一時間執筆
篠野涙
第1話 『私』についての考察
初めまして、篠野涙と申します。
平成生まれの若造です。
今回は一時間執筆の記念すべき一回目として、『私』についての考察を物語調にやれたらと思っています。
―――なぜ、自己紹介ではなく、考察なのか?
それは、何と言いますか・・・。
人は誰しも、「自分はこういう人間だ」といったものを持っているのですが、私にはそういったものに対してあまり理解できていないと言いますか・・・。
つまり、自分のことをあまりよくわかってないのです。
よろしければ、私について一緒に考えてみてもらいたいと思いまして。
・・・冗談です。
まずは、好き嫌いの話から。
私には嫌いなものが沢山あります。
―――ですが、好きなものはよくわからないのです。
家族にはアイドルが好きな人がいますし、友達には押しのキャラクターがいて、それらのどの辺りが好きなのか、周りに話しているのをよく聞きます。
ですが、私には好きな人は居ません。
異性を見て興味関心が湧くことはさほどありませんし、それが、二次元であろうと三次元であろうと、私の心に深く響くような『愛』を感じられないのです。
食べ物も同じです。
私は昔から臓物系が苦手で、種類によっては口に入れただけで戻してしまうものもあります。
そのためか、貧血や低血圧に悩まされているのですが、それはさておき・・・。
好物と言える食べ物は結構あります。
しかし、「どれが一番好きか」と尋ねられてしまうと途端に困ってしまうのです。
・・・もしかしたら、一番を決めきれないだけなのかもしれませんが。
そんな中、自分が好きな物と把握できているものもあります。
例えば場所。
私が実家に帰るといつも同じ場所にいるのですが、親からよく「あんた、そんな狭い場所によくい続ける気になるわね・・・」と呆れられたことが発足で、私は自分がある程度狭い場所が好きなのだと把握しました。
ただ、狭ければ狭いほどいいというわけではなく、程よい狭さ、ゆったりと体操座りをして、つま先と背中が丁度壁に引っ付く程度、それがベストでした。
逆に、嫌いな場所は海・・・それも、船の上がダメです。
昔、海でおぼれかけたことがトラウマになっているのか、底が見えない水面が見え、振り落とされるのではないかという揺れが、私の体を強張らせ、血の気が引き、立っていられなくなります。
また、狭い場所が好きだと言いましたが、観覧車はダメです。
さっき狭い場所が好きって言っていたのは嘘なのか!?と怒られてそうですが、観覧車だけはダメです。
閉所で揺られつつ上に持ち上げられるとか、どんな拷問なのですか・・・。
実は、船の上と観覧車にはある共通点がありまして・・・。
どちらもある程度の高さがあること、そして多少の揺れが発生すること。
恐らくこの二つが私の恐怖心を引き立てるのでしょう。
高い所がダメなのは高所恐怖症とはよく聞きますが、揺れるのがダメなのはあまり聞かない気がします。
揺れ恐怖症とでも呼べばいいのでしょうか・・・?
―――話が脱線しました。
とにかく、私にはそう言った好き嫌いに対して、嫌い意識ははっきりと持ち合わせているものの、好き意識を朧げにしか持ち合わせていないのです。
皆さんはどうでしょうか。
自分の好き嫌いをはっきりと言えますか?
『嫌い』ははっきりと言えるけれど、『好き』が朧げで曖昧な私には、『好き』を全身全霊で表現でき、深く心酔できる人を見ているとすごく羨ましく感じます。
こういった考えに至るからなのかもしれませんが、私は、私の周りにいる人たちには常に笑顔で楽しそうにしてほしいと思っています。
次は私の性格について、分かっている限りのことを。
私は昔から争いが嫌いで、皆が笑っていられるような楽しい時間が好きでした。
競争ごとに対しては、勿論「一番になりたい!」という思いは強いのですが、それと同じぐらい、「一番の座は私ではなく、他の人が相応しい」という思いもあります。
・・・消極的、というべきなのでしょうか?
私は特に目立った特技や技能、知恵や頭脳を持ち合わせておらず、運動、成績も半ばから少し下ぐらいです。
顔立ちがいいわけでも、素晴らしい肉体を持っているわけでもありません。
だからでしょうか、私は周りの人は自分よりも優れているのだとよく思っています。
そして、自分の周りの人が幸せそうにしているのが好きな私は、必然的と言ってもいいでしょう、サポート役に回ることがある程度得意となっていきました。
自らを犠牲にして、他人の幸せの手助けをする。
こういった性格の人を献身的だといいますが、私はどうでしょう・・・。
献身的というのは少し大げさな部分があると思います。
・・・仮に弱献身的人間としておきましょうか。
献身的といえば、「献身的人間は幸せになれない」と耳にしますが、まさにその通りではないかと私も思います。
弱献身的人間である私は、今の環境や生活に不自由や苦痛を感じているわけではないので、きっと『不幸』ではないのだと思います。
でも、だからといって、「君は今幸せ?」と言われて「はい」とすぐに答えられるような気はしません。
それはきっと、「自らを犠牲にして、他人の幸せの手助けをする」ことが、私自身の幸せの全てになるとは思えないから。
自分を先ほど弱献身的人間と先ほど格付けしましたが、その動機はいささか不純なので、きっと献身的人間という格は私にふさわしくないと思います。
ですが、私が常日頃から行っている、その行為に説明を付けるのであれば、献身的としか言えないので、とりあえず弱献身的人間と名乗っています。
自分でも感覚的でしかないのですが、きっと私は、誰かに愛されたくて誰かの幸せになる手伝いをしているのです。
きっとそれが、今の私を構築しているのです。
これから先もこういった人間であり続けるのかは微妙ですが、この執筆を経て、自分がどのような物語をどのような文で綴るのか、ほんの少し想像したところで一時間が経ちました。
2402文字
*
このような感じで一日に一回ペースで投稿していきます。
拙い文章ではありますが、どうぞよろしくお願いします。
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