第3話 仕事に誇りを目標を

 鳶職の仕事についてまだ1ヶ月の伊藤圭太です。

 覚えることは多いし、仕事は大変だし、自然現象にも左右される職場というのは、聞いていた以上にハードで、毎日体力が限界を超えています。朝も早いし、昼休憩もゆっくりとれなくて。それでもなんとか続いているのは、職場が楽しいからかもしれません。

 僕はとにかく家を出たかった。血のつながらない母親と上手くいかなかったから。

 一人で暮らしていくために、寮がある仕事につければそれでいい、と探していきついたのが鳶職でした。

 なぜと鳶だったのか。

 多分、自分の居場所が作りやすいのではないか? そう思ったからだ。

 自分のような行き場のない人がいるような気がした。

 毎日をそこそこで過ごせたら、なんて思っている人が多くいる気がした。

 つかず離れず、適度な距離で人と付き合えるような気がしたから。

 勝手に、世間から外れた場所のように思っていた。


 僕の指導についてくれたのは、市川慎吾さん。初めて会った時の印象は、真面目な落ち着いた人。正直、場違いな人に思えた。僕も似たようなことを言われたけど。

 話し方は穏やかで、どちらかと言えば丁寧だ。仕事となると多少は声を荒げたりするが、優しい方だと思う。少なくとも、ヒステリックに叫ぶ義母より全然マシだ。

 彼の仕事に対する態度も、初日から目を見張るものがあった。

 気楽に、ダラっと仕事をしているのかと思ったら、真逆だった。

 マニュアルでもあるかのような正確さと真面目さで、最後まできっちり作業をしていた。挨拶や、清掃、整理整頓などは、特に力が入っていたように思えた。

 この職場にはこんな人がいるんだ、と興味がわいた。


「圭太も1ヶ月経ったから、1ヶ月祝いをしないとな」

「祝い?」

「俺が勝手にやってることなんだが、1ヶ月仕事が続いたら、まずは頑張った、ってことで皆で飲むんだ」

「直ちゃんの時もやったんですか?」

「もちろん。相当盛大にやったぞ。高い肉おごらされた」

「直ちゃんらしい」

「でもこの業界、1ヶ月続けるのも大変だからな。肉ぐらい安いもんだ。直樹はあまり気にしなかったが、圭太は続くかどうか心配だったから」

「そうですね。未知の世界でしたし。だけど、思っていた雰囲気とはちがいましたし、少なくとも慎吾さんと直ちゃんは予想外の人たちでした。前にも少し話ましたが、もっとこう……」

「適当だと思った」

「そうです。僕自身、直ちゃんみたいにやる気があった訳でもないし、動機も寮がある職場、でしたから、適当でいいと思ってました。仕事も人付き合いもそこそこに生きていけるならって」

「お前まだ若いのに。そうか……お前も家を出たかったんだな」

「慎吾さんも?」

「俺もそんなもんだ。お前のこと若いって言ったけど、俺も18で出た。当時は寮なんかなくてな。でも社長が面倒みるって言ってくれたからここに来た。前に直樹が、自分は腐ってたって言ってたけど、あんなの可愛いもんだ。俺はもっとひどかった」

「直ちゃんは、まっすぐですよね。自分にイラついても人のせいにしないし、当たらないし、母子家庭をしっかり支えてる。まっすぐな青年って感じです」

「本当に、よく俺なんかに懐いたと思うよ。不思議だ」

「それはわかります。昔はどうあれ、今の慎吾さんに、僕も好感がもてますから。もちろん直ちゃんにも」

「なんだそりゃ」

「なんでしょうね。たぶん、僕も腐ってて、ここにいる人たちも腐ってるって。業種に対して、偏見みたいなのが結構あったんですよ。実際入ってみて、あながち間違ってない部分もありますし。でも、僕の指導が慎吾さんと直ちゃんで。偏見とは真逆の人たちを目の当たりにしたら、慕いたくなったっていうか……」

「……」

「変なこと言ってますよね」

「いや」

「上手く言えないんですけど。腐ってる方が恥ずかしいし、自分だけが可哀そうみたいなのもバカみたいだし。ウジウジしてても仕方ないし、バカやって警察沙汰になっても、何も解決しない。自分でも、どうにもできない。それなら、似た人がいそうな場所なら楽なんじゃないか? って、勝手に思ったんです。腐ったままでも、否定されない。それが普通かのように」

「圭太さ。自分で思ってるほど腐ってないぞ。俺なんて本当にひどかったら。それこそ警察沙汰だ。この業界の偏見そのものだよ俺は」

「そんなことないです。僕だって腐ってる。だけど2人と一緒に仕事をしてると、何しにここへ来たんだっけ? って思うんです。適当に、楽に過ごせる場所。腐ったままの自分でいられる逃げ場所に来たはずなのに、逆の方向へ行ってるし。そもそも思っていた職場とは程遠いし……」

「でも悪くない。そうだろ?」

「はい」

「多分さ。俺も直樹も圭太も同じだ。ここへ来るきっかけは何であれ、ここへ来た結果、今までの自分と向き合わないといけなくなったんだ。それも強制的に。腐ってる自分とそうじゃない人を比べて、自分がどれだけバカだったのか、っていう部分を理解して受け入れるところから始まるんだよな。嫌なもんだ」

「少しだけわかります。自分のダメな所が浮き彫りになるし、バカらしくて恥ずかしくなる」

「だよな。でもさ、それが出来ない奴は、いつまでも変わらないんじゃないかな。ずっと同じ自分でいることを優先する。それは自分を守ることかもしれないけど、それ以上なにもないよな。ずっと殻に閉じこもるだけ。バカなことを繰り返して逃げ続けるだけ。誰も助けてくれないのにな。俺も偉そうなことは言えないんだけどさ」

「今の慎吾さんからは、腐ってた頃なんて想像もつかないです」

「俺自身も、よくここまでなったな、って思うよ。きっと人に恵まれて、仕事に恵まれたんだ。仕事ができて、結婚して子供がいて。ありがたいと思う。だから今の俺をみて、偏見とは真逆と言ってくれることは、素直にうれしい」

「慎吾さんは、この仕事の偏見を変えたいんですね」

「そうだな。もっと人が集まって、普通の会社と変わらないイメージに変えたいとは思う。どうせ自分なんか鳶くらいしか、とか。そんな暗い考えで入ってくる人が少ない方がいいに決まってるし」

「直ちゃんも、そういう慎吾さんを慕うんですね」

「直樹もだけど、お前も圭太も良い奴だな」

「いえ、直ちゃんには及ばないです」

「だとしても、良い奴には変わらない」

「ありがとうございます」

「俺もさ、初めこそ適当に決めて始めた仕事だったけど、仕事を覚えたら楽しくてな。でも足場ってさ、残らないじゃん。新築でも塗装でも、橋でも学校でもマンションでも。作業が終われば撤去してよしだろ。大工みたいに家を建てるわけでも、内装みたいに壁紙をはるわけでもない。形として何も残らないのが残念でさ」

「あの家、俺たちが建てたんだ、みたいなことを言えないですもんね」

「そうそう。昔は現場の花なんて言われて、人気があったらしいから、建物がなくても印象に残るぐらい目立ってたみたいだけど。高い場所を軽やかに移動する様が華やかだって」

「みんな、軽々と資材を持って移動しますよね。すごい仕事だと思います」

「俺もそう思う。誰でもできることじゃない。現場もさ、足場がないと作業が始まらないだろ。大工だって家を建てられない。だから俺らの仕事も絶対必要で意味がある。仕事に誇りをもってやってる」

「わかります」

「俺は、大工がいい家を建てれるように、塗装屋がきれいに壁を塗れるように、いい足場をたてようと思った。お前の足場最高だよ。仕事しやすいよ、って言われるようになるのがまず、俺の目標なんだ」

「それ、もう叶ってますよね」

「ちょっとな。まだまだだ」

「他にも目標が?」

「他は、いい職人を育てること。いい仕事だって、思ってもらいたいし、働き手が増えるといいと思う。で、ゆくゆくは自分の足場屋を持てたらいいな~なんて大きな夢もあったりする。これ内緒な。圭太と直樹にしか言ってないから」

「すごい慎吾さん。やっぱり直ちゃんが尊敬するのわかります。好感じゃなくて、僕も尊敬だ。今よくわかった。僕も直ちゃんも、慎吾さんみたいになりたいんだ」

「そうやって言ってもらえてありがたいが、圭太は圭太、直樹は直樹。みんな違うからいいんだ。できたらずっと、仕事をしてきたいよ、圭太と。でもまずは、お前の1ヶ月祝いだな。直樹に負けないくらい盛大にやろう! みんなに声かけてな」

「はい!」






 

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