05

「でも、そんな簡単にいくのかね」

「そんなに深刻に考えなくてもいいと思うけどね」


 何気なく言った言葉に対するあこの返しが少し引っかかった。


「何でだよ、さっきお前も割と深刻そうにしてただろ、怒ってたし」

「それはあんたが何も考えずに適当な返しをしたからよ。話したいって思っているくせに『何かする必要があるか』とかごまかして、本当に腹が立つ」

「それは……いろいろとごめんなさい」


 俺は素直に謝ることにした。


「それでもまあ、私もするべき、とか偉そうなこと言ってごめんね」

「……」

 あこに素直に謝られるとなんか気持ちが悪い。明日は嵐か豪雪か。そんなことを想うくらいにあこが素直に謝るのは珍しい。


「……なんか失礼なこと考えてない?」

「考えてない」


 即答でその場をごまかすことにした。


「それで、深刻に考えなくてもいいって言うのは?」

「そのままの意味だけど。悠人と瑠璃に何があったかは知らないけど、話だけ聞けば、話をするくらいなら簡単なものだと思うってこと」


 どういうことかさっぱり分からない。というか今の俺にとっては話を切り出すことすら大変なことなのだが。


「一つ気になったんだけど、いいかい」


 俺が悩んでいると、湊は椅子の背に顎をのせて訪ねてくる。


「悠人って雨辻さんが悠人をどんな風に見ていると思ってるの?」

「どんな風にって、そりゃあ嫌われて……」

 

 そこで俺の言葉は途切れる。

 嫌われている……はずだ。だって俺はそれだけのことをした。瑠璃を傷つけたことは間違いない。でも……。

 俺は、昨日の瑠璃とのことを思い出していた。

 あのとき俺は……嬉しかった。ただの挨拶だったが、ちゃんと向き合っていた。そして、瑠璃が笑顔を見せたとき、心のどこかでホッとしていた。昨日、瑠璃の話を湊にしたのは無意識に浮かれていたのかもしれない。

 思い返してみれば今までは湊やあこから瑠璃の話を振ってくることはあっても自分からはしていなかった。


 「……分からない」


 二人は黙って俺を見ている。それを見て俺は言葉を続ける。

「嫌われていると、怒っていると俺は思っている。だけど昨日あいつは笑ってた。だからその……よく分からなくなった」


 人の気持ちは分からない。本人に確認しなくてはどう思っているかなんてことは分かるはずもない。嫌われていても挨拶ぐらいは返すかもしれない。愛想笑いを浮かべているかもしれない。だけど、あの時の笑顔は愛想笑いなどとは到底思えなかった。

 だからよく分からない。


「だったらそれを本人に確認しないとね」

「そんなことできるわけないだろ」


 何を言い出したかと思ったら本人に確認しろだと。

『あなた、私のこと嫌いですか、怒ってますか』とでも聞けっていうのか。

 そんな俺の考えを読み取ったのか、あこは言葉を付け加える。


「別に直接聞けとは言ってないわよ。それにさっきも言ったけど私から見たら嫌われているようには見えないわよ。湊はどう思う?」

「う~ん、そうだね……嫌ってはいないけど、顔を合わせるのは気まずいってところじゃないかな。今の悠人と一緒だと思うよ」


 こういうことは外から見ている方が良く分かるものなのかもしれないが、今の俺には簡単には納得はできなかった。


「そんなこと言ったって、この間だってあんなだったしな」

「この間って、悠人が帰った後に瑠璃が来た話の事?あれこそまさに証拠みたいなものじゃない」

「そうだろ、俺が嫌われているっていう……」

「それは違うでしょ」


 俺の言葉を遮るように、あこはあっさりと言い放った。


「嫌われているんじゃなくて、むしろ逆でしょ」

 

 逆?どうしてそういう解釈になるんだ?

 瑠璃が教室に来たら俺がいて、俺がいなくなるまで待ち続けて、俺がいなくなったら教室に入る。どう見ても嫌われているようにしか見えない。


「例えばあんたが忘れ物して教室に取りに行ったとするでしょ。そしたらあんたの嫌いな人が教室に残っていた。その時あんたはどうする?」

「だからそれは、その人がいなくなるまで待つだろ」

「それは今回のケースでしょ。普通に考えたらの話よ」


 普通と言われても……な。

 すると、向かいにいた湊がなるほどといったように手をポンと叩く。


「確かに、普通はそんなことないね。僕も勘違いしてたよ」

「勘違い?」

「ようは、僕もだったけど悠人はそのイメージに引っ張られてるのさ」


 イメージに引っ張られているということは、俺の思い込みということか。でも実際にそれを見たから俺はそう思っている……ってこれが思い込みってことか。


「あんた、嫌いな人間のためにわざわざ自分が待つの?普通ならそんなことしなくても堂々と入って、そんなやつ無視してやることすればいいだけでしょ。違う?」

「……ああ」


 そう言われればその通りだ。嫌いな奴のためになんでわざわざ気を使わなくてはいけないのかと俺ならいの一番に考えそうだ。


「引っ張られてるってそういうことか」

「そういうのは悠人の得意分野みたいなもんだと思っていたけどね。悠人にもまだ人としての心が残っていたってことかな」

「お前はいちいちうるさいな。お前だってそう思うだろ」

「あたりまえさ。でも僕はちゃんと思考する。悠人は脊髄反射だろ」


 俺は今、心の底から湊のことを失礼な奴だと思っている。一発ぶん殴ってやりたい。

 そんな横で、あこは軽く咳ばらいをする。


「まあ、そういうこと。本当に嫌っていたり、どうでもいい人だったらそんな気は使わない」


 あこは俺の目をしっかりと見据えている。


「だから、瑠璃は悠人と会うのが気まずいとは思っているかもしれないけど、少なくとも嫌ってはいないと思うわ」


『だから安心しなさい』そう言ったかのようにあこは笑みを浮かべていた。

 そんな様子に俺はあこをじっと見ていた。

「なによ、その意外そうなものを見る目は」

「たぶん、『そうな』はいらないな」

「……」


 俺が余計な一言を言って、あこは俺をにらみつける。うん、いつも通りだ。

 そんなことを思っていたら、昨日の瑠璃の様子がふと、思い出された。あの時、ふと疑問に思っていたことが口に出る。


「意外といえば、昨日、瑠璃に話しかけた時の反応が意外そうなものを見る目だったんだよな。なんか呆気に取られてた感じで」

「『そうな』はいらないんじゃないの」


 すぐにやり返してくるあたりが、さすがはあこといったところか。しかしそれは予想通りだったので、俺はあっさりと受け流す。


「俺、変なことしたかな……」

 俺がそうつぶやくと、二人はまた呆れたようにため息をつく。この光景を今日何度見ればいいのだろうか。


「そんなのわかりきったことじゃないか。悠人から話しかけたからだよ」

「……それだけか?」

「たぶん、それだけだよ」


 ……まあ、確かに何年振りかに話しかけられればそうなるのかもしれない。俺も瑠璃からいきなり声をかけられたら驚く。とは言ってもあそこまでの反応になるものなのかとも思うが人それぞれか。

 あまり腑に落ちてはいないが、とりあえずは納得した素振りを見せる。そんな様子を見ると、湊は笑顔で席を立った


「まあ、頑張りたまえ青年よ」

「余計なことはしないからとりあえず自分でどうにかしなさい。それでも、何かあったら必ず言って」


 そう言ったあこの目は真剣なものだった。

 こういった姿勢はあこのいわゆるあれだ、モットーみたいなものである。それは彼女の口癖のようなものであり、


「『不義理は許さない』、か」

「よく分かっているじゃない」


 あこは鼻をふんと鳴らして笑みを見せている。その様子を見た湊も笑みを浮かべて、つられて俺も笑っていた。

 そんな自分に気づくと俺は考えてしまう。

 

 二人はどうしてここまで言ってくれるのだろうか?

 いや、そもそもこんな俺にどうしてかまってくれるのか?

 昔からの付き合いだからだろうか?


 そんなことは分からない。だけど心の中で俺は嫌だとは思っていない。俺は余計な干渉が嫌いだ、それはもう嫌いだ。だけど二人はその辺の線引きを上手にしてくれいている。だからこの二人には感謝している。

 

 たぶん、そんなことを考えてしまったせいだろう、照れ隠しだと自覚しながら俺は再び言う。

 

「いつまでもお前らに気を使わせるのも悪いからな」


 それを見た二人に俺はまた、ため息をつかれてしまうのだった。

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