第42話 名前

 ピンポーン


 土曜日のお昼前。僕は隣に住む秋田さんの家のインターホンを押した。

 十一時に来てくれとのことだったが、もちろん時間通りだ。隣の家なので早く着くということは起こらない。

 約束の時間より数分遅れで着くのがマナーらしいし。


「いらっしゃい」


 玄関を開けて出てきたのは……野花さんだった。

 いつものボサボサ頭に丸眼鏡だ。

 相変わらずの格好に苦笑が漏れるけれど、これでモデルをやってるというのが信じられない。


「あ……こんにちわ」


「ふふ、残念だったわね。すずちゃんは今手が離せないから私が出てきたのよ」


 えーっと、何か僕から残念な雰囲気でも出てたんでしょうか。

 確かに秋田さんじゃなかったことは残念と言えば残念だけど、それならそれで身だしなみを整えた野花さんでもいいわけで。

 つまり何が残念だったかという本音は野花さんに言うわけにはいかないのだ。


「さぁどうぞ」


 僕がなんとも返事をしかねていると、野花さんが家に入るよう促してきた。


「お邪魔します」


 今から秋田さんの家に初めてお邪魔する……と考えると、なんだかドキドキしてきた。

 お昼ご飯を誘われてからなんだか落ち着かなかったけれど、直前になってさらに緊張してきた。

 学校では「何かいいことあったか?」とか「ニヤニヤして気持ち悪い」とかツッコまれたけど、その時の比ではないくらいに頬が熱くなってる気がする。


 玄関を入ってリビングへと続く廊下を歩く。

 レイアウトは自分の家と変わらないが、玄関のシューズクロークの上に置いた花瓶に花が活けてあるなど、女の子らしい雰囲気がある。

 そしてリビングへと続く扉をくぐると……、左手に見えるキッチンで料理をする秋田さんがいた。

 ついでにいい匂いも漂ってきている。


「あ、黒塚くん、いらっしゃい!」


 お鍋を菜箸でかき混ぜていた秋田さんが、僕を見つけて笑顔になる。


「お邪魔します」


 僕もつられて笑顔になると、改めて秋田さんの家のリビングを見回した。

 テレビの前に二人掛けのソファーが置いてあり、その後ろにはダイニングテーブルが置いてあるのだが、椅子が四つあった。

 一人暮らしだからてっきり二人用かと思っていたけれど違うらしい。

 いたるところにかわいらしい小物なども置いてあり、やっぱり自分の家とは違うなぁとしみじみと思う。


「適当に座ってて」


 秋田さんはそう言ってくれるけれど、僕も手伝ったほうがいいんじゃ……。

 と考えていたところに、野花さんが遠慮なくダイニングテーブルの椅子へと腰かける。


「……何か手伝う事ないですか?」


「もうちょっとで終わるから大丈夫だよ」


 そんな野花さんを横目で見つつ、何かできることはないか聞いてみたけれどどうやら何もないようだった。

 ということであれば僕も座るとしよう。

 野花さんの向かい側となるテーブルの奥へ向かうと、椅子を引いて座ると。


「そういえば黒塚くん。名前考えた?」


 向かいに座る野花さんにそう尋ねられる。


「あー、いや、どうしようかなって思ってるんですけど……」


 そう。昨日『サフラン』の店長さんから電話があったんだけれど、雑誌に載せる僕の名前をどうするか聞かれたのだ。

 本名で載せてもいいけれど、野花さんは『仲羽菜緒』の名前でモデルをやってるので、「どうしてその名前にしたのか聞いてみれば?」と言われたのだけれど。


「野花さんは『仲羽菜緒』って名前はどうやって決めたんですか?」


 事情を知っているのなら聞きやすい。さっそく聞いてみることにする。


「私?」


 驚いたように自分を指さす野花さんだけれど、その視線がなぜかキッチンにいる秋田さんへと向く。

 僕もつられるようにして秋田さんを見ると、ちょうどひと段落ついたのか、エプロンを外してこちらにくる秋田さんと目が合った。


「茜ちゃんの名前はわたしが考えたんだよ!」


 野花さんの隣で両手を腰に当てて胸を張る秋田さん。


「えっ? そうなんですか?」


「ええ、そうよ」


「そうそう。簡単なアナグラムだよ」


 アナグラム? ……って、確か文字を入れ替えるあれかな? でも、あれ? 『のはなあかね』って……、どう考えても『なかはねなお』にならないんだけど……。


「ふふ、ローマ字にするといいよ」


 困惑する僕に野花さんがヒントをくれる。

 なんと、ローマ字ですと!? えーと……『NOHANA AKANE』……、えーっと、うん、頭の中じゃ無理。


「「あはははは!」」


 ますます難しい顔になっているであろう僕に対して爆笑する美人さんが二人。

 そんな二人に文句を言いたい目を向けながらも、無言でスマホを取り出してメモ帳にアルファベットを打ち込んでいく。


「……おお、ホントだ……、すごい」


「でしょー」


 なんだかんだ言いながらも感心する僕に、秋田さんが得意気に笑った。

 ……うん。今日の秋田さんはいつも通りみたい。


「うーん……。僕もそうしようかなぁ」


 と言いつつも自分の名前をスマホに打ち込んでみる。

 ……だがしかし。『くろつかせいいちろう』『KUROTSUKA SEIICHIROU』どれを選んでも長い。

 またもや眉間にしわを寄せて考えているとそこに。


「じゃあわたしが考えてあげるよ!」


 秋田さんの元気な声が響くのだった。

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