2.12
相変わらず、やる事は変わらなかった。暇な時間があれば酒を飲み、寝て、起きれば薬を飲む……スティムラントはエマから買っていた。値段は徐々に釣り上がっていったが買わざるを得なかった。
「最近需要が多いのよ。でも大丈夫。来月にはお店に出回るって聞いたから、今より簡単に手に入るようになるわ」
そう言う彼女に「そうかい」と私は返した。その言葉の虚実に大して関心がなかったのだ。私はただ薬を欲していた。でなければ、とても生の苦しみに耐えられそうになかったから。
金はなかった。私の拙い書き物で得られる報酬などたかが知れている。いつかに感じた不安が再び私を襲った。その不安を消すために、酒と薬に頼り、金がなくなる……どうしようもなく衣服を売り、家財を売り、終いには借金もしていた。正気ではいられなかった。だが、狂気というには理性が強く残り、私は自己嫌悪を日課とし出口のない迷路に足を踏み入れたような恐怖に苦悩しているのであった。
母からの手紙も、また私を苦しめた。あれ以来頻繁に私に手紙を書いて寄越し、宛名も私の名を記すようになっていた。内容は全て同じで、家に帰ってこい。金を送れ。というものであった。
怨嗟の根源たるあの家に帰れるはずがあろうか。ない金を送れるはずがあろうか。哀れには思うが、それ以上に自業自得という言葉が脳裏に浮かぶ。これまでの所業を考えれば、いま母が置かれている状況はまさに天罰であり、当然の帰結である。それを私がどうこうできるわけもない。
こう考えるのは、自責の念から解放されたいが為だと思えた。実の母すら救えず、怠惰に過ごす事への正当化であると分かっていた。しかしどうする事もできないのだ。私の人生はもはや死ぬ事以外にやる事はない。死をもってして我が人生が完成するのである。先祖が成したような栄華も偉業もなく、ありきたりな幸福すら手に入らなかった今。深淵の中で衰弱していく以外に道はない。望むべくは、せめて安らかなる死を、眠りに至るような死を迎えたいというだけであった。
とある夜。私は借りた金を握り締め酒場に向かった。なぜだか無性に人恋しくなり、人間を近くに感じたいと思ったのだ。しかしすぐに後悔した。酒場は多くの客で賑わい馬鹿笑いが響いている。曇りない笑顔で談笑する人々。大袈裟な身振りで誇大した武勇伝を語る大男。仕事帰りの職人達。若者の集まり。皆、それぞれ人と関わっていた。一人なのは私だけであった。人波に揉まれる枯木。それが私であった。雑踏の中で孤独となり誰にも気にされず、存在さえ認識されない。私を気にかけるのは酒場の主人だけであったが、彼の興味は私ではなく私の懐にしかない。主人と目があった際「金はあるのかい? タダ酒はおいてないよ」と言われた気がした。はっとなり、私は自分の首から下を確認してみる。ほつれた糸が飛び出し、黒く汚れた粗末な布……靴は破れ、私の貧弱な足の指が露わとなっている。半分割れたボロボロの爪が、恥ずかしげもなく顔を出していた。随分と、惨めに思えた。
堪らずに酒を煽った。しかしまるで足りない。酒の海で溺死したかった。胃の中を全て酒で満たし、呼吸しようと口を開けるとそこから酒が流入し肺にまで至る。苦しみながら飲み、吐き出しながら飲む。反吐だか酒だから分からぬものを一心不乱に摂取して、そうして死にたいと思った。
「君、瓶ごとくれ。なに金ならある。先程から心配そうにこちらを見ているようだがほら、一、二、三……六枚だ。銀貨が六枚。これだけあれば二瓶と干し肉も買えるだろう。これ全部払うからさぁ早く出してくれたまえ」
私はわざとらしく陽気に、気前よく振る舞った。ボロを着ているのは困窮しているからではない。単に頓着がないだけだと主人に思い違いをしてほしかったのだ。でなければ、とても、とても自分が保てなかった。恥が耐え難かった。なんとも愚かなものである。一時の恥を掻き消すために、借りた金全てを使い見栄を張ったのだから。主人は恵比須顔で「よござんす。お出ししましょう」と言って酒を二瓶と、干し肉とチーズを付けてくれた。私は狂ったように笑い、訳の分からぬ事を言って喚いた。粗末な酒を飲み、まずい料理を食べてそれを美味いと言った。店を出るとそれを吐き出して酷い言葉を並べ立てた。誰かれが見世物のように私を見据え、飽きればそっけない顔をして去っていく。目の前に広がる自身の吐瀉物を眺めると、これが銀貨六枚分の、私が借りていた金の全ての末路だという実感が湧いてきて途方も無い悲しみが襲ってくるのであった。
何度死にたいと言ったか分からなかった。口癖のように、何度も何度も繰り返し、私は死を、救済を願った。腹は空になっていたがまだ嘔吐を欲した。腹わたさえ出てくるのではないかというくらい、私は吐いた。黄色い液体が路地を汚す。その度に、わたしは死にたいと呟き、終いには絶叫した。何も変わらないと、現実からの一時的な逃避と知っていながら……
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