「……えっと」


 戸惑いを見せる顔色の悪かった黒塚くんだけど、わたしの言葉に幾分かマシな顔色になったような気がする。


「あーんして」


 有無を言わせぬ口調でもう一度同じことを繰り返す。

 ……と、とうとう観念したのか、黒塚くんが口を開いて食べてくれた。


「……おいしいです」


 黒塚くんの言葉に、締め付けられていた胸が少しだけ緩まった気がする。

 もう一度お粥を掬ってふーふーすると、スプーンを差し出す。

 今度は何も言わずに食べてくれた。

 ……ああ、どうしよう、黒塚くんがかわいい。小動物みたい……。頭をなでなでしたい。


「秋田さん……、ありがとうございます……」


 そこで不意打ちのように掛けられた黒塚くんの言葉に、わたしは胸のドキドキがおさまらなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る