第6話
小匣先生は、わたしの言葉を吟味するように、黙ったままゆっくりとまばたきを繰り返していた。
伏し目がちの視線は虚空に向けられていて、その表情からはまったくと言っていいほど感情が窺えない。
まさに“ロボメガネ”だ。
わたしはそんなことを考えていたけれど、やがて小匣先生が視線を上げた時、その顔に浮かんでいたのは困ったような苦笑だった。
「とりあえず、笈石くんが近田くんを嫌っているというのはよくわかりましたよ」
えっ?
「そ、そうですか……?」
いやまあ、確かに好きではないけれど。
そして、わたしの考えが正しければ、ますます嫌いになっちゃうけど。
でも、口に出した部分だけなら、そこまで悪しざまに言ったつもりもないのだけど……。
「わかりますよ。事情を説明している時から、近田くんのことに関してはあまり好感を抱いていないのだなとは伝わってきましたからね。『デリカシーがない』などと言っていましたか」
あ、はい。言っていました……。
「おそらく、今回の一件はすべて近田くんの仕組んだことだとか思っているのじゃあないですか?」
うっ。
と、言葉に詰まってしまったわたしを見て、小匣先生は苦笑ともため息ともつかない、短い吐息をついた。
こうなればもう言ってしまうしかない。
「で、でもですね。発端を考えると、近田くんじゃないですか。元カノが作った料理がおいしかったとか今カノに言うとかおかしいですよ。まして、同じものを作れだなんて、何か魂胆があるとかしか思えません……!」
わたしの言葉に、小匣先生は「ああ……」と今度ははっきりとした嘆息を吐いた。
「まず、そこですね」
えっ? ど、どこ?
「発端、のところですよ」
なんかいつも思うけど、わたしが考えてることって小匣先生に筒抜けになっている気がするんだよなあ。
照れ隠しに頬を撫でながら、「はあ」とか「ええ」とか曖昧な返事をしてしまう。
「いいですか、笈石くん。問題の発端は、近田くんが馬場くんに“相川くんの作ったハンバーグ”をねだったところ――ではありません」
「え? でも……」
「思い返してください。問題の発端は、近田くんが相川くんに“君の食べていたハンバーグ”をねだったところですよ」
あっ。
とは思ったけれど、それで何が変わるのかはわからない。
はてな、と首を傾げるわたしに小匣先生が言葉を続ける。
「一点、気を付けなくてはならない点は、近田くんが“相川くんのハンバーグ”をどう評価していたのかを、君は知らないということです」
「え? ちょっと待って下さい、それはわかりますよ。だって“馬場さんのハンバーグ”を食べて『これじゃない』って言ったって、馬場さんから――」
わたしが慌てて反論すると、小匣先生の手がすっと上がった。
まるで、飼い犬に「待て」とでも言っているような様子だけれど、それでちゃんと黙ってしまうわたしが我ながら情けない。
「確かに、『これじゃない』と近田くんは言ったようですが、問題は何と比べてこれじゃないのか、という点です」
「何と比べて……もしかして“わたしの食べていたハンバーグ”ってことですか……?」
そうでしょうね。
と、小匣先生ははっきりと頷く。
「発端から考えるに、近田くんの味の基準は “笈石くんのハンバーグ”なのです。“笈石くんのハンバーグ”と比べて、“馬場くんのハンバーグ”は『これじゃない』のでしょう」
「つまり、近田くんにとっては“相川さんのハンバーグ”も――」
「『これじゃない』のでしょうね」
…………っ。
この心情をなんと表現すればいいのかよくわからない。
強いて言うのならば、「血の気が引く」だろうか。
今までの熱――特に近田くんに感じていた憤りの熱がさあっと冷めていき、同時に悪寒を連れてきた。
背筋に冷や汗が流れ、体を震わせてしまった。
悪寒がやむと今度は逆に体が熱くなってきた。
これは、羞恥のせい。
完全な勘違いで近田くんの罪を鳴らし、義憤にかられたつもりになっていたのだ。
「何か魂胆があるに違いない!」とか言っておきながらこの様。
なんて恥ずかしい。
自分でも顔がどんどん赤くなっていくのがわかる。
そんな顔を小匣先生に見せたくなくて、つい俯いてしまった。
もちろん、小匣先生にはわたしが何を考えているとか丸わかりなんだろう。
「まあ、疑念にかられていても、促されるまで自分からは口に出そうとしなかったことだけは偉かったですよ」
フォローのつもりなのかもしれないけど、追い打ちをかけられているような気がするのはなぜだろう……。
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