第二話『もしかして、もしかすると……』

 僕たちが住んでいるのは、お値段もそこそこのマンションの最上階。僕は高いのが苦手なので、絶対に住みたくなかったのだが


『ねえねえねえねえ!見て、景色!スゴイ綺麗なのっ!今はお昼なのに、こんなに綺麗なんだよ!じゃあ、夜景はもっっっっと綺麗だと思わない?ね、ここにしよ?ね?いいでしょ!』


 彼女お得意の押せ押せによって決まってしまった。彼女がこういう雰囲気の時は絶対に僕が押し負ける。純粋な瞳と笑みにどうも僕は弱いようだ。

 入学式の日に寿司の出前をとったのも彼女の意見。

 リビングに置く家具とその配置を決めたのも彼女。

 まず、同じ高校に行こうと言ったのも彼女からだ。


 ……もしかして、もしかすると僕って彼女に甘い?


 隣にいる彼女を見ると、今も楽しそうな笑顔を浮かべて鼻歌を歌っている。可愛い。違うんだ、今はそういうタイミングじゃない。

 僕の視線に気づいて、彼女は少し背伸びをして僕の両頬を両手で包み込んで……って、まさか通学路ここでキスするつもり!?


 だんだんと近づいてくる彼女の顔を見ることが出来なくなり、ギュッと目を瞑る。


 サッ―――僕の髪の毛を誰かが優しく払った。


 恐る恐る眼を開くと、彼女は満足そうな顔でこちらを見ていた。


「葉っぱ、ついてたよ。ねえ、今目、瞑ってたよね。キスされると思った?」

「葉っぱついてたのか、ありがとう。でも、キスされるとは思ってなかったから。少し、驚いただけで」


 嘘つけ、キスされると思ってたくせに。嘘をついた自分が少しイヤになった。

 彼女は少し俯くと、すぐに顔を上げて「ええー、仕返しできたと思ったのに!」とちょっぴり不満げな顔で言ってきた。

 朝のこと、根に持ってたのか。あれは僕のせいと言うより、自業自得だろうに。


「さあ、冗談もほどほどにして早く学校に行きましょう。今ので少しだけ、遅刻気味ですから」


 不満げな彼女の機嫌を良くするために、手を差し出した。ワガママな彼女を持つと、ご機嫌取りも大変だ。


「はーい」


 そのワガママな彼女からは、随分と間抜けな返事が返ってきた。


※※※


 少し急いだかいもあってか、僕たちは学校に余裕を持って着くことができた。玄関で上履きに履き替えて、教室に向かう。僕たちは二年三組なので四階の真ん中あたりだ。


 教室に着いて、繋いでいた手を離す。僕が「じゃあ」と言うと、彼女は「うん、じゃあね」と返してきた。同じクラスなのに、何しているんだと思うかもしれないが、僕も疑問に思う。しかし、一年生の頃から続いているのですっかり習慣化されているようだった。

 しいて変わらないものを挙げるとしたら、周りの野次くらいだろうか?しかし、野次は一年生の時に慣れた。


「よっ、朝からイチャラブをどーも。なあ、光輝。お前、ぶっちゃけもうどこまで進んだ?」

「……聖也、それ昨日も聞いただろ?日曜日だって言うのに電話まで掛けてきて……はぁ……」

「いや、何その呆れた目は!電話に関してはお前が既読無視するのが悪いだろ!?俺、昨日妹の部屋の隅っこで一人虚しくシクシク泣いてたんだぞ!その罰ってことだ!」

「妹の部屋に勝手に入るの止めてあげろよ」


 僕の高校生活初めての友人にして、人生で初めて出会ったシスコン、木上聖也は席に座った僕を強引に引っ張って話しかけてくる。この会話の入り方は、彼の独特のスタイルだろう。

 この学校において、僕と香織が同棲しているのを知っている人間はまずまずいるが、そうなった経緯や事情まで知り尽くしているのは彼を含めて数人程度しかいない。いつもは鬱陶しいが、頼りにもなって、それほど信頼を置いていると言うことも言える。


 ―――キーン、コーン、カーン、コーン……


 鐘が鳴った。そろそろ朝のHRが始まるという合図だ。

 一人で盛り上がっていた彼も席に戻った。やっと、うるさいのがいなくなった。これで静かに睡眠が取れる。


 HRが始まったのと同じくらいに、僕の意識はブラックアウトした。


※※※


 午前の授業が終わり、昼休みに入った。ほとんどの生徒が毎日のように激戦を繰り広げる購買へ行ってしまった。

 しかし、僕には彼女の作ってくれたお弁当がある。今日の朝ご飯が洋食だったので、お昼ご飯も洋食だろうか。アレがいいな、コレがいいなとお弁当の具材を妄想しながら、彼女が待つ中庭へと歩を進めた。


 中庭に着くと、彼女は木の陰に隠れて昼寝をしていた。すぅすぅと整った寝息が聞こえる。今日は天気も良く、心地よい風が吹いている御陰か気持ちよさそうな顔で寝ていた。

 たぶん、彼女の頭あたりにあるバスケットの中にお弁当が入っているのだろうが、勝手に僕一人で食べるわけにも行かない。多少の罪悪感はあるが、彼女の肩を揺らした。


「ほら、起きて。お昼ご飯が食べられないから」 ―――一回目

「おーい、起きて下さい。香織、香織ー?」 ―――二回目

「ちょ、ねえ、起きて。香織、起きて本当に」 ―――三回目


 回数を重ねる事にどんどん激しく揺らしているのだが、一向に起きる気配が見えない。逆にさっきよりも気持ちよさそうな笑みを浮かべている。

 でも、笑みというよりかはニヤけているような気も……?


 もしかしてと思い、僕は最後の手段に出る。彼女のマウントポジションを取り、耳元で「おーい、起きて」や「ねえ、香織」などと囁く。周りの目が気になったが、僕は食欲のために恥じらいを捨てた。

 一度顔を上げ、彼女の顔を見る。そして、もう一度彼女の耳に唇を近づけた。


「ねえ、香織。早く起きないと、ここでキスするよ」


 そっと囁いて、もう一度顔を上げる。そして、徐々に徐々に顔を彼女の顔に近づけていく。唇にねらいを定める。

 お互いの吐息が直にかかるような位置で、僕は身体を力強く押された。突然のことだったし、その可能性もあると踏んでいたので抵抗はしなかった。


「ちょ……ここで、キスは……」

「キスは、何?」

「……キスは……ダメ。止まらなく……なっちゃうからっ」

「残念。さて、休み時間も少ないしさっさとお昼ご飯、食べよう?」

「……うん」


 僕は彼女の上を退いて、彼女から距離を置いた。見ると、彼女は顔を真っ赤にして、右手で胸元をギュッと握りしめていた。


 お昼ご飯も朝ご飯と同じでサンドイッチだったが、具材のレパートリーは多かった。彼女はお昼休みから放課後になるまで、ずっとしおらしいままだった。

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