第66話 好物

 今日くらいは余計なことを考えるのをやめようと思っていたんだけどなぁ。

 好きな食べ物の話を振られて思い出してしまった。


 ――あの時、水沢さんに言われた言葉を。


 僕のファンだって言ってくれたときは、恥ずかしいながらも嬉しかったけれど、……その、好きって言うのはファンとして……だよね?

 黒野一秋が好きってことは、そういうことだよね?

 でも僕は秋田さんのことが好きなんだ。

 結局返事はできていないけれど、そもそも水沢さんは返事を求めているのかどうかもわからない。


「いただきまーす」


 向かいに座っている野花さんがパスタを食べ始めた。

 うん、今はパスタだよね。僕も食べよう。茄子が好物だからこのパスタを選んだのは必然だ。


「「いただきます」」


 秋田さんとかぶった。

 思わず隣に顔を向けると、秋田さんもこっちを向いていて目が合ってしまった。


「……」


 頬がだんだんと熱を持ってくるけれど、どうしても視線を外すことができない。

 えーっと僕は秋茄子が好きですよ……?


 ――はっ!?


 意味の分からないことを考え始めていたところで、向かいに座る野花さんがパスタを静かに啜る音で我に返った。

 ゆっくりと目の前のパスタへと視線を戻すとフォークを構える。


「そういえばすずちゃんは納豆が好きだよね」


 その言葉に僕はちょっとだけ胸をなでおろす。僕たちのさっきの様子は気づかれていない……かな?


「……あ、うん」


 さっきまで僕と視線を交わしていた秋田さんも、なんとなく返事に力がないような。

 でも……、視線が合うってなんだか嬉しいな。


「そうなんですか」


「オクラとか、とろろ芋とか割とネバネバ系が好きなのかも」


 そうなんだ。そういえば僕って、秋田さんの好きなものってよく知らないな。

 とりあえずパスタを一口。


「あ、これ美味しい。……僕は納豆はダメですけど、オクラやとろろ芋は食べられますよ」


「……えへへ」


「ダメなのは匂いですからね。私もネバネバは大丈夫なんですよね」


 うんうん。僕もネバネバは大丈夫なんだよね。


「あ、そうだ」


 野花さんが何かを思いついたのだろうか。よくわからないけれど、そのままフォークでパスタをくるくるとまとめ出す。


「私はトマトが好きなんですよ。よかったら黒塚くんの一口ください。代わりに私のも一口どうぞ」


 一息でまくし立てると、向かいに座る野花さんがテーブルごしでフォークを差し出してきた。


「えええっ!?」


 えええっ!?

 ……って、心の声と秋田さんの声がかぶったよ!? そこは秋田さんもビックリするところだったの!?

 思わず声の主を振り返ったけれど、当の秋田さんはなぜか必死にフォークをくるくるしている。

 視線を野花さんに戻すと、差し出されていたフォークはなぜか引っ込まれていて、野花さんの口の中だった。


 ――いやもうわけがわかりませんよ?


 もう一度秋田さんを振り返ると目の前にはフォークがあった。


「……黒塚くん、……えっと、二番目に食べたいって言ってたよね?」


 もちろん秋田さんの持つフォークの先にはクリームパスタがくるくると絡みついている。

 しかもご丁寧にチキンとほうれん草がちゃんと乗っているのだ。

 クリームがしっかりと絡みついて美味しそうではある。

 そのクリームが重力に従ってチキンからほうれん草へ、そしてパスタを伝って――。


 パクッ。


 ――あ。


 美味しい。

 いや違う。いやいや、美味しいのは間違いない。そうじゃない。

 垂れそうだったからつい食べてしまった……。


「……どう?」


 秋田さんが頬をほんのりピンク色に染めて、僕の反応を伺っている。

 その瞬間に僕がさっき何をやったのかを理解してしまった。

 これは世間一般で言う『あーん』ではないだろうか。すごく恥ずかしくなってきた。


「……こっちも美味しいです」


 なんとなく秋田さんを見ていられなくなって視線を正面に戻すと、野花さんが左拳を握り締めて「よしっ」って呟いていた。


「えへへ……、よかったぁ」


 そんな秋田さんの嬉しそうな声に、僕は目の前のパスタを食すことに全力を傾けた。




「ごちそうさまでした」


「お粗末様でした」


 秋田さんのパスタは最高でした。美味しかったです。

 テーブルの食器を片付けて、食後に一息ついていると僕のスマホが着信を告げてきた。

 ポケットから取り出して確認すると。


「……父さん?」


 しかもメールじゃなくて電話だった。

 今まで何度か一人暮らしをしている僕を心配してのメールはあったけれど、電話は初めてかもしれない。

 一人暮らしを始めてもうすぐ五か月かな。

 二人を見るとキッチンで洗い物をしていた。僕も手伝おうと思ったんだけれど、受験生は大人しくしていてくれと諭された。

 病人じゃないんだから……。

 でもまぁ電話くらい出ても大丈夫かな。


「もしもし?」


『よう、誠一郎か。久しぶりだな』


「うん。どうしたの?」


『はっはっは。元気そうだな』


「父さんも元気そうで何より。……仕事は落ち着いたの?」


『んー、まぁまぁかな。でもまぁちょっと時間ができたぞ』


 父さんと電話していると洗い物が終わったようで、二人もお茶を持ってテーブルへと戻ってきた。


「時間?」


『おう。盆休みあたりに里帰り・・・するから掃除しとけよ』


「……里帰り?」


 よくわからなくて僕は父さんの言葉をオウム返しにするしかできなかった。

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