第2話 隣人

「あ、えーっと、……いらっしゃい?」


 走った勢いで乱れた髪を片手で撫でつけながら、玄関の扉を開けた綺麗なお姉さんが疑問形で歓迎してくれる。

 襟ぐりの広い真っ白なセーターは体にフィットしており、そのスレンダーな体型がよくわかる。


「――えっ?」


 いやいやちょっと待って、確か初対面のはずだよね?

 いきなり歓迎してくれるのはありがたいけれど、こんなに綺麗なお姉さんに見覚えはないのだ。

 見惚れながらも思わず呟いた僕の疑問の声が聞こえたのだろうか。


「あっ、ごめんなさい。……誰だっけ?」


 長めの袖で少し隠れた手で口元を覆い、こてんと首を傾げている。

 どうやらお姉さんも僕に見覚えはなかったようだ。よかったよかった……。

 少し残念に思いながらも安心することにする。


「あ、隣に引っ越してきました、黒塚と言います。今後ともよろしくお願いします」


 挨拶と共に持ってきたお菓子を進呈する。


「ありがとう! わたしは秋田すず。よろしくね!」


 手元のお菓子に目を落として嬉しそうに笑う秋田さん。甘いものが嫌いな女性はあまり聞いたことがないし、秋田さんもきっと好きなんだろう。

 そんなお菓子から僕に視線を戻すと、その小首が右側へと傾いていき。


「……中学生?」


 ふとした疑問が口から漏れたのだろうが、その言葉が僕の心に軽くではあるが突き刺さった。


「はは……、こう見えても来月から高校三年になります」


「ええっ!? ――あ、ご……、ごめんなさい!」


 僕の返事に驚愕したあと、本日二度目の謝罪がなされた。

 そう、僕は背が低い。四捨五入して160センチなのだ。うん、ここは四捨五入することは譲れない。

 中学生にしても十分通じる身長なので、間違われたとしてもしょうがない。


「えーっと、……じゃあ御剣高校の生徒さん……なのかな?」


 ここから近い高校と言えば二つあるのだが、もうひとつが女子高なので選択肢は御剣高校しかないのだが。


「はい、そうですね」


「へー、そうなんだ。――あ、ちなみにわたしは今年から大学一年だよ。わたしの方がお姉さんだね」


 さっきの中学生発言を忘れたかのような人懐っこい笑みを浮かべて秋田さんが微笑んだ。

 思わず見とれてぼーっとしていると、不意に後ろを振り返って秋田さんが焦りだした。


「ああっ!?」


 大声を上げてこちらを振り返り、


「ご、ごめんなさい。またね!」


 三度目の謝罪を告げると慌てて玄関の扉を閉めて部屋へと引っ込んで行った。

 一体なんだったんだ……。

 呆然としていると、扉の奥から「お鍋が!」という叫び声が聞こえてきた。


「……」


 思わず無言になる僕。

 あのお姉さんは天然なのか。

 考えたところで答えは出ない。

 ここにずっといてもしょうがないので、僕もすぐ隣にある自宅へと帰った。


「そうか。晩ご飯か……」


 リビングのソファへと座り込んだ僕は、大事なことを思い出した。

 お隣さんのお鍋が大変なことになった理由を思うにあたり、自分にも必要だと気が付いたのだ。

 とは言え引っ越したばっかりの家には、冷蔵庫はあれどその中に食べられる物など入っているわけもなく。


「スーパーでも行くかな……」


 そうと決まれば、段ボールの上に放置されていた財布を手に取って家を出ると、マンションの外へと続く唯一の階段へと向かう。

 エレベーターがついていないせいか、この階段の幅はそこそこ余裕がある作りになっているのが救いだろうか。

 でないと家具類が運び込めないし。

 長い階段を誰にも会わずに一階エントランスまでたどり着く。

 幸いにしてスーパーは近い。徒歩一分といったところか。逆にコンビニが近くにないが特に不便はない。

 最近のスーパーは夜遅くまで開いているからだが、引っ越してきたばっかりの僕にはコンビニの有難さはまだ理解できていなかった。


 適当にお弁当とお茶を買った僕は、すぐにマンションへと戻る。

 相変わらずの階段を上がるが、さすがに五階までは遠い。

 というかマジでしんどい。そのうち慣れればいいけれど。

 若干呼吸が乱れる直前でようやく五階に着いたところで、


「あ、こんにちは」


 と僕に声を掛けてきたのは野花さんだ。

 昼間挨拶したときと姿は特に変わったところはない。

 この人は身支度という言葉を知らないのだろうか……。


「こんにちは」


 挨拶を返した僕に、野花さんが微笑んでくれた。昼間会ったときのような警戒心は見られない。よかったよかった。

 だけどすれ違った野花さんは、僕よりちょっとだけ背が高かった。くそぅ。


「ただいまー」


 誰かいるわけでもないが、やはり自宅に帰ったときは言ってしまう。

 一人暮らしに慣れたら言わなくなるのかなーと思いながら、ダイニングテーブルにお弁当を置くとお茶を飲んで休憩だ。

 まだまだ荷物はいっぱいだしね。

 そのまま今日は荷解きで一日が終わった。

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