05:ゼーレーヴェ作戦 / Unternehmen Seelöwe.
やけに熱いなと、燃え落ちる身体を前にツァラトゥストラは独りごちる。思えばいつもそうだった。かつて生きていた頃は、絶え間なく襲い来る病魔に抗いながら、這いずる様な日々を送っていた。
痛かった。苦しかった。辛かった。孤独だった。その呻きと怨嗟の結実がろくに売れもしなかった哲学書の数々だと顧みれば、なるほど確かに哀しい人生だったろう。
だが、なれば、ゆえに、しかし、だからこそ、捨てる訳には行かない道理がある。戦争は、起こり得る。悪だとしても、起こり得る。敵を殺し、味方を守り、その中で幾ばくかの間違いもありえよう。されど、虐殺はあってはならない。一切の合理を踏み外し、なんの実りも生み出さないただの刈り取り。そんなものに、苦心し綴った我が著作を、一ページたりとも分け与えてやるつもりはない。
眼下にロンディニウムの街が見える。高射砲が響く。ああ。生前はろくに使い物にならなかった身体というのに、今は驚くほど軽く靭やかに空を舞える。まったく、こんなにも朗らかなる超人なら、あんなにも暗くジメジメした、鬱屈たる樹海じみた思想など生まれなかったろうにと内心で毒づきながら、ツァラトゥストラはターニャに示された目標を一つ一つ潰していく。
ベーコン、ホッブス、ヒューム、ロック、どうしようもない哲学者ばかりの救いの無い国家であるが、さりとて人命は人命。可能な限り人の居ない場所を狙い、軍人のみを射抜き、その拘泥の果て自らを穿たれ、どうやらそろそろお終いかなとツァラトゥストラは空を仰ぐ。そこにはライヒと同じ星が瞬き、
折角のチャンスを不意にしたなと、脳の隅で誰かが嘲笑う。ああ構うことは無いとツァラトゥストラは、いやニーチェは返す。そういう生き方をしてきた。たった独りで、自らの信仰だけを追い求めた。世俗に取り込まれる事を拒んだ。差し出された手を弾いた。馴れ合いを戒め、権威を貶し、神を堕落させた人々を呪った。だから、だから。
――たかが神がなんだ。全能者が何だ。そんなものが、その程度が、この私の理性を改竄出来るものか。喩え神が在ったとて、私の信仰は今、死んだのだ。
消え行く意識の中で言葉を紡ぎ、想いを遥か遠いライヒに舞う少女へ託す。せめて、せめて少女よ。ターニャ・フォン・デグレチャフよ。このライヒに、あの横暴を花開かせぬよう。この振るわれし暴力が、せめて祖国の礎となりますようにと。
そうして祈った賢者の手が黒く灰に変わり、ボロボロと地平の果てに落ちていく。最後に月夜に残ったのは、燃え盛るロンディニウムの町並みだけだった。
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