第9話 お返し
中学の頃は嫌々ながらピアノを習っていたこともあって、高校に入って友人にも趣味のひとつであることは言っていなかった。
言う機会もなかったというか、僕の頭の中に浮かんでこなかったと言うか。
まぁそういうことを伝えると早霧も納得したようで、僕の演奏には微妙に感心しながら帰って行った。
……ただのねこふんじゃったなんだけどね。
「よし。晩ご飯作るか」
まずはご飯だな。余った分は冷凍するし、三合くらい炊いておくか。
次は鍋に水を張って粉だしを入れると、大根と人参と豆腐を入れて煮込んでいく。
最後にわかめを入れてあとは味噌を入れれば完成というところで置いておく。
合間にほうれん草を電子レンジでゆでると、砂糖醤油とゴマで和えてお浸しの出来上がり。
最後に豆腐チャンプルに取り掛かる。
最初に味噌、だし汁、酒、味醂を混ぜて、あとで調味料をまとめて入れられるように先に味噌ダレを作っておく。
今日の野菜は茄子ともやしとキャベツと大根、人参にシイタケだ。
適当に切った野菜をごま油で炒めて、しんなりと火が通ってきたら木綿豆腐を投入してヘラで潰していく。
最後に味噌ダレをかければ完成だ。
味見をしてみるけど悪くはないようだ。
母さんが作ってくれた料理とは全然違うものができた気がするけど、不味いわけじゃないし大丈夫だよね……?
ちょっと人参が硬い気がするけど……、大丈夫だよね……?
……もうちょっと炒めようかな。
「……」
うぅ……、今度は風味がさっきより飛んでる気がする……。
味見二回目だから慣れただけかな……。そうだといいな……。
だけどもう一度作り直すわけにもいかないしなぁ……。
壁に掛けてある時計を確認すると、そろそろ夕飯にはいい時間だ。
これ以上遅くなったら間に合わなくなる。
エプロンを外して椅子の背もたれに引っ掛けると、秋田さんのタッパーへと豆腐チャンプルを詰める。
上着にパーカーだけ羽織ってお隣さんへと向かった。
玄関の前へと到着するが、なかなかインターホンへと手が伸びない。
昨日おすそ分けをもらったときの秋田さんの笑顔がふと浮かぶ。
とてもかわいらしい笑顔だった。
それと同時に自分が作った豆腐チャンプルの失敗点を思い出す。
ああ……、不味いって言われたらどうしよう。やっぱり中身はやめて容器だけ返そうかな……。
いやいや、そもそも何のために大量に作ったんだ。
くそぅ、僕は何を躊躇っているんだ。とりあえずインターホンを押すんだ!
押して、「昨日はありがとうございました」って渡せば済むだろう。その場でいきなり味見されるわけでもないんだから。
無駄に脳内でシミュレーションが行われるが、その光景に失敗は見られない。ほら何も問題ないだろう?
きっと「どういたしまして」って返されるだけだ。
意味の分からない葛藤をしていると、ふと別の考えが浮かんでくる。
いや待てよ……、むしろこんなところを誰かに見られた方が恥ずかしいんじゃないか?
それはまずいな。なんとかしないと。どうする? やっぱり引き返すか?
……ってインターホン押せばいいのか。
「よし」
ピンポーン
インターホンを押すかどうかと、やっぱり引き返すかどうかをループさせることなく素直にインターホンを押せた。
軽快な音を立てて部屋の中から呼び出し音が鳴る。
しばらく待ってみるが変化がない。
余りの変化のなさに背中から変な汗が出てきた気がする。
「……もしかして留守なのかな」
これだけ迷った挙句に留守とはなんとも……。
「あれ? 黒塚くん?」
項垂れて家に帰ろうと踵を返したところで僕に声がかけられた。
ビックリした勢いで顔を上げると、そこには秋田さんが階段から上がってきたところだった。
「あ……、秋田さん……」
呆然として呟くと、秋田さんも僕が手に持っているタッパーに気が付いたのだろう。
「あぁ、なるほど。返しに来てくれたのね」
微笑んで僕の方へと近づいてくる。
まぁ僕の後ろに秋田さんの家があるので当たり前なのだが。
「えっ……、はい、留守みたいだったので帰ろうとしたところでした……」
変に葛藤していたことを悟らせないように笑ってみたけれど、ちゃんと笑えているだろうか。
引き攣った感じがしないでもないけど、こればっかりはしょうがない。
「野菜炒めおいしかったです」
「んふっ、ありがと。――あら?」
焦りながらタッパーを手渡すが、予想と違った重みがあったのか秋田さんが疑問の声を上げた。
「あ、すみません……、僕もちょっと作りすぎちゃったんで、お返しってわけじゃないんですけど……、よかったら味見してみてください」
「そうなんだ。……ちょっと楽しみ。……あ、そうだ! 黒塚くんは今日の晩ご飯は何を作ったの?」
何かいいことを思いついたとでも言わんばかりに、僕の晩ご飯の献立を尋ねてくる。
「え? あ、えーと、味噌汁と、ほうれん草のお浸しと、そのタッパーの中身ですかね……」
「ふむふむ……。この中身は開けてのお楽しみってことね」
「は、はい。……開けるまで秘密です」
なんとなく失敗したかもしれない料理の内容を打ち明ける気にもなれず、お楽しみと思ってくれているのでそのまま秘密ということにしておく。
……むしろハードルを上げている気がしないでもないが、そこはスルーだ。
「ありがとね。冷めないうちにいただくわ。それじゃまたねー」
秋田さんはいたずらっぽく笑うと、「わたしもお味噌汁作ろうかしら?」と小首をかしげながら自分の家へと戻っていった。
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