第7話
わたしは恥ずかしさを誤魔化そうと、テーブルの上のマグカップに手を伸ばす。
中のハニーカフェオレはすっかりと冷めてしまっていたが、これ幸いと一気に飲み干した。
このまま黙っていても、ただただ居たたまれないだけだ。
わたしは自分から話を再開することにした。
「わたしが勘違いしていたのはわかりましたけど、でも問題自体は解決されていないですよね?」
近田くんの基準が“わたしの食べていたハンバーグ”だったとしても、それを作ったのは小匣先生。
わたしが相川さんと馬場さんに教えたレシピは小匣先生に教わったものだから、そのレシピ通りに作れば、二人のハンバーグだって“わたしの食べていたハンバーグ”になるはずだ。
『同じように作っているはずの二つハンバーグに味の差がある』という当初からの謎はまだ解明されていないのだ。
「笈石くんの勘違いですが――」
ええっ!? まだ続けるか、その話っ!
わたしが表情を歪めてしまったのを見てか、「蒸し返すつもりではありませんよ」と小匣先生は軽く手を振った。
「皮肉ではなく、考え方としては惜しいところまでいっていましたよ」
「……というと?」
「笈石くんは、近田くんについて『近田くんにも嘘を言っている自覚がない』のではないか、と言っていましたね。まさにその点が核心なのだと思います」
「じゃあ、やっぱり近田くんは嘘を言っているんですか?」
「本人は間違いないと思っているはずですから、嘘を言っているというと語弊がありますね。ただ、彼も勘違いをしていて、そのせいで不思議なことが起きているように思えてしまったというところでしょう」
「勘違い……」
「笈石くんに思い返してほしいのは、僕が君にハンバーグのレシピを教えた時のことです。その時、レシピを教えながら実際にハンバーグを作って君に振る舞ったのを憶えていますか?」
「いや、憶えているも何も」
思い出すだけでよだれが出そうです!
「僕が笈石くんにハンバーグを作ったのは、あの時が初めてです」
……?
…………え?
………………ああっ!
そうだ! 言われてみればそうだ!
わたしも、『小匣先生にオーソドックスなハンバーグを作ってもらったのは初めてだ』とか思ってた!
「近田くんは君の弁当を食べたことがあるのでしょう?」
「……近田くんがというよりは、たまにクラスメイトには味見させてって言われます」
料理研究家の娘で。
料理も上手で。
お弁当も自作してきて。
そんな誤解からか、お弁当の味見をさせてというひとが来る。
近田くんもそのひとりなのだろう。
その時に近田くんは“ハンバーグ”を食べた――と思っている。
でも、実際にはわたしのお弁当は、小匣先生に作ってもらったものだ。その小匣先生がわたしにハンバーグを食べさせたことがないということは、つまり――。
わたしのお弁当の中に“ハンバーグ”が入っていたことなんてない。
「ど、ど? どういうことです? 近田くんは何を食べたんです?」
慌てふためくわたしの様子が滑稽だったのか、小匣先生の頬がかすかに緩む。
「落ち着いて下さい。近田くんの食べたものを想像するのは難しくはありませんよ」
ひとつずつ考えていきましょうと言った小匣先生の声は、いつものきびきびした声色よりもゆったりと落ち着いたものだった。
「僕の作った弁当の中にハンバーグが入っていたことはありません。ですが、近田くんがそれを勘違いしたとなれば、彼はあまり料理には詳しくないのだろうという推論がたてられます」
馬場さんも味にうるさいタイプじゃないと言っていたし、それは間違いないだろう。
「その彼がハンバーグだと勘違いしたということは、少なくとも外見上は限りなくハンバーグに近いものでしょう。その上で、食べれば明らかに普通のハンバーグではないと、料理に詳しくない近田くんですらわかるもの……となれば、やはり材料の差ですね」
「えっ、でも材料の話は……」
既に終わった話ではないのだろうか?
「肉の良し悪し、というレベルではありません。例えば、牛肉と豚肉は明らかに違う味ですし、豚肉と鶏肉も違うとわかるでしょう」
「じゃあ、わたしのお弁当に入っていたのは、合挽き肉を使わずに牛100とか豚100の……いや、違いますね」
自分で言っておいてなんだけど、即座に違うとわかった。
だって、牛100%でも豚100%でも、それはやっぱり“ハンバーグ”に他ならない。
小匣先生が「ハンバーグは作っていない」と言っている以上、牛豚はない。
「だとすると……鶏のつくねとかでしょうか……」
言ってはみるが自信もない。首を傾げるわたしに、
「おそらくですが、近田くんが鶏つくねを見て“つくね”以外の表現をするのならば、“ミートボール”になる気がしますね」
ああ……確かに。
「ですが考え方自体は間違っていないでしょう。外見上ハンバーグに見えるということは、何らかの材料を捏ねてまとめて焼き色をつけたものということでしょうからね」
「……つくねでもないとすると、つみれ? いや、でもな……」
……ん?
あっ。
ああっ!
「わかった! わかりましたよ、小匣先生! わたしのお弁当の中に入っていて、近田くんがハンバーグだと勘違いしたものって――」
それは――。
「さんが焼きじゃないですか!?」
さんが焼き。
山河焼きとも山家焼きとも書かれるこの料理は、元々は千葉の房総半島の郷土料理らしい。
アジやイワシ、サバなんかの青魚をたたきにしてお味噌や香味野菜と混ぜ合わせた“なめろう”を鉄板や網で焼いたものだ。
ミンチにしたお肉を捏ねてまとめて焼くという手順だけなら、ハンバーグとほぼ同じ。
見た目だけなら、焼き加減次第でハンバーグそっくりにもなる。
特にお弁当に入れるような小さなサイズのものだと、詳しいひとでもパッと見は気づかない可能性だってある。
もちろん、味は全然違う。
わたしならひとくち食べればお魚のお肉だとわかるけど、近田くんはそれに気づかなかったのだろう。
だから、彼は『少し変わったハンバーグ』だと認識したのだ。
「おそらくはそうでしょう」
はっきりとした頷きと共に、小匣先生はわたしの考えを肯定してくれた。
「近田くんは“さんが焼き”を“ハンバーグ”だと認識してしまった。だから、馬場くんの作った“ハンバーグ”を『これじゃない』と評したのです。まあ、当然でしょうね、彼が食べたかったものは“さんが焼き”であって“ハンバーグ”ではなかったのですから」
出された料理に文句をつけたとばかりに思っていた近田くんだが、ある意味で極めて適切な表現をしていたということだ。
「そう……だったんですね……」
胸のつかえがとれたような、すごいすっきりとした気分。
これであとは明日にでも馬場さんに事情を話して、ついでにさんが焼きのレシピでも教えれば万事解決だ。
ふう、とわたしが安堵の吐息をつくのと同時に、小匣先生も肩の荷が下りた様子で一息ついていた。
「そう言えば――」
と小匣先生が言い出したのは、すっかりと冷たくなってしまったコーヒーを淹れ換えてきた時だった(ちなみに、わたしもハニーカフェオレのおかわりを聞かれたけど、カロリーが怖いので遠慮した)。
「笈石くんがあんな風に怒るのは珍しいですね。そんなに近田くんが嫌いでしたか」
「え。わたし、怒っているように見えました?」
まあ、確かにわたしは怒ってた。
怒ってはいたけど、あまりそれを外に出さないように自制していたつもりだったのだ。
「そうですね、あまり僕は見たことがない様子でしたよ。まあ、怒っているというよりは軽蔑しているという風ではありましたが」
ああ、軽蔑。それならわかる。
「結局、誤解だったわけですけれど、最初の話だと『近田くんが馬場さんの作ってくれたお弁当に文句を言った』みたいなことになっていたじゃないですか。わたし、作ってもらった料理に文句を言うひとって、ほんと嫌いなんです」
食べることは大好きなわたしだけど、自分では料理ができない。
できるようになりたいとは思っているけれど、色々事情があって今のところまだまだ無理そうだ。
だからこそ、作ってもらった料理に文句をつけることだけはしなかろうと心に決めていた。
「文句を言うなら自分で作れ」と言われたら、ぐうの音も出ないのだ。
「そんなわけで、近田くんの印象がよくなかったのは間違いないです」
――まあ、わたしが勘違いしていただけなんですけど。
と、そう付け加えると、自分の言葉に少し落ち込んでしまった。
自分が勝手に勘違いしたことでひとを軽蔑していたなんて、申し訳ないし情けない。
ついでにさっきの恥ずかしさも思い出してしまって身を縮めていると、小匣先生がコーヒーカップ片手にかすかに笑った。
「それはよかった」
「よかったって……なにがです?」
「笈石くんがその信条を持つ限り、僕がどんな不味い弁当を作ろうと、それについて笈石くんから文句を言われることはないということですからね」
珍しい。
小匣先生がこんな風に冗談口をたたくなんて、珍しいことだった。
たぶん、落ち込んでいるわたしを見て、少しでも気を紛らわせようとしてくれたのだろう。
やっぱり、冷淡なように見えても優しい先生なのだ。
「んー。そうですねえ、文句をつけないとしても冷静な批評ならするかもしれません」
お礼のつもりで冗談に冗談で返すと、小匣先生は苦笑を浮かべながら軽く肩をすくめてしまい、それきりその話が続くことはなかった。
コーヒーカップに視線を落として香りを味わいながらコーヒーを堪能する小匣先生を、わたしは笑顔のまま眺めていた。
が、内心では大きく安堵のため息をついていたのだ。
……よかった。あれ以上つっこまれなくて。
実は、わたしが近田くんを嫌っていた理由はもうひとつある。
彼はハンバーグに文句をつけたのだ。
そのハンバーグは小匣先生のレシピを元に作られたもの――小匣先生のハンバーグと言っても過言じゃない。
それに、文句をつけた。
これがわたしに許せると思うだろうか。
そういうわけなので、仮にレシピを教えたひとが小匣先生以外のひとだったのなら、あそこまで怒っていたかは定かじゃない。
つまり、まあ……わたしの気持ちがどこに向いているかという問題だ。
それはまだ。
小匣先生にも秘密にしておこうと思っている。
先生とわたしのお弁当/著:田代裕彦 富士見L文庫 @lbunko
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