2.5

 酒場で女に会う度私は彼女に話しかけた。その度に、彼女は私の分も金を出してくれた。


「お姉さん。いつも出してもらっちゃ悪いから、今日は僕が払わせてもらうよ」


「あらいやだわ。そんな事言っちゃ駄目よ」


「いいじゃないか。僕にだって、男の意気地がある」


 女はけらけら笑って「あらそう」と答えた。まるで取りつく島もない風で、私は少し怯んでしまった。二の句が告げられず、固まる。

 それを見た女は途端に焦ったような声で言葉を続けるのであった。


「嫌だわかしこまっちゃって。そんなに言うなら一度くらい、貴方に払わせてあげる。でもここは駄目よ。他のお店に行きましょう」


 そう言って女は私の手を引いた。外に連れ出され、寒空の下を歩いた。辺りには酔っ払いと浮浪者が少しいるだけで、寂寞の闇夜が私たちを包んでいる。月も星も輝いていない。明日は雨だろうか。いや、雪かもしれない。しかし、いずれにしたって私のやる事は変わらなかった。


「かなり歩きましたね」


 私は不安になり彼女にそう聞いた。私は謀られたのではないかと不安であった。金のない私に差し出せるものは、もはや命しかなかった(私の命に価値があるかどうかはこの時考えもしなかった)私は恐れたが、受動的な、もたらされる死であるなら受け入れられると思った。愚か事であるが、私はこのままこの女に殺される事を確信し、望んだ、恐れた死を待ったのであった。


「ここですよ」


 女が立ち止まり指差したのは一軒の家であった。私は慣れた様子で中に入って行く女についていった。小さな木造の家屋は冷え切っており、暗闇が、一層私を凍えさせる。


「ここはなんだい?」


 そう聞いたら、「私の家よ」と女は言った。


「どうも困るね。僕はそんなつもりじゃなかったんだけども」


「それじゃどんなおつもりだったのかしら。ねぇあなた、マッチはない?  切らしちゃったみたい」


 どこからか女の声がした。私はマッチは持っていなかったが、「ちょっと待っていてくれよ」といって長々しく呪文を唱えた。小さな火が、空中に産まれた。


「あら貴方。魔法がお上手なのね」


 女はそういって宙に浮かんだ火でランプに火を灯した。火に照らされた女の顔は妖美で、残っていた酒が冷めるほどに、私は彼女に劣情を催した。



 私はそのまま女と関係を持った。それどころか、女の家に居つくようになっていた。極めてなし崩し的な、ふしだらな関係ではあったが私は妙な居心地の良さを覚えていた。強い日差しが降り注ぐ夏に、木陰で涼んでいるような感覚。それが彼女の魅力であるのか、はたまた私の自棄が静まってきたからなのかは分からなかったが、ともかく私はその女と暮らすことになったわけである。


 そうはいっても私の生活が変わる事はなかった。女がいれば女と酒を飲み、女がいなければ一人で酒を飲む。それだけの、そればかりの生活であった。

 一方女はというと、夕方ぐらいに出かけては夜中に帰ってくる。そうかと思うと二時間足らずでとんぼ返りしてくることもあった。女に「なんの仕事をしているのだね」と聞いても「秘密よ」と述べるだけだった。


 それでも、別に気にならなかった。平穏に過ごせるならばそれでよかった。だが、どうもこの世界は私を、私に関わる人を不幸にしなくてはいられないようであった。

 女が外に出ている時間。私はほんの気まぐれに外へ出た。そこでいつもの酒場にいくならよかった。しかし私は、その日に限って違う道を辿った。街灯がさそうままに知らない道を歩み、知らない店を見た。そこは怪しげな雰囲気が漂う場所だった。淫猥な香りを放つ街角。女を求める男が集う場所。私はそこで彼女の姿を見た。知らぬ男の腕を組み、私の知らない顔をしていた。


 帰ろうとした。何も知らないふりをするつもりだった。私は、何も見ていないという事にしたかった。


 目線が、あった。彼女は驚いた顔を浮かべていたが、男に引っ張られて人混みに消えていった。

 私はどうしたらよかったのか分からなかった。どうしようもできなかった。人々が、私を飲み込んでいく。街道で立ち尽くす私を無遠慮に、無慈悲に津波の如く、跡形もなく……





 私は家に帰って眠っていた。夜遅く、女が帰ってきた。女は私の部屋に入り、「ヨウちゃん。ヨウちゃん」と嘆いていたが寝たフリをした。しばらくすると女は出ていったが、すすり泣く声が聞こえてくるのであった。

 働こうと思った。金が必要だった。今なら、山のように積まれたビスをヤスリで削ることもできる気がした。

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