第6話 ひらがなオンリー
事務員歴2年目の、岸田愛です。足場屋の事務仕事はとても大変です。仕事量もかなりのもので、特殊なことも多いため、慣れるのに時間がかかります。中でも大変なのは、職人たちに慣れること。
彼らに期待をしてはいけない。希望を持ってはいけない。すべてを諦め、忍耐強くあらねばならない……。
とにかく、とても大変なのです!
「愛ちゃん。追加で事故報告書が2枚きてる。明日の会議に入れて欲しいって」
「了解です。この2枚をラストで、会議資料をつくりますね。梨花さんは何かあります?」
「私は大丈夫だよ。はい、これ。渡しにくいんだけど……お願いね」
「もしかして、またブタさんですか」
「う……。そうなんだよ。手伝うから、つまったら聞いて。自信はないけど」
「ありがとうございます。とりあえず別の報告書から処理します」
「そうだね。陸斗君の方は、すごくきれいだから」
「本当ですね。男の子でこれだけ字がきれいって、あんまりないですね。しかも……文章もしっかりしてるし」
「ありがたいね~。慎吾さんと陸斗君ぐらいじゃない? ちゃんと書いてくれるの」
「そうですね。私の歳に近いところなら、だんとつで陸斗君がしっかりしてますね。あとはおバカですから」
「愛ちゃんてば」
「でも、そのおバカの上に君臨するのは、間違いなくブタさんですね」
「こらこら」
「そのブタさんの報告書があるだけでこんなにも……」
「やる気なくなるよね……」
「しかも、いつも以上に汚くないですか、この報告書。なんか触りたくない」
「心の声が漏れてるよ~」
「何ですかね、これ。油?」
「どれ? 油っぽいね」
「え! ブタの……」
「愛ちゃん!」
「あ~それ。からあげ棒の油だわ」
「原さん、お帰りなさい。早いですね」
「カメラ忘れたから取りに戻ってきた。と、梨花ちゃん。この地図、監督さんにメールで送っておいて。名刺はこれね」
「了解です」
「からあげ棒の油って? 豚じゃなく鳥…」
「愛ちゃん!」
「その日な。仕事終わりでからあげ棒パーティーしてな」
「また、なんでそんなこと……」
「男と男の友情だな」
「楽しそうですね~」
「だろ、話がわかるね~梨花ちゃんは! コンビニ何件も回ってさ、からげ棒50本買い集めた」
「すごい。頑張りましたね!」
「……。食べながら事故報告書を書いて油まみれ、ですか」
「愛ちゃん……」
「そういうこと。豚なんて20本以上食ってたもんな~」
「へ~。そんなに食べたら、報告書も油まみれになるわけですね」
「愛ちゃん。よし、がんばろ。原さんは、ほら。早く現場に行かないと」
「お、そうだな。じゃ、いってきま~す」
「からあげ棒パーティー……。からあげ棒が消えてなくなればいいのに」
「ブラック愛ちゃん……」
事故報告書とは、現場で事故があったり、怪我をしたときなんかに当事者が書く書類です。この書類がまた大変なんです。
書類はすべて手書きのため、書く人によってとてつもない差が出ます。もちろん、しっかりやってくれる人もいます。ですがゴミはゴミ箱へ、靴は下駄箱へ、なんてレベルですから、中にはいるんです。くちゃくちゃな人が……。
漢字の書き間違えや、文書がおかしいのは構いません。そんなことより、大変なのが…………。
「みぎからぶうんときてわってなたからしざいがおちてかわらにあたってわれた」
「……」
「みぎからぶうんときてわってなたから……」
「……」
「今回も見事にひらがなオンリーですね」
「だね。すごいねこれ……」
「右からのあとが……」
「ぶうんって、蜂が飛んできた音だよね。ぶ~んって」
「こんなのいりませんね。ぶ~んって。幼稚園児ですか。蜂が飛んできて、でいいですね」
「そうだね……」
「わってなたからは、わってなったから。ようは驚いた、ですね」
「うん。小さい〝つ〟がないね」
「老人ですか」
「ははは……両極端だね~」
「右から蜂が飛んできて驚いたため、持っていた資材を落として瓦を割ってしまった」
「いいね」
「ひらがなだけって、本当に読みにくい。字も汚いし。報告書もくちゃくちゃだし」
「句読点はないしね」
「句読点のレベルは高すぎますね」
「だね……」
「さすが、おバカの頂点」
「否定できないな~」
「次です。ゆうやはらさんにてるしてくれた。ありがとう!」
「おもしろいね~。報告書でありがとう! とか。初めてじゃない」
「電話は〝てる〟なんですね。どうでもいいですけど」
「愛ちゃ~ん」
「裕也君が、だし」
「愛ちゃん!」
「ありがとう! って何。ビックリマークとかいらないし!」
「愛ちゃん!!」
「しかも次の行。油でにじんでみえないし! その油で豚の絵描いてるし!」
「わ! 本当だ~可愛いね」
「梨花さん!」
「すみません」
「ブタじゃない、って言ってますけど、絵で描くくらい豚好きなんですね。それにもう一箇所。ずっと気になってる所があるんですけど……」
「もしかし、左下の空欄?」
「そうです。何これ? 詩?」
「なみだにぬれた?かな こころがないている? なんだろうね~。歌の歌詞とか?」
「泣きたいのはこっちです! この報告書、ふざけすぎてます!」
「そうだね……」
「ダメですね。再提出にしましょう。こんなふざけた書類、却下です。受付できません」
「愛様激怒」
「怒ってません。心底あきれてるだけです。こんな書類を作ってる自分に!」
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