2.11

 私はパンをかじり、それをミルクで流し込んだ。食道が開かれ、胃が重くなっていく。

 少しばかり呆け、寝る前のことを思い出し自嘲した。とんだ軟弱ぶりである。いや、軟弱な事は知っていたのだが、薬の影響により更に脆弱となっていたようだ。「スティムラントはマイナスに働くと危ないから注意して」とエマから言われていたが、なるほどこういう事であったかと私は一人納得し、誰に向けるものでもない乾いた笑いを小さく漏らすのであった。


 回らぬ頭が温まってきた頃に、私はポストを確認しに動いた。何もない部屋であったが、歩いてみると泥沼に足をとられているように動きが悪く息が切れる。二日も寝続けると歩く事もままならなくなるのかと落胆しながら私は玄関を開け、隣に設置されているポストを確認した。中にはまた一通の手紙があった。エマからであった。色々書かれていたが、要約すると皆心配しているから、これを読み、無事ならばいつでもいいので顔を出すように。というものであった。


 私は外出し、手紙に書かれている通り仕事場に赴き顔を出した。何やかんやと聞かれ、何やかんやと理由を付けられてしばしの暇をもらった。人員は少ないがなんとかやる。ただし君の小説は載せたいから、それだけでも書いてくれ。という話をされた。これは私の書いたものが評価されているわけではない。もはや出せる情報と出せぬ情報が明確に分かれており、記事に書く事も決まりきってしまって変化が乏しいからである。いってしまえば単純作業とあまり変わりなく、マンネリ化してしまっているのだ。彼らは些細なものでも変化のある文字を掲載したかったのである。同じことの繰り返しでは誰もが納得しないし、期待もしない。私は「分かりました」返事をし、視線を感じながら仕事場を後にした。


 私はその帰りに公園に寄り休んだ。身体が重いのだ。どうしようもない疲労感が私を襲った。時刻は昼前。道行く人少なく、風が清涼感を与えてくれる。熱を持ち気怠くなった身体には丁度い塩梅であった。私はそのまま微睡みに誘われて少し目を閉じた。見えないという状況が何とも心地よく、このまま、無限に続く奈落に落ちてしまいたいと思った。


「まだフラフラしていたのか」


 そんな私を咎める声がした。目を開けると、いつぞや私に辻説法をしていった老人がいつの間にか立っていた。


「ナガツキ君。君のご先祖は随分立派だったというのに、その体たらくはどうなんだね」


「私は今働けませんので……」


「酒と薬に溺れたものが偉そうに弱者のフリをするもんじゃない。すべて、身から出た錆だろう」


 その老人がどうして私の事を委細知っているのか疑問に思うのが普通なのだが、スティムラントの影響か、はたまた余程疲労困憊であったのか私は彼が知っているのは当然だというくらいに、まったく正常であるかの如く会話をしていた。後になってあれは異常であったと気付きはしたが、その時は本当に、当たり前に彼と話していたのだ。


「大陸の大統領の事は知っているかね?」


「はい。カワハラというそうですね」


「そのカワハラはな、この世界の人間じゃないんだ。君の先祖と同じでね」


 私が「はぁ」と気のない返事をすると、老人は溜息混じりに「なんと覇気のない」と落胆した。


「君は悔しくないのかね。君の先祖はこの国の為、戦場で八面六臂の活躍をしたのだ。縁も所縁もないこの世界の、この国の為に立ち上がり、難敵を打ち砕いて人々を救った。その上にこの国は成り立っていた。英雄と呼ばれ、誉れ高き戦士として生き、死んでいった。彼の救ったこの国は、まさに楽園と呼ぶに相応しい豊穣と繁栄が約束されていた。それがどうだ!  彼が鬼籍に入った途端に大陸は侵略を開始し我が国の土地を焼き、我が国の民を殺し!  我が国の歴史と文化を奪ったのだ!  そして今再び奴らは血と殺戮の舞踏会を開かんとしている!  よりにもよって、君の先祖と同じ異世界の人間を招いて!  これをどう思うね!」


 まくし立てる老人は、さながら革命軍のリーダーのようであった。しかし、悲しいことに私は酷く疲れていたし、私は私の血脈に対して誇りなど持っていないばかりか恨んでさえいた。老人の言うその誉れ高き先祖のおかげで姉は死に、妹は辛酸を舐め、私は地を這う虫の如く惨めな生活をしているのである。それをどうして誇れようか。どうして仰ぐ事ができようか。そもそもそんな話を聞かされ私にどうしろと言うのか、それが分からなかった。様々な想い感情が混ざる。そうして出た言葉は、「それで」という一言に収束されたのであった。


「君は何も思わないのかね」


「私には、どうしようもできません。聞くところによると、私の先祖は異世界にいた頃はなんの取り柄もなく陰気な少年だったいう話です。それがこちらの世界に来て、何やら妙な力を授かったと。私は、彼が、私の先祖が義憤によってこの国に助太刀をしたとは思いません。過ぎた力を手に入れ、それを試したかっただけなのだと思います。遊びか何かのように力を行使し、人を殺し、そうした犠牲の上に楽園を築いたのではないでしょうか」


「なるほど。そうかも知れない。しかし、その試行がこの国を救ったのも事実なのた。どうかね。もし君が、その力を得たら、救国の為奮起するかね」


「致しません。私は、ただ普通に、ごく当たり前に訪れる平和を享受したいと思っています。いや、思っていました。それはもはや叶わぬ夢となってしまったのです。私の先祖の、英雄様とやらのせいで」


 老人は私の言葉に失望したようで、「嘆かわしい」と呟いた。途端に風が吹き、老人は消え、私はただ一人公園のベンチに腰掛けていた、時刻は夕暮れであった。随分と早く時が過ぎていたようであった。

 私は立ち上がり家路に着いた。相変わらず身体は重く、酒と、スティムラントを求めていた。

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