第41話 お礼

「……おかえりなさい」


 もじもじして動かない秋田さんをどれだけ待っただろうか。

 ようやく顔を上げてそう切り出したけれど、どうにも僕と視線が合わない。


「秋田さん……?」


 どうにも様子がおかしい気がする。

 心配になって問いかけてみるけれど、秋田さんはぶんぶんと首を振るとようやく僕の方に顔を向けた。


「なんでもないの……。スーパー行ってくるね」


 か細い声でそう告げると、僕の横を通り過ぎて階段を降りて行った。


「……」


 しばらく呆然として秋田さんを見送っていた僕。

 思い出したようにポケットから鍵を取り出して自宅の玄関を開けて家に帰った。

 どうしたんだろうか……。何かいつもと様子が違ったように見えたけれど……。


 考えながらリビングへと入り、手に持っていたビニール袋をテーブルの上に乗せる。

 うーん……、最近は体育祭の練習で忙しくてあんまり自炊してなかったけど、今日はおすそ分けがてら様子を見に行ってみようかな。

 幸いにして食材は二、三人分ある。

 ちょっと時間が早かったので、軽くキーボードを弾いて時間をつぶしてから夕飯の準備を始める。


 ご飯は冷凍がまだあるから炊かなくていいかな。

 おすそ分けするおかずは何にしようかな。中華風のあれにしようか。

 水煮たけのこ、人参、茄子、あとはスーパーで安かったプリーツレタス。

 適当に切り分けてごま油をひいてフライパンを温めると人参から炒めていく。

 他の野菜も投入し、豚肉の切り落としを入れたら中華だしを追加する。


「こんなものかな?」


 味見をしてから出来上がった料理をいつものようにタッパーへと詰めていく。

 まだ晩ご飯じゃないと思うけど、早く持って行こう。

 ガスコンロの火が消えていることを確認すると、いつものように玄関を出てお隣さんへと向かう。


 インターホンを押すといつもの軽快な呼び出し音のあとに、家の中から秋田さんの「はーい」という声が聞こえてくる。

 いつもであればこのあとすぐに玄関が開くのだが、今日はなかなか開かない。


「……あれ?」


 と、疑問に思い始めたところでようやく玄関が開くと。


「……黒塚くんこんばんわ。……どうしたの?」


 いつもの秋田さんがそこにいた。

 ひとまずは今日の夕方のような変わったところは見られない。

 ちょっと安心だ。


「あ、こんばんわ。これいつものおすそ分けです」


「ホント? ……ありがとう」


 いつものように手渡すと、いつもよりも可愛らしいはにかんだ笑顔で秋田さんが受け取ってくれた。

 そのいつもと違う様子に、僕の心臓が少しだけ早くなった気がする。秋田さんは綺麗でかわいいいけれど、今日はいつもよりもかわいい気がするのはなんでだろう?


「あの……」


「……ん?」


 だけど夕方の様子が気になった僕は、秋田さんに聞いてみることにした。

 そういえばあのときは顔が赤かった気がするし、風邪とかでなければいいんだけど。


「体調とか大丈夫ですか? なんとなく……、夕方の様子がおかしかった気がしたので……」


 タッパーを両手で胸に抱えながら小首をかしげる秋田さんに、僕は躊躇いながらも声を掛けた。

 なんとなく尻すぼみに声が小さくなってしまった気がするけれど、ちゃんと聞こえたかな……。


「……えーっと、――あ」


 一瞬なんのことかわかっていなかったようだけど、もしかすると思い出したのだろうか。

 なぜか秋田さんの頬が一瞬で桜色に染まったかと思うと。


「あっと、だ……、大丈夫だから。うん。……これ、ありがとね!」


 慌てた様子で開けっ放しの玄関の中に引っ込むと、すぐに扉が閉められた。


「……えーっと」


 数分間秋田さんちの前で呆けていたけれど、ふと我に返って僕も家に戻ることにした。

 やっぱり秋田さんの様子が変だった気がする。

 何かあったのかな。……今度野花さんに聞いてみようかな。

 そんなことを思いながら、キッチンに戻った僕は他のおかずを作って晩ご飯を済ませると、試験勉強をしてその日は寝てしまった。




 いつもであれば翌日には秋田さんはタッパーを返却に来てくれるのだが、珍しく二日経った今になっても秋田さんが現れない。

 夕飯を食べ終えてお茶を飲みながら、今回は秋田さん遅いなあ……などと思っているとインターホンが鳴った。


「はーい」


 テーブルに飲んでいたお茶を置くと、リビングを出て玄関へと向かう。

 扉を開けたところにいたのは秋田さんだった。


「こんばんわ。黒塚くん」


「……こんばんわ。秋田さん」


 玄関の扉の向こうに佇む秋田さんが、はにかむようにして微笑んでいる。

 なんだろう……。数日前からいつもと違うような気がしてるけど……。秋田さんを見てるとドキドキする。


「これ、ありがとね。おいしかったよ!」


 そう言って秋田さんが手に持っていたタッパーを返してくれた。


「どういたしまして」


「……それでね」


 てっきりすぐ帰るのかと思っていた僕だったけれど、秋田さんが目線を下げて話を続けてくる。


「はい……。なんでしょう?」


 なんとなく僕も居住まいを正して秋田さんに向き直る。


「……この間のカレーが美味しかったから、……その、今度うちで一緒にお昼しない?」


「――えっ?」


 ……もしかして秋田さんにお昼ご飯に誘われた? カレーが美味しかったから……?

 言われた言葉を噛みしめていると、なんだかじわじわと嬉しさがこみ上げてきた。

 これはあれかな……。カレーのお礼ということかな……?


「ホントですか!? ぜひお願いします!」


「あ、うん。……今度の土曜日ね。茜ちゃんも呼んでるから、三人でお昼食べよう」


 えっと、あー、そりゃ二人っきりじゃないよね。

 ……って何を考えてるんだ僕は。当たり前じゃないか。野花さんは秋田さんの友人だし、この間のカレーは二人に振る舞ったし。


「はい!」


 僕の元気のいい返事に、秋田さんはとびっきりの笑顔で答えるのだった。

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