2.2

 しかしながら、女というのはどうにも不幸を背負いたがるものだ。

 それはいつだったか憶えていないが、私が公園を散歩していた時。新しくできた噴水があまりに見事だったのでそれを見学していたら、「もし」と声をかけられたのであった。


「あの、申し訳ありませんが、お金を恵んでいただけないでしょうか」


「物乞いかね。それにしちゃあ、随分といい服を着ている」


 女であった。しかも美女であった。薄く塗られた化粧が目鼻を浮かせ、潤んだ瞳が私を惹きつける。何が一番良かったかといわれれば、薄化粧で隠しきれない隈と、左頬にできた痣であった。何があったかは凡そ察しがつく。


 女は黙り、ただただ私の出方を待っている。不憫に思い、私は彼女に財布を渡した。すると「いけません」とそれを突き返してくるのだから面白かった。


「何がいけないのかね、金をくれと言ったのは君の方だろう」


「一食分、恵んで頂ければ良いのです。そんな大金頂いても私、困ります」


「一食分とは言ってもね君。次の一食はどうするんだい? その次は? 延々と他人に金をせびるつもりかね?」


 自分でも驚く程舌が回った。かつてない饒舌といやらしさに私は自己を嫌悪する暇もなかった。そしてこの時に気がついたのだ。私はその女の影に魅了されたのだと。灼熱の太陽から発射されるまばゆい光から逃げ出すように、私は女の影を求めているのだと。


 女は怒ったのか「もういいです」と背を向けた。それがまた愉快に思えたが、この女が他の男の手に堕ちたり、身体を売ったり、シュタインと一緒に行った、あの薄汚い店に勤め身をやつすのはいけないと思った。私は咄嗟に翻った女の肩を掴む。


「待ちなさい。どうだい? 君に部屋を貸そう。金も出す」


「それで、貴方に身体を売れと仰るのでしょう」


「いや、いらない。ただ、身の回りの世話をしてほしいのだ。見た通り男一人で、ろくに家の事ができないものでね」


 女は悩んだが、昼の鐘が鳴ると共に小さくコクリと頷いた。空腹もあるのだろうが、これは自惚れだが、このままいけばどうしたって男に抱かれなくてはならないが、身体を売るにしても、私以上に良い相手を想像する事ができなかったのだろう。女の真一文字に締まった唇が、美しく、愛おしかった。


 それから私は女に世話をさせた。幸い借りている家には部屋の余りがあったのでそこに住ませた。当初はまったく信用ならないという面持ちで肩に力を入れていたのだが、一週間もすれば慣れたもので、私に用があるときは、ヨウさんと名を呼ぶいうくらいには彼女は絆されていた。


「ヨウさん。仕事着に解れがあったので直しておきました」


 彼女は何かやる度逐一それを報告した。「いやありがとう」と返すには返すが、事ある毎に言ってくるものだから辟易していた。

 しかし一転外ではしおらしいのである。一緒に散歩に出た際、たまたま通りかかった行商人がいい首飾りを出していたのて私は足を止めてそれを手に取り、彼女にかざして「いいんじゃないかね」と買ってやるつもりで聞いてみた。すると彼女は「いけません」と断り、「私のような人間が頂き物など」と目を伏せるのであった。

 私はこういう時、どのようにして贈り物をしていいか知らなかったものだから、行商人に「どうかね」と聞いたところ「お似合いです」とおべんちゃらを言った。


「ほら、もう観念しなさい。代金は払ってしまったんだ。君が貰ってくれないと、ここで捨ててしまうぜ」


「悪い人。そうやって私をその気にさせるんですから」


 私は首飾りをつけてやった。白い化粧の上から、脈を伝って朱に染まる彼女の頰が美しかった。喜ばしさの中にある後ろめたさと卑屈。それが一幕の歌劇のように、私の慰みとなる。これが何の臆面も見せず「あらそう頂くわ」と図々しく言う女は嫌いだった。傲慢な女は、母を連想させ勘に触る。





「貴様、娶ったんだってな」


 ある日酒場でシュタインがそう言った


「女中代わりさ」


 私の気取った言葉にシュタインは舌打ちで返した。わざわざ「断頭台」と言わずともグラスの酒を一息で飲み干した。


「半端なことはやめておけ。痛い目見るぜ」


「君は、人の不幸が好きなんだろう?」


「不味い不幸はお断りさ」


「幸、不幸に美味い不味いがあるのかね」


「大いにある」


 シュタインの弁では、不幸の中でも幸福を望める不幸が美味であり、どうしようもない、どうやったって助かる見込みのない不幸が不味いとの事であった。ともすれば、この関係が続くのであれば、どう料理しても失敗作の烙印を押されてしまうらしかった。


「どうせなら、結婚して俺を笑わせてくれ」


 シュタインはそう言って、今一度グラスの中身を飲み干した。私は「結婚しよう」と、酔いに任せて言うのであった。


「あぁしようとも。きっと結婚してみせるぞ。それで、君に笑ってもらうのだ」

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